9月。
秋はデカダン。
秋の夜長に熟読していってください。熟読用に長くしてあるから。
「ユリシーズを読むことはできない、できるのは再読だけ」状態になっていきたい。もうすでに人間1人の記録としては十分な気もする。でもアーカイブ論をよく知らないので適当なことは言えない。Chat GPTにこれまでのブログの全文を読ませてMBTI診断を頼んだら自己診断と同じ結果になって、そういう当たり前のことが面白い。「ある年代のある性別のある地域のある〇〇(以後あらゆる属性)を生きた人間」の再現としてはもうそろそろ完璧で、あとは何が足りないだろうか? 神を再現するように言われた学者がコンピューターに神にまつわるあらゆる情報を詰め込んでいくとコンピューターが光りだして神らしきものが完成したという寓話*1が大好きなのだが、あとどのくらい情報を詰め込めば私が完成するだろうか? 確かに、肉体を持たなさそうな神は情報だけ集めていくやり方とマッチしやすそうだ。反対に肉体ありきの私は、完全再現となると物質から揃えなくてはならず、コスパもタイパも悪そうである。神製作とは違う、画期的な手法を考案しないといけないかもしれない。
この9月はなぜだか、Don’t Rain On My Parade*2の気持ちになることが多かった。邪魔者・曲者・ならず者が多かったらしい。
どうして世間の人は事実が好きなのか? 事実事実と事実のことばっかり口うるさい。
前に言っていたことと違うねなんて言われた日には無粋さに辟易してしまって唇が門くらい重くなる。きっと惑う覚悟がないから事実が好きなんだろう。
9月のほぼ全日の日記
9/1(日) 彼氏の友達と、彼氏と、3人で飲茶を食べ、青いお茶も飲んだ。新宿伊勢丹横の紅茶専門店には数千種の紅茶に詳しいセールスの上手い店員さんがいた。彼氏の友達は小粋でおっとりしていて大人びていた。彼氏の友達と彼氏のおかげで休息の日曜だった。彼氏の周りは良い人がいっぱい。
連日の雷を怖がる犬は父の側から離れない。
9/3(火) 学会に行って発表の合間の10分で忙しなくゲラを読んでいるとき、とても編集者っぽい仕事をしているなと思う。肩書きはすでに編集者なのだった。勝手に今週は19時に退勤する週と決めて、何があっても帰ってきた。別に早く帰ったところで進みが特別遅くなるわけでもなく。
宇宙から気まぐれにやってくるウイルスのことを考えた。
9/4(水) 朝から隣の部署が著者トラブル関係で大変そうだった。前に同じ編集部だった先輩と一緒に打ち合わせに行く機会があり、久しぶりに2人で話す時間が作れて嬉しかった。帰りの電車の中で、シュークリームかドーナッツを買って帰ろうと意気込んでいたのにいざお店の前に来ると鞄の奥に入ったお財布を取り出すのが面倒になってやめた。
9/6(金) 会社を追い出される20時に滑り込みで大量のメールを送り逃げしてきて爽快!月曜日が怖い。今週ここまではやりたいなというのをある程度終わらせることができたのも初めて。
いつかの父との会話で、ジョホール海峡の話になったのを思い出した。「ジョホール海峡ってなに?どこ?」と私が聞くと父はそんなことも知らないのか、と言い「マレー半島の海峡だ」と教えてくれた。「ふーん」と答えた。響きが良いから何かで登場させたいところ。
9/7(土) ピアノ、図書館、クリーニング屋。急遽入ったインタビューのためにその人の著作を4日以内に読む必要があり、どの本屋にも在庫がなく図書館へ。読みたかったのはあったし、同じ著者の本で貸出中のものも結構あって、普段来ない図書館が意外と活発だったことを知る。ありがとう砧図書館。図書カードを再発行しようと手続きをしていると、司書さんが訝しげに「最近名字が変わられましたか?」と聞いていきた。下の名前と生年月日が同じでそこそこ近所に住んでいる人の登録があったそうで、重複登録かと思ったらしい。こうやって自分の性別を突きつけられるのはよくあることだ。可もなく不可もなく「ふーん」と思った。
夕方は彼氏と会う。観葉植物が増えていた。観葉植物を愛でたりするのがよく似合い、すごいなーと思う。
9/8(日) 能を見に行くつもりが朝起きられず、いや、正確には朝起きたしちゃんと準備をして出かけることも可能だったが、やたらと疲れていて、チケットを無駄にするのは迷惑だという気持ちと今日の休息を天秤にかけた結果、行かない方が懸命だという判断になった。本当に最悪だ。かなり行きたかった金春会の定期能。悔しすぎる。金春会に電話までしたのに行かないなんて金春会に失礼極まりない。金春会への懺悔の気持ちを抱えながら、仕方なく休む。
休みながらずっと休みたかったなーということを考えた。毎日毎日しっかり寝ながらなぜこんなに? 体力が無さすぎて意味がわからない。
9/9(月) 著者と打ち合わせ。「本を書いたらどうですか」と言われたのは編集者としてはかなり良くないのかも知れない。が、全く気にしてない。編集者としての自覚が全然ない。お金持ちの著者がシャインマスカットをくれた。お金持ちって贈り物を自由にできていいな。私もあげたいときにあげたい。
9/10(火) 先週の自分のおかげで今週は仕事がソフトモードなのになぜか疲れる。
9/11(水) インタビューを1人でやったのは今日が初めてだった。盛り上がって楽しかった。会社終わり、急遽彼氏とプレゼント選びをすることになって、新宿の伊勢丹に。2時間くらい一緒にまわったけど決められなくて、明日に持ち越し。彼氏はプレゼントを無事買えて良かった。髙島屋に移動しようとしたけど8時で閉店してしまったので、虎屋のあんスタンドに寄った。虎屋の素晴らしく美味しい餡を食べながら、「はて、これはただのアフターファイブのデートというやつだな」と思った。仕事終わりのデートはあまりしたことがないから楽しかった。
9/12(木) なんとなく、ダメモード。なんとなく、クリスタル*3。絶対に連絡が来てほしくなかった人からの連絡が来てしまった。調子が狂う。大嫌いな会社の健康診断も行われた。採血が本当に嫌い。嫌いというか、あのフワッと浮く感じが怖い。前の人の採血が目の前で行われていたせいで低血圧になり、血圧のコーナーも測り直しになって、採血前から不穏が漂う。いざ採血は今年も「フワッ」の感じが長く続いて自分の何らかが遠のいていったのがわかった。担当のお姉さんの「お顔真っ青ですねー♪」という声かけで正気に戻るも、無念、すぐには立ち上がれず。これだから本当に体力を消耗する。戸塚ヨットスクールに入ったほうがいいかもしれない。
別に採血だけじゃなくて全部嫌いだけど。
帰り際、随分前に共有フォルダに入れておいたはずのデータがなぜか消滅していることが発覚したり変な日。表参道のイッタラに寄る。全部可愛くて楽しい店内。無事プレゼントを買えて安心。家では食洗機が水漏れしていて騒ぎに。変な日!寂しい。
9/13(金) 午前中やる気がなくてほとんど仕事できない。午後はまあまあ働いて下版に備える。今日は穏やかな停滞。
9/14(土) 両親と犬は伊豆へ行った。私はピアノに行き、新潟へ発つ。新潟から溢れる古都の風格がとても好き。夜は酒田へ移動。ホテルの1階にあった図書館が新しく充実していた。
9/15(日) 土門拳記念館に白鷺がいた。土門拳の写真は、今の写真芸術の潮流の大元を創ったような気がした。みうらじゅんが以前、デヴィッドボウイの美は半跏思惟像だと言っていて、その発言がなんとなく土門拳の目に影響を受けているような気もした。もちろん事実としてデヴィッドボウイは半跏思惟像とよく似ている。
最近酒田に引っ越してきた友達と、その旦那さんと合流。本間邸や酒田市美などに連れて行ってもらった。友達と彼氏が集う場が一番嬉しくて一番緊張する!
9/16(月) 酒田から帰ってきた。
9/17(火) 行きの半蔵門線で窓が開いていて、青山一丁目から永田町の間のトンネルが轟々と鳴っていて見惚れた。下版。
高等教育を受けてしまうと、わからない言葉をすぐに調べるのは良いことと刷り込まれるが、本当に? その刷り込み、今一度疑ったほうがいいんじゃない?
9/18(水) 下版。お昼休みに「4分だけ」みたいな寝方をしている。わずかな睡眠。
三井ビルのトイレでマクベス夫人くらい長く長く手を洗っている人がいた。それを見て手を洗うのは大事だな、と思って、隣で一緒に洗い始めた。それでもマクベス夫人は洗い終わらなくて、手が乾燥すると思って撤退した。
9/19(木) 下版後のほうが意外と忙しいことをここ数ヶ月で学んだ。私の中に言葉はなくて、あるのは印象の連続。
9/21(土) ピアノがあると思い込んで早起きしたけど先生がお休みの日だった。浮いた時間を何に使うでもなく新聞のクロスワードを解いたりして楽しかった。こういう休みが一番好き。結局解けなくて、私がお風呂に入っている間に父が完成させてくれた。尊敬してしまう。私はその下にあった数独を瞬く間に解き、褒められた。
注射のため、3時くらいに病院に行くととても混んでいて1時間半待たされた。受付の方から「さっきの方、〇〇(私の苗字)さんじゃないかも」「え、間違えた?」という会話が聞こえてきて恐れ慄く。ただでさえ病院が嫌いなのに。どうやら同じ予防接種を受ける人がいて順番が前後したようだった。望んでいない注射をされた人はいないようで安心した。
ようやく順番になって謎の地下室に案内される。豪華な椅子に寝せられ、30分安静にするよう言われる。荷物を遠くに置かれてしまい何もすることがない。偶然のデジタルデトックス。やることがないとすぐ寝てしまう。今朝の夢の続きを見た。
病院はとにかく避けたいが、また11月の予約を入れられてしまった。
ここまでの間で、彼氏とのラインが若干ピリピリしていた。ラインのピリピリは本当に難しい。何事もわかった気になってはいけない。そもそも人と付き合うのが向いてない。
夜は彼氏と彼氏の友達カップルに会いに行く。本当に良い人たちで感動しきりだった。本当に良い人のうちの1人は、爽やかに沢山飲んでパッタリと寝て、それを見てさらに、本当に良い人だという思いが強まった。
9/22(日) 彼氏と買い物など。似合う服を手に入れていく行為はいつだって楽しい。
彼氏と話していると2人とも内向的すぎて可笑しくなってくる瞬間がある。自己分析のために会ってるわけじゃないはずなのに、2人とも自分について考えることで忙しい。私が聖書を書くなら内向人間のために「なんぴとも発言を振り返ってはならない」という項目を作る。例えば「この際だから言っておく。空に放たれた言葉はその瞬間、あなたの所有物ではなくなる。だからかつて自分の物であった言葉について深く考えてはならない。」
立ち寄ったカフェで提供された飲み物の蓋がSDGs使用でよくわからない組み立て(?)をしなくてはいけず、意味不明な蓋を意味不明な様子で組み立てる彼氏がかっこよかった。
9/23(月) 午前中は寝るだけで過ごして良い始まり。本当に嬉しい。部屋が汚いので片付ける。犬と図書館に本を返しに行った。家を出るときに「今日は図書館まで行くよ」と言ったら門を出るなり図書館まで一直線に走らされた。犬は図書館を見たことも聞いたこともないはずなのにどういう仕組みなんだろう。
前にいた犬の命日が今日くらいだった気がする。年月とともに受け入れられていて良いことだ。今いる犬の誕生日も今くらいの時期だった気がする。
9/25(水) 退勤後、週末に控える読書会の本を三省堂本店仮店舗に買いに行く。
9/26(木) 差し迫った仕事が特になくて仕事に身が入らない。こういう日にどれだけ進められるかが肝心なのに。涼しい快晴で落ち着く。せっかく暇だったから企画を考える日に設定して、資料室から60年前のバックナンバーを持ってきて眺めたりする。今は経営戦略的に(?)ビジネスビジネスした内容が重視されてるけど、昔は漫談とか載せていて面白い。折り込みの広告に、「見よこの編集力!!」というキャッチコピーがついていたのも面白い。「戦後」「戦時中」などのワードも頻出で、当たり前に戦争の影が濃い時代だったことを思い出す。特に経済界ならなおのことだ。再興の時代の出版社勤めなんて楽しくて仕方ないだろうな。やっと今の部署も半年弱が経ち、自分の癖に合ったスケジュールに徐々に変えてきたので余裕が生まれてきた。次に私がやりそうなのは、余裕をサボる日と勘違いすること・切羽詰まっていないからと言って落ち込むこと、の2点だと思う。机上に水をこぼした。パソコンとデヴィッドボウイが濡れた。そういえば『あむばるわりあ』に出てきた「噴水を濡らし」って表現、すごかったなーと思いながら特に拭きもせず仕事を続行。
寝る前にモーツァルトの新曲情報を知った。
9/27(金) 仕事相手はほとんどが即返信!即行動!みたいな人ばかりだけど、ルールに乗れていいなと思う日と病的だなと思う日がある。向こうからしたら疑うほうが病的なわけで病という単語への信頼の置けなさが強固になる。病という状態は一体何を指しているのか、みんなもっと考えればいいのに。
イギリスとの時差のため21時から仕事の用事があったのに、イギリスとの時差というのがかっこいいから楽しみにしていた仕事だったのに、なぜか繋がらなくて参加できず。参加してもしなくてもいいやつだったから支障はないけど。仕方ないから別の仕事を進めた。
「白水社の本棚」が休刊するかもしれないことを知り、とてもショック。「最近は刊行が遅くて心配だ」と犬々の日々に書いた懸念が現実になりそうだなんて。
家族が寝静まって私だけが起きていて、食器洗いをしている時間が結構好き。エルトンジョンに助けられる。
9/28(土) ピアノ。発表会まであと1ヶ月。今日は発表会の少し後のコンクールも案内されたけどさすがに日常生活と両立できなさそうだ。断るか悩む。午後は新宿へ読書会へ。楽しかった。18時に帰ってきた頃にはあたりが暗くて秋を感じる。犬を誘って散歩へ。暗闇の中でお尻をフリフリ楽しそうに歩く犬。白茶の犬だが、暗闇では白が映える。暗闇の中で楽しそうに歩く白い犬。
9/29(日) 服を買うのに母に付き合ってもらう。服情報のインフラとして母は頼もしい。母も私も沢山の新しい服が売られているのを見ると元気になっていく。
それにしてもロングスカートはいつまで流行っているのか。今のロングスカートは怒りのファッションであり、何か理不尽さ・窮屈さへのカウンターに過ぎない。街がロングスカートで溢れているのは虚しい。
一度家へ帰り、犬を抱えて寝る。
夜は友達と四谷へ。最近刺激がないので人生のステージ変更がしたいという話をした。ステージ変更というとお葬式くらいしか思いつかないと素直に打ち明けたら、友達は「転職とかもあるよ!」と教えてくれた。彼女は仕事にも変な人にも追われており人気者というのは大変だなと思った。
帰りの電車内で『82年生まれ、キム・ジヨン』をとてもとても険しい顔で読んでいる女の人がいた。表参道で険しい顔のまま降りた。
9/30(月) 休みを取って友達と代々木公園に行った。友達は最近仕事を辞めたため平日に会うことができてとても嬉しい。友達は姿が美しい。自然光の元が一番美しい。自然光は強く、曇りでも仰向けになると眩しい。
嫌いな音楽との折り合いがつかず、生活に支障が出ているという話をしたら、事実、私の嫌っているものには軟派だという共通点があるとの見解を示してくれた。むしろ軟派との共存を望んでいるが、嫌いは嫌いなようである。友達は各国・地域で別々の法律があることが怖いと言っていた。
映像
・「アメリカン・サイコ」
主人公のことが嫌いだし過剰な演出に胸焼けする場面もあったけどボウイの曲が流れると聞いて、ボウイが流れるまで見ようと思った。ボウイが流れたのはエンドロールだった。
衝動が他人に向くタイプの人は対策が難しいから運が悪いと殺されちゃうよね。主人公はブロンドコンプレックスがものすごい。ブロンドに対して以外にもコンプレックスだらけでコンプレックス人間すぎて、到底、人間1人が抱えきれる病状ではなかった。自他の乖離も激しい。肯定してくる人間を殺せないのはある意味で順当かなと思う。ずっと滑稽なんだけどかわいそうが勝つ。
可愛いテリア犬の目の前で殺人を働くなど極悪シーンがあるので犬好きは注意。
ちょっと前にナインハーフを一緒に見た友達が、「この映画ってアメリカンサイコみたいなこと?」と言っていたのが思い出される。ざっくり「ウォール街のかわいそうなサディスト」みたいな話ではある。本当にかわいそうで馬鹿でかわいそうで……。
・ほぼ日の學校でみうらじゅんがベンチャービジネスについて話していた8月29日公開の動画。「答えは風に舞っている」と言っていたのが示唆に富んでいた。業界人的なオーラがかっこいい。確かにポールにThere will be answerと言ってもらいたい日もあればボブディランにこう言ってもらいたい日もある。
・「銀河鉄道999」(1978年)。子供の頃に母から「メーテルとキャラが似ている」と言われたのを思い出してあれはなんだったのかと見始める。映画版を母と見に行って999が飛び出してくる冒頭シーンで私が怖がって帰ってきちゃった記憶がある。
第1話(以下丸数字)、曲がゴダイゴじゃないんだ、という衝撃。ささきいさお良いなー。鉄郎のお母さんの死体の艶かしさにうっとり。突然呼び捨てにしてくる謎の美女メーテルにもうっとり。メガロポリス中央駅の建築が結構好き。②色々な星にその星の1日分だけ停車していくというシステムがロマンがあって良い。⑤怖い美女が沢山出てくる。メーテルの過去が少しわかる。⑥鉄郎の銃の腕が上がってきた。母性描写がくどくなってきた。⑨お腹を空かせた旅人に鉄郎が奢ってあげたら我も我もと貧乏な群衆が群がってくる、というストーリー。リアリティを感じて食欲減退。途中のダイヤグラムの上に電車が描かれるカットがかっこよかった。⑩だんだん説教くささが鼻についてきた。形あるものは衰えるみたいな話を永遠にしている。これは啓蒙アニメなのかな。
挫折した映画
・「カジノ」
ブライアンフェリーが流れていた。
・「ファイト・クラブ」
ミートローフが出るらしい。
・「メメント」
アメリカンサイコと同じボウイの曲が流れるらしい。
・「黒いオルフェ」
曲が良い。
もうずっと思ってることだけど私の映画嫌いに理解者が欲しい。生きてる人ならなお良い。映画に対する諸々の感情に伝わりやすいパッケージングを施してくれる誰か。そんな人がいたら、「え、でもよく映画見てるよね?」なんて言われなくて済むのに!ああ、全く*4。
音楽
今月はロックよりポップ。
・エルトン・ジョン「Too Low for Zero」。良いアルバム。いつも気に入った音楽は飽きるほど聴くからもうすでにこれも飽きている。1曲目の「Cold As Christmas」は泣ける人が多そうだ。エルトンのヒーロー感はつくづくすごい。目も悪くて髪も薄くてそのほか薬物依存など諸々、この寛容でない社会で成功するには多すぎる困難の量だ。エルトンの後輩の言動とかを見てると上司としての適性もあるようだ。
・杏里「Timely!!」。
・井上陽水「カミナリと風」「カナディアン アコーディオン」など。
本
・ジャネットウィンターソン/ジェーン・レイ『カプリの王様』(2012)
酒田の図書館で読んだ本。色彩が色々で絵本の良さがあった。食べることが大好きな王様と貧乏な洗濯屋の女の人の話。ラストの急展開な愛が良い。
・仕事で読んだ本2冊続けて。
『世界史の中の資本主義』(2013)
『世界システム論で読む日本』(2003)
どっちも難しかったけど面白かった。10年前、20年前の時点で資本主義がどの段階にあったのか、古い本だからこそタイムスリップして答え合わせしている感じ。難しかったので箇条書きのメモをそのまま。
「市場」と「資本主義」は「等価交換」と「不等価交換」の違いがあり、両者は逆の指向を持つので区別するべきである。/資本家は市場を自分にとって都合のよい形に変化させ、競争相手との関係の非対称性を作り、利益を最大化させる。/大きな資本が存在しなければ行うことのできなかった経済活動があり、資本主義も独占も本来的に悪というわけではない/【市場に内在(寄生?)する反市場的な力としての資本主義という捉え方】市場は人間がいるところにはどこにでもあり、資本主義は市場があるところにはどこにでもある/資本主義の本質は利潤を上げ続けることにある/「スミス的発展」世界経済全体のスケールで実体のある健全な投資先が十分にある局面の発展を指し、投資先が市場の発展によりすみやかに社会に富をいきわたらせている状態。市場が広がる速度の方が資本主義が独占を進める速度よりも相対的に早い状態/「マルクス的発展」資本主義は市場の発展に力動性を与える力となるが、同時に、市場を健全な形からゆがめてしまう副作用も持っている。実体のある健全な投資先の不足のなかで、市場での独占が進み、人為的な価格形成が常態化し、それによって独占がますます昂進する。/モノが市場に行きわたる→モノへの投資が大きな利益を生まなくなる→商品の価格は生産コストぎりぎりになっていく→生産活動に対する投資は利益を生まなくなり、投資家から見た魅力がなくなる→投資先が金融商品に向かう→価格に意図的な落差を生じさせ、局所的な過剰変動性が生じる→社会の不安定化。「資本主義の金融化」/平等を指向する民主主義と自由(結果的に格差)を指向する資本主義。政治的には民主主義が主流、経済的には資本主義が主流だが、根本的に矛盾する両者のバランスをいかにとるか。/ポランニー「労働・土地・貨幣という生産の三大要素については商品として市場にその循環を委ねるべきではない」労働:生きた人間、土地:自然環境、貨幣:社会基盤を成す信用の蓄積。これらを商品として扱うと、人間がモノのように処分され、自然環境の破壊が起こる。/政治の機能低下に伴い人々の関心は個々の利害に向かい、国民意識は低下している。/連帯(リスク共同体)の単位の多元化・複層化が進み、国民国家の分解が始まっている。資本主義の最後のフロンティアはクリエイティビティ。クリエイティビティは連帯の中から生じる。市場が資本主義に抗して創発性の場の中心として適切にマネージされることが重要。集合知を活性化する市場の新しい仕組みが市民社会の連帯につながっていくことは、いわば民主主義によって資本主義を飼いならすこと。
・鴻池瑠衣「すべてを抱きしめる」(2024)
「新潮」10月号掲載の新作。悔しい。私が普段人に喋ってまともに受け取ってもらえない考えがしっかり何節も書いてあって、こうやって伝えればor媒体次第では、人に読んでもらえるんだということを突きつけられていて悔しい。こういうとき文章が上手いと感じる。
鴻池瑠衣なのにつまらないし全然おすすめじゃないけどとにかく悔しい。上手くて悔しい。鴻池瑠衣なら『最後の自粛』か『わがままロマンサー』か『ナイス・エイジ』か『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』かimidasでやってる小説家対談がおすすめ。
ラブレターまがいの感想を送って、おしまい。
・ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』(1918〜)
後述。
読書会 9/28(対面)
「忙しいから読書会がやりたい!」という私の希望を、優しい友人2人が叶えてくれた。
日々、仕事で文章を読む必要があり、学生の頃より読む体力がついている。仕事で読む論文は面白いけど自分の興味の本筋ではない内容なので、ジンブンガクの議論に飢えている。しかも日々仕事に追われるのが悔しくて趣味への体力も増しているときている。とはいえ原典に逐一当たるような時間と気力はない。
ということで、のんびりした読書会をやりたい!と思い立ったわけだった。私が普段友達と会うときは1対1が多く、「会」なら友達が集う最高イベントになりそうだ、という目論見もあった。
とりあえずいつも困ったら何でも聞いている大学の友人に声をかけてみた。快く受けてくれ、「ユリシーズを読んでみたい」とのことだった。彼が最近聞いているバンド*5の歌詞がユリシーズに影響を受けて作られているらしい。ユリシーズに関して、アイルランドの長い小説、くらいしかイメージがなかったので、せっかくだし読んでみたくなった。彼も私も文学(小説)専攻ではなかったので文学の人もいると嬉しいねとなり、文学専攻だった友人にも来てもらうことにした。
一旦は月に1回1時間程度、1章ずつ扱い、基本はオンラインで開催する予定で、全何回にするかは未定。続いてくれれば嬉しい。コアメンバー以外は柔軟な変動も可としていきたい。
第1回は1番初めの「テレマコス」。
・まず前提共有。『ユリシーズ』はある1日のダブリンのことが様々な時刻と視点で綴られていて、作者のジョイスは「アイルランドが沈むことがあっても『ユリシーズ』を読めばダブリンを再現できること」を目指している。主要登場人物の1人スティーブンはジョイスの投影と言われている。
第1章「テレマコス」はマリガンとスティーブンという2人が中心になっている。
・初読感想共有。引用や固有名詞が多くとっつきにくい、なんの話かわかるまで時間がかかる→「『ユリシーズ』を読むことはできない。できるのは再読だけだ。」と言われているように、何度も往復したり飛び歩いたりすることで真価を発揮する文学だと合意。
・会の最終目的は何か?→『ユリシーズ』を面白がること、ジョイスの言うようにダブリンを再現できるくらいになりたい。
・『ユリシーズ』は外国人、異世代人の我々こそ読めるとの意見。アイルランドの彼らの言葉で普遍的なものを目指す目的で書かれたものであり、世界文学の体裁をとっている。こういうものだという記録であり、前提知識の無いまっさらの我々こそ、読みやすい。
・「テレマコス」は、人間を自然的に、自然を人間的に描いている。これはなぜか?→人間を描きたいのではなくダブリンを描きたいのだという第1章の印象づけとしてではないかとの意見。それにしてもくどさは感じる。
・場面転換は塔の中から海へと、始まりの比喩としてわかりやすい舞台装置。
・マリガンは粗野で荒っぽく、皮肉屋。明るく見えるが陰は感じさせる。スティーブンとは共同生活を送っており、マリガンのほうが少し上。スティーブンは過敏で暗く、『ユリシーズ』研究においてはスティーブン嫌いが1つのテーマになるほど読者に嫌われているらしいが、「テレマコス」までだけを読んだ我々はむしろマリガンのほうが好感度が低かった。スティーブンが自分の内面に向かって喋り続けているのをいつもマリガンが遮る役割をしている。マリガン不在の第3章ではスティーブンがひたすら内面独白をし続けてしまうらしい。
スティーブンはマリガンにひどい皮肉を言われながらもどこか一目置いている。条件だけを考えれば、マリガンが暗いスティーブンと一緒にいる意味はないが、むしろマリガンからスティーブンへの執着が読めるような気がするとの話になった。
・スティーブンがマリガンを観察して、「バック・マリガンの頬がさっと赤らみ、そのためにもっと若く、もっと魅力的に見えた」という一文がある。これはスティーブンがマリガンに酷いことを言われている最中の観察で、一見、皮肉を言ってくる嫌な相手を「魅力的」と表現するのはミスマッチである。「テレマコス」の中で艶っぽさを感じさせる記述はこのたった一文だけで、むしろそれが人間世界の複雑性をうまく表現しており、小説に深みをもたらしているとの意見。
次回は第3章の「プロテウス」を扱う予定。うまくいけばメンバーが1人増えるかもしれない。主催者としてはもう2、3人増えれば嬉しい。
10月への展望
10月も11月もすでに土日が埋まりつつあり、自分の未来が想像できてしまうような錯覚に陥るが、もちろん予定通りというわけにはいかないだろう。
太陽が昇り落ちていくまでのほんの短い間何をしたらいいのだろう、と西城秀樹の歌がリフレインする。
その他
自分のブログをたまに読み返そうとすると、長くてとても読めない。ただ長いからスクロールが楽しい。長いページの醍醐味はスクロールで、どんどん早くなっていく文字列が綺麗で楽しい。たまに止めると意味を持った文章があってそれも楽しい。
病院の人に言われて始めたこの「日記的なもの」も、確かに効能があると立証されつつある。前より気分が良い。それでも『八本脚の蝶』*6で終わる可能性もまだ残っているし。全ては波。答えは舞っている。永遠のシュール。世界はシュール。世界は疲れる。とても疲れる。疲れた。なんだかとても眠いんだパトラッシュ……*7
(最終編集:10月6日)