四六時中自己矛盾日記も7月を終了した。内向と極端をお届け。
「考えすぎ」という表現は言葉足らずで、「(自分の視野だけで)考えすぎ」とか「(1つの)考え(に固執し)すぎ」とかそういうことじゃないかなと思うときがたまにある。
このブログの目標は0文字になること。冗談では決してない。
今月もよく仕事をしたりよく恋愛や友情をやったり、忙しく暮らしている。
経済と同じで、人の意思で回していると思いきや加速しすぎて人には操作不可能になってしまうタイプの回り方をしている。
パエトーンみたいなね。ところでフォルクスワーゲンにフェートンという車種があって縁起が悪いけど誰も気にしないのだろうか*1。
日記
7/1(月) お昼も夜も著者の人とごはんでお腹がいっぱい。3日分は食べた。東京堂書店で友達に遭遇するもあまり喋ってもらえず寂しい。家に帰れば不安げな犬。
7/2(火) 仕事で東証に行って上場の鐘を見せてもらったり、回ってるやつ(チッカー)を近くで見たりした。チッカーに表示される文字のスピードは5段階あって、取引が活発だと早くなるらしい。楽しかった。ニュータウンVが新譜を出したのに仕事が終わらず聞く時間がない。
7/3(水) 中トロラジオが更新されたのに仕事が終わらず聞く時間がない。
7/4(木) びっくりするくらいやることがあってありがたい。数時間後の自分が何をやっているかわかっていると安心する。確定要素はありがたい。風船のような自分を地上に繋ぎ止めておいてくれるなんらか。一瞬で日が沈む。京都の友達(でもあり支社の先輩でもある)と急に会えたり、1つ下の人にご飯に誘ってもらえたり、30個上の人にご飯に誘ってもらえたり、嬉しいことの連続。
7/6(土) ピアノ。ピアノを家で練習できるのは21時まで、そして21時までに帰って来れることは少ない、そういうのに流されて練習できておらず、先生にはバレバレ。優しいままに教え方が変わった。
午後は京都の友達(でもあり支社の先輩でもある)と四谷のモヒーニ。気難しい店主(本当は紅茶に真面目なだけ)がアイスティーを憎んでいるのを知っていたけど、暑くてアイスティーを頼んで、案の定小言を言われる。これがモヒーニの良いところ。みんなモヒーニにもっと行けば良いのに。友達はもうすぐ日本海側の都市に引っ越す。これからも沢山会えたらいいと思う。友達がいつもよりもはるかに多く自分の話をしてくれたのが嬉しかった。「会社の縁」という縛りがなくなったのは良いことだ。
不思議な縁は繋がっているもので、大学の同級生の名前が出てびっくりした。大学の同級生と親しかった元々……彼の噂も聞いた。懐かしいだけで負の感情すらない。京都にいて、私の仕事の分野に近いことを研究していると言うので驚いた。
7/7(日) デート。国立西洋美術館の写本の展示を見た。写本は美しく、外は灼熱。個人の蒐集とは信じられないくらい点数も質も高い。聖典の余白に絵を描く人々がいたことは元気が出る事実。「中世は暗黒時代」というのを信じきっていた元々彼がよぎって、馬鹿だったなと思った。「中世は不潔で不合理」というのが彼の信条で、そればかりではなかったはずという旨のことを言うといつも喧嘩に発展した。信条を変えようとしていた私も青くて馬鹿。
7/8(月) ふと先月号に載せた対談記事のことを思い出す。対談記事は、最後に著者に並んでもらって著者全員の写真を撮る。今月も対談がある。まだ会ったことのない著者が並ぶのを想像して嗜虐的なわくわくした気分になる。ニュータウンVのセカンドアルバムをやっと聴けて素晴らしい月曜日。
7/9(火) 4日に誘ってくれた会社の30個上の編集長とお昼ごはん。
最近は手すさびにクラシックギターを弾くらしい。バッハのリュート組曲を練習していると言っていた。前回喋ったときは落語を勧めてくれた。陶芸はやらないらしい。造形芸術は嫌だと言っていたのが新鮮だった。編集長は痛風のため常に手ぶらでおり、風流人らしさに磨きがかかる。
7/10(水) 犬に敬語の吹き出しをつけるのはおかしなことだと考える*2。敬語で話しかけて育てた犬なら敬語の語彙があるかもしれないが。幼少期の芦田愛菜が流暢な敬語を話していたのは当然のことだ。
仕事がとにかく沢山ある。
7/11(木) 作った眼鏡を取りに行った。眼鏡屋さんに傘を忘れた。
7/12(金) 両親がドイツに行ったため、残された犬と私は数日間2人きりで過ごさなくてはいけない。犬の夕方の散歩に行けるように7時からの時差出勤にしてもらった。神保町すずらん通りの朝7時はちょうど良い量の人通り。仕事は本当に山積み。先月の下版*3から1日たりとも全くサボっていないのになぜこんなにも山積みなのか。18時に帰宅すると、怒りと嬉しさで大騒ぎの犬が出迎えてくれた。犬のために普段より何時間も早く帰ってきていることなど彼女にとっては全く関係がない。そういうところに犬の愛の深さを感じて感動してしまう。私もこうやって愛しながら生きていきたい。
会社を定年した人から近況報告のライン。返すつもりで放置してしまった。
7/13(土) 朝の犬の散歩は砧公園の近くの清流に。ジャックラッセルテリアは水に入るのが好き。父と犬の散歩コースで、私は馴染みがない場所だったので、犬に道案内してもらう。
10時半からはピアノ。11月の発表会まで形にできるのか不安だ。
午後は病院。極力避けたい場所。病院関係の全てが憂鬱。
夜、友達とスペースで喋る。過酷な職場の退職が決まったと聞き、嬉しい。
7/14(日) 彼氏が最寄りまで来てくれた。初めこそ驚いて吠えていた犬も、私の客だと理解すると、遊びに誘ったり撫でてもらったり打ち解けていた。人間が犬と聞いて想像するような振る舞いを丁寧にしており、彼女としても色々と気を遣ってくれたのだと思う。活発な犬なので付き合ってくれた彼氏にも感謝。何か面白いことも喋ってたし、料理も上手だし、ずっと穏やかに笑ってるし、昔の話をむやみにしないし、私にないものばかりだし。
7/15(月) 彼氏が帰ってゆき、1人の時間。考えてみれば、用事が全くない休日は数週間ぶり。本当はもっと頻繁に1人でいたいが、誰かに会わないとやっていけないというせめぎ合い*4。
誰といても誰といなくても寂しい。はいはい現存在、現存在*5。「手を洗う」とかそういう再帰動詞をやってるときは少し寂しさが軽減されるのは面白い。
7/16(火) またしても7時から17時の時差出勤。犬は両親がいないこの4日間ほとんどごはんを口にしない。ハンガーストライキ。
7/17(水) 今月号の下版1日目で帰りが遅いため、会社で両親帰宅の連絡を受ける。両親帰宅後すぐに犬はごはんを完食したということで、安心した。
旅行の話も聞き、なんとかというワイナリーをやっている修道院が良かったとのことだった。父がお土産にAC/DCの雑誌を買ってきてくれた。母は現役で働いていた頃よく出張で行っていた街に改めて旅行者として行ったのを嬉しそうにしていたし、母としか遊びに行かない父は数十年ぶりの海外で嬉しそうだった。
7/18(木) 下版2日目。本が出るのは大変結構だが、細かい各方面への連絡など、事務作業の漏れがあるのではないかと絶えず不安。なぜなら1人だと「ダブルチェック」が存在しないから!!
7/19(金) 意外と下版当日よりも次の日が疲れる。眠くてたまらない。友人たちとご飯に行った。夜、部屋で食べようと思って買っておいたアイスが、食べる機会がないまま一週間冷えている。夜おなかが空いたりしていたのは昔の話、アイスを1つ完食できたのも今は昔。
誰と会っていても帰りたいし誰と会っていなくても寂しい。
7/20(土) 小学校の同級生と会う。昇進をひかえてバリバリと激務をこなしつつ、体調の悪い旦那さんのお世話をしつつ、家事を1人でこなしつつ、海外の大学受験のための勉強をしつつ、色々と抱えるものの多い彼女だった。でもこれを可能にしているのは旦那さんの存在が彼女にとって盤石な土台となっているからだと断言していて、個別具体な経験はなかったがその話の抽象的な部分には心の底から共感した。
7/21(日) デート。麻布台ヒルズは悪趣味な造りだったがこれはこれでありだなと思える不思議な均衡を保っていた。次に行った美術館は入り口すぐのホールが洗練されていた。地に埋まりこむような建物の低さも、巨大さを誇示する美術館が目立つ東京にあることの価値があると思った。デートはいつもいつも、もちろん帰りたいわけがなく長引かせるが、健康に悪いことをするのは幼児性の現れの一つだ。耐えられない自分に嫌気がさす。
7/22(月) 今月のワースト・ダメ日。ダメな日は抽象的。なんとなくダメなだけで嫌なこととかは別にないから対策できなくて困る。
7/25(木) 会社の先輩たちとお昼。3人で喋ると1時間はとても短い。
7/26(金) 病院でまた血を採られて心底暗い気持ちに。医療を利用しなくちゃいけないくらいなら大好きな東京を離れてでも誰の目にも触れない森に行きたい。いつも病院で力尽きて薬局まで行けないが、今回は無事に処方箋を薬に変えることに成功。眼鏡屋さんに寄って忘れた傘を回収。ドアを開けた瞬間に店員さんに名前を呼ばれるウェットなお店も今どき珍しい。
7/27(土) 彼氏と旅行。
7/28(日) 同上。
7/29(月) 庭で育っていたオナガたちだったが、お昼くらいに群れと共に巣を離れたらしい。さすが野鳥は成長が早い。家の敷地を群れに包囲されてゲーゲー言われる朝が終わってしまった。梅の木に残された巣が可愛らしい。オナガの巣は縦に長い。
7/31(水) 明日が休みなのを良いことに、遅くまで仕事をしてしまった。1ヶ月が本当に早い。
今月の登場人物
今月登場してくれた君たちについて書くつもりだったが、私には困難だった。
登場人物の多いロシア文学の最初みたいにリストを作りたかった。
文字類
・「白水社の本棚」が届いて嬉しい。
こんなに質の高い新刊案内誌を他に知らない。藤垣裕子さんの「バタイユと科学論」が良かった。毎号、東京堂の三浦さんの連載はセンチメンタルで、書店という環境との親和性を感じる。
今号はいつもより遅く届いた気がする。
そういえば「月刊白水社」というメルマガもかれこれ1年以上は購読していたのだが、7/1に「リニューアルのため準備期間に入ります」というお知らせが届いた。心配だ。白水社の宣伝方法が好きなので、なんでもいいから白水社からのお知らせを受け取り続けたい。
https://www.hakusuisha.co.jp/files/hondana/2024_03.pdf
・エマヌエーレ・コッチャ『家の哲学』を読み始めた。
哲学はこれまで権威的で男性的で都市的だったのを反省して今こそ家空間を論じるべきだという出発点。
凝縮された序論を読んでいて確かにとうなづかされる。都市そのものに住む人は少なく、皆「家」に帰る。都市そのものに住む者たちの立場は弱く、絶えず死にさらされている。
私は東京が好きなのでできれば東京と死にたいと常々思っており、都市生活者になることも「ある」ルートではある。
https://www.keisoshobo.co.jp/book/b647610.html
音楽
・寺尾聰「Atmosphere」。リフレクションズだけでなくこちらも素晴らしい。寺尾聰はちゃんと夏をやっている。
・ニュータウンV「ゆめでした」。最近じわじわときているニュータウンV。待望のセカンドアルバムが出た。「結婚しようよ」と「ゆめ/スキゾフレニア」が特に好き。結婚しようよは吉田拓郎を超えた。
部屋で聴くより移動しながら聴くほうが好きな音楽。共感できそうでできないところがすごい。だいたい「時代の感覚」というのはあって、うっすらと共通した方向性の暗さや単語を使って、人々は歌ったり書いたりするもので、小説新人賞もそういう有象無象を振り分けるのが大変と聞いたりするが、ニュータウンVはたぶん世界への解像度が高い人なのではないか。
「結婚しようよ」の大元の歌詞にはシスレーが登場するが、ここではシスレーではないほうが絶対に良く、ニュータウンVの編集能力の高さにも刺激を受ける。
あと吉田さんも吉田さんの周りの人もすぐ結婚しようよって言う。世慣れした30代に定番のこのセリフは怖い。吉田さんの友達に会った日はマーゴ・ガーヤンのsomeone I knowを聞いていたのもあって曲付きで思い出されてしまう。
【同時上映】ニュータウンV - 結婚しようよ/ Thundercat聴いてみた感想 - YouTube
・門あさ美「Sachet」。ちょうど良いポップさ。
・ボズ・スキャッグス「Silk Degrees」。有名なあの曲*6が入っている。レコードをテープで録音したもので聞いているので音が悪いと思っていたが、後ほど配信で聞いてみたらボズの声が特徴的なだけだった。ジャケットの緑の椅子と海がおしゃれ。
・安全地帯「安全地帯V」。何やら沢山曲が入っていて嬉しいアルバム。「わっ」という感動こそなかったものの、それでも安全地帯をより好きになれるアルバム。「あのとき……」など。
・シャーデー「Diamond Life」。
・野坂昭如「心中にっぽん」。
映像類
・「キューティーブロンド」。人に教えてもらって「へえ~面白そう!」と思って見始めて、「見たことあった!」っていうのを何回も繰り返してる映画。数年ぶり数回目の。毎回話を覚えてない。今回も良い映画だった。映画っぽいところが好き。今回は私も法学の勉強とか始めようかなと思った。年々、この映画の重さを感知するようになってきた。次回見る頃には号泣してるかも。
・「眺めのいい部屋」。穏やかな良作。見終わって第一の感想が、「昔の文豪の小説を80年代に入って映画化したみたいな雰囲気だな」。第二の感想が、「その文豪はきっとすごい人だけどこの作品だけは軽いから文豪の作品の中では評価が低いほうなんだろうな」。ちょっと調べた限りどちらの感想も事実合っていたようだ。どこでそんな雰囲気を感じたかはよくわからないけど。知り合ったばかりの青年との麦畑での熱烈なキスと、婚約者との森での退屈なキスを比べてしまう心象描写とか、水浴をする裸の青年のシーンとか、細やかなところが「昔の文豪の良い小説」感が強いのかもしれない。全く似ていないのになんとなく市川崑監督の細雪を思い出していた。
筋とあまり関係ないところで「フィレンツェの匂いよ!街にはその街の匂いがある」と言うセリフがあって嬉しかった。始まりと終わりに流れるプッチーニが合っていて素晴らしい。
付記
自己紹介をするときに「音楽が好きです」は言ったことがあるけど、「本が好きです」と「映画が好きです」は極力言いたくない。自認としては本も映画も苦手の部類で、かつこれは元彼と喧嘩に発展したことがあるテーマなので、このこと自体最近は他人にいうのが怖くなってしまっている。
本や映画を手放しに好きだと言えない理由の一つに、本や映画はインフラの部類だと思っていることがあるかもしれない。
説明すればするほど自分でもわからなくなってきて、それを聞いている他人ならなおさら、つまり元彼の質問もどんどん強くなってきて、とにかくあれは最悪だった。私の中で事実感じているということだけがもやもやと残った状態のままである。
来月の展望ほか
通りをバイクが通ったのかなと思ったら耳鳴りだった。来月を越えたら夏が終わるのが嬉しい。
とにかくやることがある。とにかくやることがあると感じるたびに、どうしてだっけ→1人で月刊誌を出そうとしているからだ、をループしている。
正直、月刊誌を出すことだけでマンパワーが使い果たされてしまっていて、より売れるものを考えるとかそういうプラスαを全くできていない。
あと何回か出版を経験したらできるようになるのか、果たして。
プラスαができていないとかはあるけど、自分はある程度こなせるというのがわかってきて、ずっとここで働いてもいいし今すぐにここをやめてもいいということがちゃんと理解できるようになった。良い傾向。
誰にも会いたくない気持ちもあるのに読書会と大学通学も始めようとしていてなんなんだ!
パッと死にたい。パッと死んで、「〇〇さんはパッと死にたいってよく言ってたから幸せかもしれませんね」と談笑されたい。パッと死ねずにじわじわ死んだなら、「パッと死にたいって言ってたけど全然パッとじゃありませんでしたね」と談笑されたい。限りないものそれは欲望。りんごが好きな人でした、惜しい人を失くしました、順番ですから、これからだったのにね、