5月は保守的に暮らした。知っているものばかりリピートして話したい人とばかり会った。
知り合いのおじさんは、大人というのはどんどん世界を狭くしていくことで、世界からではなく隣人から認められることをだんだんと目指していくようになる、それは幸福なことだ、と言っていた。わかるような気もするしそれに照らすとまだ青い。だから保守的な暮らしからは健康の足音がする。
二人の距離は近く遠い*1。
【用事】
5/1(水) 会社の付き合いでメーデーに参加。雨のなか代々木から恵比寿までを歩く。デモ行進なので車道を歩いた。普段は入れない車道から首都高3号線を見れたりしてテンションが上がる。行進のあいだ、ずっと列の後ろのほうで最近入社した人と話しながら歩いていた。2時間以上も話しているとだんだん質問も尽きてくる。「春夏秋冬ではどれが好きですか」とか「行進があと何キロか当てましょう」とか。どちらが言い出したのかは忘れた。話題が尽きながらもお互いに話そうと努力するときに出てくるシュールな質問は楽しい。
行進のあとは全員でごはん。大人数なのに円卓のお店で不思議だった。何歳になっても人が多い場所で何を話せば良いかわからない。とりあえず全員に向かって「バンドやりましょうよ!」と声をかけてみたら話題の中心になってしまって困った。会社の人とバンドをやる気はない。
5/2(木) 会社の終わりに彼氏が神保町に来てくれた。「彼氏」良い響き! 神保町から四ツ谷経由で北参道まで一緒に歩き、歩けば歩くほど私が元気になっていった。東京は全ての街が近くて飽きない。近づいたり離れたりするドキドキが肌に良い。
5/3(金) 昨日の寒さと打って変わって、起きたら晴天で笑ってしまう。午後は親友の実家に遊びに行く。親友と彼女のお母さんのやりとりが朗らかで快くなったり、近所の犬たちの集まりに同席させてもらったりした。彼女の部屋の本棚の前で、「〇〇(共通の友人)が、(私)の文章と似てるって言ってたから買った」といってその本を見せられてドキドキした*2。
5/4(土) 中高の友人と目黒に行く。古い友人に会うとチューニングされる。自分がどこまで来たか、あるいは自分がどう変わってきたかが如実にわかる。新田次郎が面白いと教えてもらった。私からは彼女にぴったりの何かは出ず、苦肉の策でモームを挙げたものの後日モームの短編集を買ったと連絡がきて感動した。理学部と工学部と理工学部の違いも教えてもらった。
5/5(日) 中高の友人その2と恵比寿に行く。昔の良さはそのままに大人になっていて安心する。彼女の彼氏がマッチングアプリをやっているが彼女のアカウントはブロックされてしまったということで、私のスマホでアカウントを作って彼氏を探す遊びをした。色々な人を2人で見るのにはしゃいで、その過程があまりに楽しかったので、いざ当の彼氏が見つかった頃にはその愚かな青年のことは大した問題ではなくなっていた。
5/6(月) お墓参り。故人の同僚2人と私の計3人でお墓参りに行ったあと故人の両親を訪ねる。年に何回も来ているはずなのに京王線の乗り換えで失敗した。誰かが一緒にいると泣かないで済む。もうすぐ4年経つ。長い4年だった。故人と私は下の名前が同じなので、何回も名前を呼んでもらえて嬉しかった。
5/9(木) 寒い。寒い日は頭がはっきりしているので良いことが起こりやすい。仕事で依頼した人から原稿が届いて、それが想像を遥かに超える面白さだった。
家に帰ったら、母が今日の犬の様子を教えてくれた。犬が大好きだった近所のホームセンターがもうすぐ閉店することに決まっていて、いよいよ商品の数も少なくなり、犬用のカート(これに乗ると一緒に店内に入れる)も撤去されてしまっているらしい。かつてカートがあった場所で犬があからさまにがっかりしていたので、母はいたたまれなかったという。
私も話を聞いていて悲しくなった。悲しいことが起こるのはなぜか。とにかく理不尽である。栄枯盛衰だね、と声をかけると犬は道理を悟った様子だった*3。
5/10(金) 関口教会のコンサートは今月も行けず。毎月中旬にかけて忙しくなるサイクルなのでちょうど重なってしまう。行くつもりで計画を立てないとだめだ。
5/11(土) ピアノに行って先生とおしゃべり。ピアノは自分で弾いた音を聞く円環が良い作用をもたらす。そのあとはデート。浮かれているので全然まともな質問及び会話ができない。大好きだから世界中に発表したい*4。早く慣れて落ち着かなければいけない。現代美術館でホー・ツーニェン「エージェントのA」展を見た。
5/12(日) 隣の空き地が買われていたらしく、地鎮祭が行われていた。ちょうど部屋のベッドから見えるので犬と一緒に地鎮祭を鑑賞。窓から見えるところ全部が自分の土地だと思っている犬は意外にも静かに、正しい姿勢で土地が売られてゆくのを見ていた。
5/14(火) 忙しいのになぜか早く帰って9時に寝た。
5/15(水) 朝6:30に出社した。上司はすでに出社していてびっくりした。子供が小さいから早く帰るために早く来ているらしい。5月ともなると空が明るい。
5/16(木) 会社で仲の良い人とお昼ごはん。本当はもう1人来るはずだったけど体調を崩して一週間会社に来ていない。5月はそういうことが起こりやすい。
5/18(土) 快晴の休日は両親と犬は庭仕事をするから、外から聞こえてくる楽しげな3人の声で起きることがある。起き上がると一瞬で「あ、これはダメだ」とわかるくらい体調が悪かった。眩暈がひどい。伝染す*5ようなやつでもなさそうだし予定をこなす覚悟を決める。一応少し練習してピアノに行く。日差しにも体力を奪われていく。頭がぐらぐらするのに伴って音符がチカチカ見えて弾きにくい。フォルテも弱々しい。今習っている曲が灼熱の国の曲で、想像して眩暈がする*6。午後は祖母の家に向かう。いつも九段下からのバスがどの出口から出ていたか忘れてしまう。3aだったか3bだったか、結局どっちでも良かったはずだ。都バスの揺れが不調にはきつい。
祖母と叔父と本の話を色々して面白かった。
帰り道はスーツケースいっぱいに祖母が作ったラザニアとかアップルパイとかが入り、予定をこなした達成感でもう具合が悪いことしか考えられなくなった。具合を悪くしている時間なんて本当は無いのに何をやっているんだろうとも思った。
5/19(日) 体調の悪さは土曜から日曜に変わる頃をピークに快復に向かった。急遽会いたくなった友達と下北沢。一年ぶり。随分前に元彼と別れたことを報告したらショックを受けていた(と思う)。私も、もし友人が長い付き合いだった人と別れたらショックを受けるからよくわかる。惚気から悩み、社会問題まで話は尽きない。彼女は仕事ができて社交的なギャルだが、「私は末端のギャルだから」と言っていて、ギャルにも色々あるんだなと思った。
5/22(水) 父が今日から検査のため短い入院。おおごとでは無いとわかっているからイベントのようなつもりで、会社帰りにお見舞いに行く。父が家にいないと母も犬も元気がない。誰か1人いないだけで家が急に静かになるのは前々から不思議に思っていた。お喋りな人とか無口な人とかそういうのは全く関係がなくて、生き物の気配というのがどれだけ熱量を持ったものなのかがわかる。家主のいなくなった家がすぐに廃墟になってしまうのも納得がいく。建物は造形芸術の中でも特に「生きているような」という比喩が合う感じを抱く。これはプネウマの話かもしれない。
5/24(金) 仕事を定時に終わらせ、服とか本とか欲しかったものをとにかく色々買って、ジュンク堂の横山光輝展も見た。靴も買いたかったけど時間切れ。そのあとは彼氏が来てくれて夜ごはん。彼氏が出してくれた水が美味しくて、なんて良い人なんだろうと思った。
5/25(土) ツイッターでは4年くらい知り合いの、初対面の人と山下に行った。黒いチャイナ風のワンピースを着た美女が現れて嬉しかったし、いつも読んでる文章との整合性があった。zabadakが好きだと言っていてぐっと掴まれてしまった。
5/26(日) 代々木上原で親友と餃子を食べる。全種類の餃子を食べた。お風呂に入るのがめんどくさいという話で通じ合えた。
5/28(火) 仕事が終わらなしそもそも暴風雨で電車が動かず帰れない。そういうわけで結局23時をまわるまで会社にいた。私と先輩の2人だけになっていた。初めてゆっくり話せて楽しかった。夜は親密度が増す。「これからどうするか」という話題になると若い人ほど暗い話になるのはなぜか。私のまわりの若い人が暗いだけかもしれないが。
5/29(水) 有休。朝起きると昨日の暴風雨で塀が無くなっていた。ストンと垂直に落ちる形で壊れたので、通行人には怪我がなくて心底良かった。
初台で椿姫を見た。悲しい話。ずっと見てみたかったので嬉しい。今回の演出はスタイリッシュでシンプルだったので、いずれ、華やかな演出のバージョンも見てみたい。「さようなら過ぎ去った日々よ」が圧巻だった。赤いドレスで最後のセリフがとても良かった。良い休日。
5/31(金) 会社の近くでたまたま友達とすれ違って嬉しい。
【音楽】
・Azymuth「涼風」。爽やかおしゃれ。
・Air Supply「Lost In Love」。爽やかで眩しい。ポップ。
・Bee Gees「小さな恋のメロディ」。同タイトルの映画のサントラ。なぜ今かというと5月になったから。映画の筋は童話的というかファンタジー的というか、なんということはない穏やかなものと記憶している*7が、何と言っても曲が良い。音楽映画と言っても間違いではない。日本でなぜか大流行したのもビージーズの功績だろう。この映画の1ヶ月前に公開されていた「フレンズ~ポールとミシェル」も子供の駆け落ち物語をエルトンジョンの素晴らしい音楽が彩る映画で、当時はこういう作りが流行っていたんだろうか? フレンズのほうがいささか現実味のある重さが印象深く、好きな映画として喋るのはフレンズである。
・うるさくてゴメンねBAND「under my feet」。かっこいい。
・井上陽水「陽水生誕」。コンピレーションアルバム。たまたま安く売っているのを会社のお昼休みに見つけて即座に買ってきた。陽水がビートルズのShe Loves Youをカバーしたりしていてすごい。中古らしく針飛びが数カ所あるが矮小なことだ。
・Meat Loaf「地獄のロック・ライダーII~地獄への帰還」。かっこよくて惚れ惚れ。人にはロックオペラに涙する瞬間もある。
・沢田研二「追憶」「静かなまぼろし」。小雨降れば一人待つニーナ。後者は松任谷由美がジュリーのために書いた曲で、どちらが歌っているバージョンも良い。
・Teddy Swims「I've Tried Everything But Therapy (Part 1)」。おしゃれなタイトルだ。こういうタイトル付けがしたい。
・Queen「QUEEN II」。クイーンといえばこのアルバム。音楽的な議論はさっぱりわからないけど、知ってるクイーンってこれだなーという感じがある。クイーンについては、やっぱり同じ時代を生きてみたかったという一点に尽きる。「湯気たまらん 湯気たまらん」など、名作空耳の宝庫のアルバムでもある。
・David Sanborn。どれというわけでもないが流し聴き。メロウだ。デヴィッド・サンボーンを教えてくれた知り合いたちの誘いを今月2回も断って自己嫌悪。知り合いたちはいつも神保町の固定のお店に集っていて、日々古いロックを演奏して楽しんだりしているのだが、普通に仕事が終わらなくてその会に全然参加できていない。行きたい。
・安全地帯「風」。振り返ると何もない空なのに僕だけが難しいことは……ある。そういうことは多い。涙を集めてきた♪の部分で、毎回“集めて早し最上川”がよぎる。
【本】
・松苗あけみ『続・純情クレイジーフルーツ』全5巻。漫画だから1日で読めると思っていたら大誤算で、1ヶ月かけて3巻。漫画に没頭できなくなった。これは私の集中力が金魚並に低いからというだけで、純情クレイジーフルーツは本当に面白い。絵も美しい。丁寧な書き込みも好き。
・佐川恭一「最高の夏」anon press掲載
全ての文字が面白くて無駄な文字が1文字もない。これが人文学というものです、と言っても差し支えない。樋口恭介の作品紹介も素晴らしさを的確に言い表していてすごい。
登場する単語に踊らされて下品な作品だと評価する人はいるだろうか? 一見過激なので、少し読んで慌てて閉じる人もいるだろうか? どちらも割合少ないだろうが、いなくはないだろう。そういう人とは折りが合わないから私の前に現れないでほしい。
作品の重要な部分にマーカーを引こうとすると全文が真っ黄色になってしまう。自分のためのメモとして少しだけ。読書体験としてリアリティがあった箇所。
「驚くべきことに、同じ作者の別の作品でさえだめだったのである。ただマンション管理人の小説*8だけが、ぼくの手の中でいつまでも光り輝いていた。」
・河野美砂子『ゼクエンツ』
シューベルトの短歌に惹かれて買ったが、思いのほか犬の歌が多くて嬉しい。作家が一緒に暮らしている雑種のろくという犬のことがしばしば詠まれている。犬は雑種に限る。
ピアノへの感情や、死との近接は共感できるものが多かった。
「シューベルトのCisDGに〈死〉を聴くと先生は言ひき若かりしわれに」ピアノソナタ『幻想』第二楽章 第39~40小節
「なりゆきは必然だった下降する音型も雪も君につながる」
「駄目と言はれ駄目と言はれたことをまたなしたる犬よさびしい目して」
「来たときはこの階段ものぼれずに黒耳垂れてゐたよおまへは」
【映画】
ついに1本も見ていない。ついについに! 有言実行。映画を見る時間は全て天井を見る時間に費やした。私の部屋の天井は屋根の形をしていて頂点のところまで手が届かない。それにしても壁や天井に映る自分の手の影が好き。
……と言えればかっこよかったのだが、映画を2本も見てしまった。
・「いつも2人で」(1967年)*9。
two for the roadという原題がおしゃれ。これは誰かと見たいタイプの映画。高校の頃の私がひどく好きな映画だったのを思い出して、急に見たくなった。
ここまでが映画を見た言い訳。
夫婦のステージに合わせて色々な車遍歴を見られるのも楽しい。
母の習っている音楽の先生が6月にリサイタルをやるというので来月行くことになった。リサイタルの演目にあったプッチーニ「私のお父さん」をyoutubeで予習していたら、コメントに「この曲を聞くと、映画異人たちとの夏を、思い出します。」というのがあった。“へぇ、山田太一のねぇ”、と流していたはずがなぜか見ていた。
ここまでが映画を見た言い訳。
死んだ両親の出してくるご飯は食べちゃいけないでしょう! と思いつつ、しかし実際、会いたい死者が目の前に現れたら「冥界でもどこでも連れて行ってください、さあさあ」という態度を取ってしまうと思う。
死者が出てくるのに決して暗くならない(引きずられない)映画。さっぱりと明るい良作。泣けそうで泣けなかった。上手い乗り越え方があるのだと思える。
【同人誌】
進まない。進みそう。
【所感】
今の先輩は表記揺れを見つけるのが本当に早い人で、こんなブログを読んだら気持ち悪くなってしまうだろう。
さていくつ表記揺れがあっただろうか?
表記揺れを直すという感覚は後天的に学んだもので、なぜ揃える必要があるのかはよくわかっていない。読みやすさの問題以外に尊さはないような気がしている。
仕事の工程の1つに、著者が原稿に書き込んだ修正指示をそのまま書き写すという作業があって、つまり単純作業なのだが、今のところ1番好きな仕事でもある。ピアノとかシャワーとかと似ている。
仕事を初めてから一気に月末と月初の乖離が目立つようになった。毎日を成し遂げるのに夢中で俯瞰的な視点を全く持てていない。
今の私はどんどん世界を狭くしていく方向に進もうとしているので、それに伴って書くことも書きたいと思うこともどんどん少なくなっていくだろう。なんて健康なことだろう。
とにかく毎日を終わらせることだけを考えていて、本当にちゃんと6月が来てくれるのか心配だ。
よく泣くほうではあるが、31日は特によく泣いた。「理由」というのは何事についても説明し得ない。説明し得ない理由は簡単で全てが理由だからだ。
6月は嫌いだし待ち受ける7、8、9を思うと絶望的だ。
木の葉に当たる雨の音を聞いて雨が降り出したことを知る場合があるが、傘を差してみると意外と雨が当たらなかったりして、自分が木の下にいたことを知る。ホワイト企業を目指している我が社は8時に強制退勤させられる仕組みになっているからつまり、家の近くを歩く9時頃の話ということになる。近所の家の噴水は冬は干上がっているがいつもこのくらいの時期から水を流すようになる。雨だけではなくて噴水の音が混ざっていたと気がついて、気がついた頃にはもう雨が強くなっているから考えが追いつかなかったことに気が滅入る。
*1:陽水の話だが、ダンスは今現在に至るまで流行している。
*2:状況を伝える筆力が足りない。伝わっていてほしい。
*3:結局、理というのはあるのかないのかよくわからない。理不尽という単語が入った文章の次の文章に道理という単語が繋がるのは見ていて面白い。大学の授業で野村先輩が、「運命と偶然とは結局同じことを意味した単語だ」といったようなことを言ったのをたまに思い出す。実際はもっとおしゃれな言い回しだった。
*4:「ここへ座ってくれ」から「すべてがわかったと言ってくれ」「世界中に発表してくれ」への発展は見事で惚れ惚れする。つまり「ダーリング」という歌の話だが、阿久悠はすごい。
*5:これでうつすと読ませるのは間違っているが好きだ。というより吉田戦車が好きだ。
*7:あらすじ:11歳のダニエルは同じ学校のメロディに一目惚れする。2人はお互いの悩みを打ち明けたり、学校を一緒にサボったり、仲良くなっていく。2人は結婚したいと思うようになるが周りの大人は取り合ってくれない。ダニエルとメロディは自分たちだけで手作りの結婚式を執り行おうと、クラスメイトを巻き込んで集団脱走する。2人が誓いの言葉を交わそうとしたとき教師たちが乱入。ラストでは2人の子供が一所懸命トロッコを動かして彼方に消えていく。
*8:どんな文学作品にも没入・感銘できない主人公が出会った、彼にとって唯一の文学。「気弱なマンション管理人が様々な美人妻の弱みを毎回うまく握って行為に持ち込むという連作短編で、特に第二章の美人妻が後ろの穴も開発済だとわかるところが最高に良い。」とのこと。
*9:あらすじ:夫婦が出会ってから12年間、幸福なときや幾度かの倦怠期や和解、浮気といった様々な場面を乗り越える様子を描く。複数の時間軸が自在に行き来して思い出の瞬間が辿られる。愛を温め直すことをやってのけた2人の確固たる部分に惹かれるし、また、「素晴らしい今この瞬間」が過去になるのを嫌う私にとっては、時が移りゆくことを許す気になった有難い映画。
*10:あらすじ:売れっ子脚本家の原田は妻と別れて一人暮らし。ある日幼少期に亡くなったはずの両親と再会し、嬉しくて通うようになるが、原田の身体は知らないうちに衰弱していく。同じ時期に、艶かしくも儚げな隣人の女性Kとも親しくなるが、素性は掴めないまま。孤独と夏は異人たちを引き寄せるのにうってつけ。