髪がどんどん抜けて困る。見た目は何よりも大事なので困った困った。
1ヶ月がとにかく短い。時間は平等ではないので当たり前か。
あと10年経ってもまだ35歳なのしんどい。
それでも涼しくなってきて機嫌がいい。
日中は誤字を探したり半角と全角を見分けたりする仕事をし、お昼休みは大体古瀬戸珈琲にいる毎日。今の部署も5ヶ月も経ってしまった。古瀬戸珈琲に10万円くらい一括で払って毎回のお会計の手間を減らしたりできないかな。土日はピアノや友達や彼氏や、平日から溢れた仕事や家事や、何かしらで過ぎ去る。信念のもと大枠を変えずにいる。大枠というか型を繰り返すことが最近のテーマ。世阿弥*1は実は型という用語は使っていないらしい。伝聞なので本当かどうかは不明。
特筆すべき日
8/1(木) 休み。合計5日間の休みを取らないといけない決まり。何も用事がなくて嬉しい。平日に休みだと友達たちはほぼ働いてるから用事が入りにくいのも嬉しい。
8/3(土) 目が覚めたときには体調が悪くて、めまいと頭痛がひどい。土曜日に体調不良になるのは癪に障るので、気がつかなかったことにして予定を決行。
まずピアノに行く。楽譜を見たり手元を見たりで目線をこまめに動かすとめまいが起きるので、極力、楽譜だけを見る。気合。
昼は寝て、夕方は親友と会う。親友の仕事の話が結構好きで、これからも倒れない程度に沢山働いていてほしい。最近の中トロラジオが落ち着き払っていて老成ラジオになってきた話などの雑談であっという間に時間が過ぎる。その間、みるみる体調が悪くなってきて申し訳なかった。
家に帰ったら父が「マッドマックス2」をつけていて、10分くらい一緒に見た。登場人物みんな体力があっていいなと思った。
体力がないくせに月~金の仕事に体力を配分しすぎていて、土日に体調を崩しがち。頭が悪い!
8/4(日) 熱まで出てきて完全に具合が悪かったので泣く泣く友達との用事をキャンセル。暇だし何もできないから仕方なく仕事関係の本を読んだりしていたけど、人に会えない休日はつまらない。
8/5(月) いけるかなと思ったけどいけなかった(体調が)。午前中、赤坂見附の税理士法人で打ち合わせをして早退。なんて不甲斐ないんだ。幼少期からどんな病気でもとりあえず見てもらっている小児科に行く。先生が医療機器マニアで行くたびに新しい機械を見せてくれる。そんなに重篤じゃない私に絶対にそんな機械は必要ないのに、と思うような新品の凄そうなやつで色々測られた。
コロナでもインフルでもなく風邪だったので、人に迷惑はかけてなさそうで安心した。薬局はひたすら穏やかな時間が流れていてこういう日常もあるのかと思った。風邪とかをひくと強制的に休むことになるからこれはこれでいいのかもしれない。
8/6(火) 元々休みの予定だったので良かった。夜出かける準備をしていたら「病み上がりなのに夜出歩いちゃダメでしょ!」と母に言われたが、数ヶ月前から決まっていた用事に行かないわけがなく、元気だから!と叫びながら走って出てきた。
ビルボードで良い音楽を聴き、良い気分。
8/9(金) 帰り道、小田急線が止まり、友達と電話しながら渋谷経由で帰る。とても蒸し暑い。
8/10(土) ピアノと病院。病院はいつでも混んでいる。
8/12(月) 親友と彼氏と3人で夜ごはんでここに幸せがあった。知ってたけど改めて2人とも良い人だった。なんで私を評価してくれるのか不思議。
8/14(水) 家族が全員で伊豆に行ったので、私は彼氏の家に居候する。お盆中で仕事相手が休みだったりと、下版前なのに各種作業が滞ってむしろやることがない。
8/15(木) 他人の家で目覚めると今日が平日だったことを忘れて会社に行くのも忘れそうになる。が、しっかり働いて楽しい気分。下版前なのに色々な人と連絡がつかない。
8/16(金) 他人の家で目覚めると今日が平日だったことを忘れて会社に行くのも忘れそうになる。が、今日は台風台風とみんながうるさく、朝から会社のスラックが動くので、会社に行くことを忘れないで済んだ。上司たち(高齢化に伴い、フロアのほとんどが役職者だし上司)も台風台風と言って平社員の私は早退させられた。久しぶりの家!人がいなくてもそのままでいてくれて嬉しい家!悲しい人とは会いたくもない/涙の言葉で濡れたくはない*2のはずが、悲しい人と喋って引きずられた。さみしいときは青青青青青青青*3、ではなくスペース。
8/17(土) 昨日の余韻で落ち込むが、ピアノを弾いたり無理やり動いたら少しマシになった。誰もいないから母親のレコードを物色したりする。
夕方は著者の人たちと落語に行く。寄席に行くのは初めてで良い経験だった。ひとつずつの演目は面白いが、5時から9時までで長いので、面白いものが長いと長いなという気持ちが勝つ。
新しく作られた演目だとしても、笑わせどころが古く、大声で笑うという感じにはあまりなれなかった。話に取り上げる題材や言葉遣い、客席でご飯を食べてもよい雰囲気など、全てが庶民的でそこがよいのだろうが、庶民的な面白さを求めるなら現代に生まれた娯楽の方が現代人には合うし、逆に「伝統芸能」という括りに入れるならもう少し格式があってもよいような気がするが、それは落語の伝統と成り立ちから外れることくらいはわかるので、さあどうしたものかな、という、今の時代にわざわざ娯楽として楽しみに行くためにはいくつかハードルがあるような気がした。ここまで書いても感じた問題の所在はよくわからないというか、とりあえず容姿を笑うネタとかは今後どうしていくのだろうという傍観と興味の姿勢でいる。
8/20(火) 今月も無事下版が終了し、次なる仕事が続々と出てくる。
8/23(水) 病院や銀行は本当に嫌いだが病院と銀行をこなし、夜は高校の友達とへぎそばを食べる。へぎそばが大好きなのでテンションが高い。久しぶりに四谷ー新宿間の甲州街道も見れて最高にテンションが上がる。はしゃぎながら撮った甲州街道の写真は全部ぶれていた。そのくらい甲州街道が大好き。そのあとで大学時代によく行っていた「私の隠れ家」というお店にも寄って(今は名前が変わって「めしと酒の店 やかん」になっている)、楽しい時間。店主が覚えていてくれたのも嬉しい。
8/24(土) ピアノに行き、午後は友達と二子玉川。退職・転職・妊娠・移住などが、最近の友達たちからよく出るワード。
そういうイベントごとは大好きなので良いなと思うが、一通り終えた後の人にはどんなイベントがあるのだろう? 「終活」という単語は人間のイベント好きをよく表している。イベント好きというか自己家畜化というか。
8/25(日) 紛れもないデートに幸福感がものすごい。水族館に行ったりした。会うたびに爽やかさの増していく彼氏。
8/26(月) 今日もデートだったが、仕事が大量(大漁)のため一緒にいながら2人とも仕事をするデート。全く集中できず仕事が進まないことに私が落ち込んでバッドコミュニケーションだった。反省。毎月こうやって必ず1日以上は誰かとのバッドコミュニケーションがあり、その都度反省しているのに学ばない。
8/27(火) 初めての学会参加。とにかく沢山の名刺を交換する日。夜は教授たちとごはん。
8/28(水) 学会2日目。さすがに疲れた。学会は朝から晩までやっているから通常の仕事が全然進まない。友達からリリース予定のアルバムのデータが送られてきて素晴らしくよかった。友達の上手さがパッケージされていた。
8/29(木) やるべきことが溜まりに溜まっている。全然サボっていないのになぜ? 中トロラジオが更新されたが聞けていない。
8/30(金) ラインの誕生日登録を井上陽水の誕生日(8/30)にしているせいで、色々な人から誕生日おめでとうラインが届いて、ありがとうと思う。1人勘の良い人が「夏生まれに到底見えないがおめでとう」とメッセージをくれて洞察力に感心した。私の本当の誕生日は1人でいたい季節だしそれをちょっとずらして夏にお祝いしてもらえるのが嬉しい。陽水も76歳おめでとう。永遠の大人、永遠のシュール。
夜に体調を崩して眩暈が酷かったが、そこからどんな感じだったか残念ながらちゃんと覚えていない。いつでも紙とペンを持たないとだめだ。どんなことでも渦中の人間が書く文章にはリアル感があって貴重なのに逃してしまった。
8/31(土) ピアノは休んだ。午後は病院。
文字類
・『クジラの歌を聴け』多種多様な生物の繁殖戦略が知れる本。こんなに読みやすい本があってたまるかよと思うくらい読みやすい。絵も可愛い。生命の目的は究極的には次世代を残すことしかないということが手を変え品を変え言われていて、獣医学者からしたらそういうものかなと思った。
・「ロック好きの行き着く先は…」というブログが面白かった。ロック好きによる膨大な量のレビューが掲載されているので辞書的に使っていた。60〜70年代のUKロックが多め。
・『人イヌに会う』をぱらぱらと読んでいた。ローレンツの挿絵が可愛い。
映像類
・「ボーイフレンド」。綺麗で清潔にまとめられている。そしてとても流行っている。小競り合いの規模感が小さくて安心して見れる。みんな若くて清潔な考えの持ち主で眉毛が整ってる。人肉の臭みとか愛憎とかが全く排除されていて令和っぽい。愛着障害を持つメンバーがいるのも今っぽい。館山に前から行きたいなと思っていて、これを見てさらに行きたくなった。
・「ミッドナイト・エクスプレス」。トルコに旅行していたアメリカ人青年が出来心で麻薬を密輸しようとして捕まり、あまりにも酷い処遇に脱獄を決意する話。バイオレンスの連続。猫が酷い目に遭うから猫好きは注意。猫が苦手な私もさすがにそれはないと思った。ちゃんと悪役がいて、映画っぽい映画。こういう映画が好き。トルコに対して「未開で野蛮で司法機能がさっぱりダメ」みたいな描き方をしていて気になる人は気になるかもしれない。裏返しに映画っぽさを感じているような気もする。
スプーンで一掻きずつ壁を削って、みたいなことかと思っていたら意外とシュッと脱獄していたのは驚いた。途中の獄中恋愛エピソードは要らない。要らないが、そこで流れるジョルジオ・モロダーの音楽は素晴らしい。
バイオレンス系の映画で印象に残っている殺人シーンは数多あれど、(たとえばアランドロンの映画で敵役を車ごと解体用の重機でぐしゃぐしゃといくシーンや、なんの映画だったか忘れたけど汽車の火室に投げ込むシーン、etc)今回は悪役を散々殴って目を抉って、その上キスの格好みたいな感じで悪役の舌を噛みきってとどめを刺していて凄まじかった。
絶対に旅行先の国から大麻を持ち帰らないぞと決心させられた。
そういえばTikTokをよく見ているけど書いたことがない。あれはアーカイブ力の低いメディアだから文章にするのが難しい。そもそも動画ではなくて写真に近い。
海外風の日系美人が #ootd でその日の服に着替える動画が好きだがフォローとかをしていないためあれが誰なのかよくわからない。たまに流れてくるだけの、すれ違う人の人数が圧倒的に多くて、TikTokは結構現実に即している。
海外風の日系美人のうちの1人が最近アップした動画は、やたらとセクシーな感じで辛ラーメンを紹介するという内容で、可愛いし面白いし素晴らしい動画だった。
音楽
音楽に限らず、好きなものと嫌いなものが年々増えていて(≒「判断なし」または「好きでも嫌いでもない」というものが年々減っていて)、かつそれが制御不可能になっている感覚があって、例えば街で自分の好きではないジャンルの音楽がかかっていたりすると「そのノイズを今すぐに止めてくれ」という気分になる。ひどい日は全く集中できないし疲れるし、意味がわからなくてただただ悲しいという最悪の状況に身体を取られていく感覚がある。これは側から見ると、突然イラついている人間が1人発生しているわけで、誰も悪くないのに全員にちょっとマイナスで最悪。しかも嫌いなジャンルが流れる確率などもちろん高いわけで、最悪。
これは一体、対処法は存在するのか? 本当はみんなそうだけど我慢しているのか? 嫌さを出すまいとするのを諦めて、素直に嫌な顔をするのが自分を守る方法なのか? しかしそれでは30年近く社会生活を一応やってきたのを崩すようで怖いし、第一、嫌な顔を向ける先がない。
今月は音楽に関して顕著だった。来月は視覚か触覚か嗅覚か。天のお触れ。
もしかして、性格にも「中央」というのは存在していて、個体から個体へ世代を経るごとに凹凸のない状態を、人間という大きな生き物は目指しているのだろうか? だとしたら私は失敗例ではないか? いや、意外と種への貢献はできているのか? 疑問は尽きない。
長くなった。
・サザン「Kamakura」。夏が終わりゆく。
・デヴィッド・ボウイをよく聞いた。
ボウイが “you’re not alone” と歌ってくれる歌があり、邦題は「ロックンロールの自殺者」というが、ボウイの時代の女子高校生の何人かは一人称を「ロックンロールの自殺者」にして日記を書いていただろうなと思う。
Hoursのアルバムジャケットのように若い自分が老いた自分を抱いている写真は作りたい。今若い側を撮っておけば後で合成できるだろうか? 「Something in the Air」「the Loneliest Guy」など。
・Metro。ボウイのカバーで今月初めて知ったバンド。Metro名義で出しているアルバムは3枚しかなく、「Metro」、「New Love」、「Future Imperfect」の3枚。その間、メンバーは入れ替わっている。全て聞いて全て良かった。物で欲しかったが、神保町内のレコード屋では見つけられなかった。これは私がレコード屋の分布に詳しくないというだけで、あの街のどこかにはきっとあるはず。それにしても良いアルバムだった。
・8月最終週のベストヒットUSAの特集がブルーススプリングスティーンだった。ブルーススプリングスティーンのことはよく知らないけど、こんな気の良さそうなアメリカ郊外のお兄さん風の人が辛そうにBorn in the U.S.A.を歌っているのを見ると悲しくなる。キャラクター的にはサザエさんに出てくる三河屋のサブちゃんだろうに……。
・陽水の包容力に今月も助けられる。陽水はどこまで行ってもおしゃれ。こういう人がどこから来たのかどうやってできたのかどこへ行くのか気になる。「鍵の数」など。
・友達のバンド、アンニュイ・ホリデイが久しぶりの新曲を出していた。
創作
・「魚に会いましょう」というA42ページの短編を随分前に書いて、書いたきりパソコンの海のどこかにやってしまって自分ではデータを持っていなかった。ところがある日、スマホのpagesをアップデートしたら、そうやって失くしていた過去のファイルがなぜか数個だけ復活した。
ちなみに冒頭は、「大抵の人間は知らないことだが、人魚は陸で生まれる。」と始まる。人間が人魚になって人肉を食べる話だが、読み直して、もっと人に読んでもらえばよかったと思った。今からでももっと人に読んでもらいたい。
まずは書いたものを失くさないことから。次にちゃんと形を整えることが大事。うちの会社には原稿を机にしまって数年間放置し、その存在を忘れ、著者からの怒りの電話で思い出した逸話を持つ人がいる。
所感
気温がこのまま下がればいい。やっと得意な季節になってきた。
仕事は頑張っているが、与えられた枠をこなすことを頑張っているだけで、雑誌として全く前進はしていない。どうしたものか。
お昼休み中に神保町で歩く姿を写真に撮られたい。私の写真は全て私の会っている人が撮るので、大半が椅子に座り、正面を向き、笑っている。そうではなくて、例えば読校作業中で満身創痍の姿とか、東京堂書店で小難しく腕組みをしている姿とかを写真に撮ってもらわないと、立体的でない。それにそういう写真のほうが、写真というメディアの得意技だと思う。
色々な人の話を総合したところ、私には充分一定の魅力があり価値があるようだが、ほとんど信じきれない。この「色々な人が言っているから〇〇なのかもしれない」と考えることは、大事な時もあるが、内面の両端がどんどん裂かれていく要因にもなり得、どうやって折り合いをつければ良いのかわからない。推論の手法が少なかった子供の頃のほうがまだ良かった。
来春に行われる友人の結婚式に招待され、聞けば新郎新婦の血縁でない参列者は私1人らしい。なんてありがたい話だろう。
世界に言いたいことがある割にまとまりもなく、まとめる努力が足りない。どうして解決しないのかなと思われる問題はほとんど、人間がその問題に対して関心と思想がないからだろう。
体調を崩すと「無理しないでね」とか言ってもらえるけど、無理って何を指すのかわからないから教えてほしい。みんなはこれは無理だなとかこれは無理じゃないなとかわかってるの?
たとえば一般的な腹痛であったとしても、痛みの所在を捉えるのは難しいはずだ。長い長い腸のどこなのか、言える人はいないだろうし、腸かと思ったら胃だったりする。人間の感覚は信用ならない。目におがくずではなくて丸太が入っているよと指摘した2000年前の立派とされるあの人。
眼鏡をかけて歩くと街は全く違うものになるのも怖い。身体感覚から得られる精神性は君たちが気がつかないうちに絶えず変動している。
このように「体調管理」なんて幻想だよと主張していきたいが、主張するにもとにかく体力がない。
好きだった記憶だけあってあらすじを全く覚えていない『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』の文庫を誰かがどこかで紹介していた。1文すら、1つの表現すら覚えていない。タイトルから察するに、ボブディラン好きの女子高校生とかが出てくるんだろう。
好きだったという印象だけが確実だ。
好きだった記憶だけあって内実をほとんど覚えていないものは、ある1つの良い類型と言える。好きが目指す先はそういうこともあり得る。今年の予定表を来年見たらきっとそういうことを考えるだろう。
(最終編集:9月1日)