犬々の日々

犬を犬と思うな!

2024年11月

11月

 

 

私の隣人たちは私を縛る人たち

私を縛る人たち、お元気ですか?

 

 

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日割りの記録

 

11/1(金) 4日ぶりの出社は一体どんな阿鼻叫喚が待っているのかと身構えて行ったが、自分が想像していたのと同程度の阿鼻叫喚具合だったため、絶望するほどでは無かった。メールが329件溜まっていてびっくりした(共有メールなのでいつも通り)。あと171件来てくれればキリが良かったのに。ただ運悪く、インタビューや打ち合わせが重なっている日だったので自席に座れたのは夕方だった。なんてことだ!

 今度の若手のごはん会に誘ってもらえて嬉しい。

 

11/2(土) ピアノは発表会前の最後のレッスン。今日は練習のために1日空けておいたので、弾いたりダラダラしたりを繰り返せて良かった。目が日に日に悪くなっていて、手元と楽譜を行き来すると焦点を合わせるのに時間がかかる。発表会に出るのは不安しかないが、できることはやったのでよしとする。彼氏からの「発表会のあとは何するの?」という社交質問に対して「何もしない、もしくは仕事」と回答したことを後悔しながら寝た。真実ではあるけどもう少し彼氏用の回答でもよかった。発表会前日になって服に迷い始めて両親の意見を仰ぐ。

 

11/3(日) 朝7時から美容院。私も眠いし美容師さんも大変だ。ピアノの発表会本番。完璧とはいかなかったけどまあよいでしょうという感じ。たっぷり練習して臨んだし思い残すことはない。楽しかった。祖母にも聞いてもらいたかった。来年は何を弾くか今から考える。

 レストランで出された量が多くて帰ってからずっと寝ていた。夜は彼氏と電話。「?」と思うことが増えてきた。そういえばもう半年付き合っているのであり、ここからが恋愛本番である。

 

11/4(月) 何も予定のない日は漠然とした孤独に向き合うことになりやすい。

 インタビューをまとめている。何か壮大な話をしている。壮大な話のほうが好き。こうやって仕事で強制的に経済のことを考えていると、経済のことを嫌っていた学生までの自分を思って不思議な気がする。でも公利のことを考えるのは哲学と逆行しないような気もしないでもない。会計よりは少なくとも経済のほうが、教授たちの雰囲気は似ている。

 それにしてもシュンペーターの引用率の高さよ。シュンペーターというのはえらい人なんだろう。

 インタビュー記事作成の終わりが見えなくて飽きた。千里の道すぎる。孤独さに耐えきれず「自分がパーティを主催するとしたら来てほしい人リスト」を作ってなんとか耐える。

 

11/5(火) 先週、忌引で休んだことがそんなに罪なことだったとは思えないのだが、まるで罰のように仕事は無限に増大する。古瀬戸にはまたおじいさん集団がいた。おじいさんの集団はいつも同じ席にいるが、あれがいつも同じおじいさん集団なのか、おじいさんの集団用の席というだけなのか、わからない。

 仕事はとにかく崩せるところから崩すという作業だけであっという間に一日が終わってしまう。今週はきっとこの調子だろう。皆が帰ったあとの夜の会社の窓には私ばかりが映り、見たい外は見えない。仕方なく両手を上に伸ばしたら自分の腰の細さが見えた。上に伸びると人間は平たくなるから、見えると同時にお腹と背中がつく感じを得てもいた。上空にあった両手をそのまま腰に持ってきて強く持つと落ち着く感じがする。自分の腰が好きで、このとき腰は完全に対象化されてしまっている。自分の身体を捉えるときの細分化は年々進んでいて、ある部位はとても好きで、ある部位は口汚く罵ることもできる。腰は対象化されているにも関わらず相変わらず上下の半身を繋ぎ続けており、不思議だ。窓辺に来てから不思議だと思うまでが10分くらいで、「なるほど不思議だ」と思いながら席に戻る。

 集中力がめっきり無くなっていて困る。帰ってからはスマホを見ないとか今一度子供のルールに身を置いたほうがいいかもしれない。日記にあれを書きたいからとペンを持った2秒後には明日の洋服のことを考えていて、今日の洋服を脱いでいる間に仕事のことを思い出して半分脱いだままで仕事をし、やけに寒くて着替えすらまだだったことにやっと気がつくといった有様で、現代人の集中力は金魚並みとかつて親友が教えてくれたことは間違っていないようだ。

 

11/6(水) 一方その頃、母校の礼拝(朝礼みたいなもの)では、恩師が私の高校時代の活動を紹介してくれたらしい。10年も前の生徒の話なんて全校生徒から総スカンではなかったか気になって仕方ない。しかし先生たちが色々な話を持ち回りでする礼拝はネタを探すのが大変と聞いたことがあり、1ネタを提供できたなら嬉しい。

 原稿作成に追われている。原稿を作りながら、啓示のように「ここはメタルでしょう」と思ったのでジャーマンメタルのプレイリストを聴きながら書いていた。遠い遠い記憶で5年前に新潮社の面接官が「☁︎☁︎とか良いっすよね~」とジャーマンメタルバンドをおすすめしてくれたのだが、「☁︎☁︎」に入る肝心のバンド名がどうしても思い出せない。まだ彼が新潮社にいるなら聞きにいきたいくらいだ。

 家に帰ると暗闇の中、庭のカンナがぼーっと赤く光っていた。こんな時期にカンナが咲いているのは異常。

 

11/7(木) めまいがひどい。たまにめまいがひどい日が来る。ぐるぐるというよりはふわふわ。病院に行ったところで、貧血とか自律神経とか、疲労とかのぼんやりした原因にぼんやりした薬と解決法が与えられるだけで、一層病院嫌いが加速するだけだろう。医療はぼんやりしている。「患部はここです」と言える病気のなんと珍しいことか。

 

11/8(金) なんとか今週中には、と思う最低限の仕事を終えて気分はいいが身体はぐったり。日記を書こうと思いながらパソコンを抱えて寝たらしい。4日休んだ埋め合わせは2週間くらいかかりそうだ。

 

11/9(土) 何かで見た、犬に愛を示す方法の1つ「犬がくつろいでいるときに自ら寄って行って撫でる」を無意識にやることが多い。確かに幸福そうにしていると思う。でも犬がくつろいでいるときに自ら寄って行って撫でない方が難しい気もする。

 ピアノに行き、先週の発表会の感想などを喋る。先生に「よく弾けましたね」と言われて嬉しい。練習のメニューを言い当てられて驚いた。プロにはなんでもお見通しだ。

 初、ネイルサロン。前のピアノの先生が亡くなったあとで、同じ先生に習っていた人がネイリストになったと聞いて。ネイルはさっぱり何をされるかよくわからなかったので手だけ差し出した状態で、今トイレに行きたくなったらどうしようということばかり考えていた。仕方ないのでネイリストの人相手にあることないこと喋っていた。創作するのが好きだ。人に物語る職業になりたい。それも本当かどうかギリギリわからないラインの。スーパーリアリズムだ。日常を暮らす人々の中に登場していってたった1人で演じてそっと帰っていく職業。ネイリストは他人の手にたくさん触るうちに開眼したりしないんだろうか?

 夜は両親と外食。デイジーの花の味が蕗のとうと似ていたのは発見だった。家族みんなできちんとおしゃれをして出かけるのは好き。

 帰ってからオンラインで読書会。1時間くらいが長すぎずちょうど良い。1回目より感じが掴めた気がする。読書会のやり方も、ユリシーズの楽しみ方も。

 

11/10(日) 誕生日になった!おめでとう。ゴー☆ジャスさんも、デーモン小暮さんも、誕生日おめでとう。私はこの2人と誕生日が同じことが何よりの自慢だ。

 何人もが誕生日おめでとうと言ってくれた。覚えていてくれるのも、思い出して連絡までくれるのも、全てが得難いことだ。覚えていなかった人も、ありがとう。

 去年の誕生日は精神が全く安定しておらずハイになっていたことを思い出せば、1年かけて手に入れた、この落ち着いた自分自身と隣人たちは本当に得難いものだ。去年もあれはあれで楽しかったので肯定するが、あれをずっと続けたいならまず強靭な肉体を手に入れないといけないと思う。

 1ヶ月ぶりのまともなデートをした!この1ヶ月は仕事や風邪や色々で全然ゆっくり会えなかった。やっと会えて本当に嬉しい。若者が彼氏と1ヶ月も会わず仕事をこなしているこの地球はおかしい。彼氏の小さい鞄から次々プレゼントが出てきて「恋人はサンタクロース」かと思った。

 同じ時間、親友には彼氏ができていた!本当に嬉しいことの連続。今日が日曜日でよかったと心底思った。

 一日中君たちからの愛に囲まれて体力を使い果たしてしまって、最低限の片付けもせず君たちからのプレゼントに埋もれて寝た。

 

11/11(月) 会社のお姉さんにもお祝いしてもらったり、追加のメッセージをもらったりで誕生日の余韻が嬉しい。身体はぐったりしている。

 仕事はゲラ出校までの束の間の休息で、だいぶ焦りは減ってきた。でもこの休息は長くは続かないことを知っているので、サボりすぎず働きすぎず。

 高校の恩師から、私のことを話した礼拝は無事に終えたとの連絡。愛に囲まれている。

 

11/12(火) 下版を安静に迎えたい一心で1分もサボらずに仕事をするが、頑張って早く終わらせても浮いた時間にどんどん新たな仕事が舞い込んで、あたかも次々と降る雪のようで美しい。

 彼氏はなんだか私を置き去りに生活しているようだし。早く寝たいけど「おくROOM」で長時間遊んでしまった。しばらくして飽きて、陽水のライブ映像を見た。若い陽水のカクカクした神経質そうな優しそうな見た目。そろそろライブをやって欲しいけどその前に死んじゃうのかもしれない。悲しくて陽水に抱かれて眠る。

 

11/13(水) 大学の友達と来月会う約束ができて嬉しい。この友達はとてもとても優しい人で、私が「もどり道」ライブの陽水の語りを5分くらい長尺で真似しても適度な相槌を打ちながら耳を傾けてくれる人だ。得難い。

 着々と下版が迫っているが終わるのだろうか? 方々に依頼しているものが少しずつ期限を過ぎていて心配だ。待ちの状態だから逆にやることが少ない。とても忙しかったりほとんど無かったり、一日単位でコロコロ変わるスピード感をどうにかならしていきたい。

 

11/14(木) 若手のごはんの会だった。二次会で同期が、私と同期で良かったと思っているという話を滔々と語ってくれた。たった1人の同期なので気を遣ってはいるが、仲が良いわけでも悪いわけでもなく、大した関わりもなく、そうまでして語る意味はよくわからなかった。嫌だったのは周りの人で、同期の真面目な語りをにやにやと聞いていた(ように見えた)。確かに頓珍漢だったが、真面目な人にその態度はないだろうと思った。

 

11/15(金) 著者から来るビジネスメールの中で良いと思った言い回しを自分の中に蓄積し、自分も機会があれば使うことでビジネスメールは人間の社会を好循環する。

 下版でもないのになぜか夜は更ける(平社員の残業は通常20時までと決まっている)。疲れると他者に寄りかかりたくなる。私のお気に入りの他者である、九段下付近の他者(首都高)を見て帰った。金曜22時手前の首都高も美しい。金曜は街全体におしゃれな人が多くて良い。

 他人から見て大したことのないことに驚いたり悲しんだり喜んだり、感情を大きく動かされるのは目が曇っているからだ。人生をかけて感受性を捨て去るべきだ。幸いにも時代の流れは味方してくれていて、今や人類は自律と節制の時代に投げ込まれた。

 

11/16(土) ピアノ。一週間ピアノを触っていなくて先生に申し訳ない。とにかく眠い。夕方になってやっと活動的になった。

 

11/17(日) 彼氏の友達と彼氏が色とりどりのお昼ごはんを作ってくれた。とてもおいしかった。彼氏の友達は華やかで明るい人で緊張する。なので必要以上に彼氏のほうばかり見る。

 彼氏の友達の恋愛の話を少しだけ聴かせてもらったが、私の目からは何一つ心配事はないように見えた。恋愛というのは楽しそうだ。

 3人で犬がいるバーに行った。彼氏の友達はくじ引きで選ぶウイスキーを注文した。最も人慣れしている犬が率先して彼氏の友達の膝に座った。

 

11/18 下版。今回はかなり長引き、いつの間にか深夜になった。

 

11/19 下版。今さらながら神保町の人間は本を読んでいる率が高い。お昼休みのカフェは本読みばかり。もっと解放されたらどうだ?と問いかけたくなる。

 

11/21(木) 大学の友達とドレスコーズのハネムーンツアーを見に行った。彼のすごいところは音楽をお薦めするときに自意識を乗せないところ。相手に聴かせたい曲ではなく相手が聴いたら嬉しがりそうな曲を的確に言い当てる。

 志磨遼平は一時期より死にそうではなくなって円熟味が増し、保育士さんみたいだった。ライブはコンセプト通りに過去の曲を次々と映し出して進み、毛皮のマリーズの解散のくだりなどは孤独そうで聞いていられなかった。たぶん最近出た自伝の『ぼくだけはブルー』と大体同じ内容なんだと思う。友達は志磨遼平のことを、歌詞どおり止まると死ぬ人だし今までずっと止まっていなかったことがわかったと言っていた。

 客入れでクロディーヌロンジェが選曲されていたのがよかった。

 ライブ終わりは色々と喋って、悩み相談に付き合わせたりした。いい感じに自己矛盾時代に引き戻された。言われたこととしては、「音楽を硬派か軟派かの軸で見ることは良いことだ」「前にみんなでカラオケに行った日は楽しかった」「(私は)どこでもそれなりに働ける人で、免許も必要に駆られさえすれば取れる」「(私に)生活感が出たが、少しはあったほうが親しみやすい」「ロックシンガーで老齢になっても痩せたままの人は少数で、大抵は太るか骨太になるかし、それは生命を維持するために仕方がないことだ」など。この友達のすごいところその2は、他人に対する解釈と評価が的確なところで、そのため、喋るたびに少し落ち込んで帰ることになる。

 

11/22(金) 休み。病院と犬の散歩。

 

11/23(土) 浜松国際音楽コンクールを見に、日帰りで母と浜松に。東海道新幹線は1時間半ほど遅れており駅は大混雑・大混乱だった。春華堂のスイーツバンクが面白かった。大きい椅子や机に見立てた建物で、内装も、家の中のようにしてあって凝っている。

 今日は本選1日目で、ロバートビリー氏のプロコフィエフ、小林海都氏バルトーク、ヨナスアウミラー氏のブラームスを聴いた。3年後の大会はぜひ本選2日間とも来たい。

 

11/24(日) 配信で本選の続きを見た。最後に演奏した鈴木愛美氏のベートーヴェンが圧巻で、感動しているうちにあれよあれよと優勝していた。ちなみに鈴木氏は室内楽賞も聴衆賞も札幌市長賞もワルシャワ市長賞も受賞していた。

 昨日見たロバートビリー氏は6位、小林海都氏は3位、ヨナスアウミラー氏は2位だった。若いピアニストたちが鎬を削っていた。

 

11/25(月) 仕事終わりに親友と笹塚。秘密の話をたくさんした。

 帰り道は冷気が疲れに痛い。

 

11/26(火) 今の編集部を辞めた先輩たちとごはん。ウーン、色々なキャリアがある。ウーン、マンダム。会社の噂話をしていると、「えっあんなに優しいあの人がそんなことを?」となることもあるし、逆に「あの人にそんなに立派な一面が!」となることもある。語り部によるギャップはいたるところで発生する。もし人によって態度を変えているならば全然信用できないと思ってしまうが、実際には意図がある場合はごくわずかで、そもそも会社という場所が人間の多面性を表出させやすい場所なのかもしれないと思い直す。私もおそらく語る人によって全く違う印象がある人間の1人だろう。

 

11/27(水) 22時から23時にかけてベッドで激しく泣いていた記憶があり、よしこれはブログに書こうと思ったはずなのだが、なぜそのようなことになったのか思い出すことができない。その時から理由などなかったのかもしれないし、あるいは正しく泣いてすべて忘却の彼方に流し去ったのかもしれない。

 アウグスティヌスの忘却への問いみたいだ(?)

 

11/28(木) せっかく来てくれた新しい人のことを判然としない理由で編集長が叱責しており、また辞めてしまわないか心配だ。

 仕事のことを考えながら彼氏に会い、しばらくして目の前にいるのが彼氏だと思い出した。喋っているうちに解される感じがある。解されすぎてレストランにありえない忘れ物をした。この振り幅が年月を過剰に進める。

 

11/29(金) 快調でないことは確かで悲しい。なぜいつも金曜に体調を崩すのか。

 

11/30(土) 風邪のような気もするし、疲れでだるいだけのような気もするし、よくわからなかったので無視して旅行を決行。ピアノは休んだ。

 西岐阜に到着してすぐにスギドラッグ市橋店に行き、丁寧な薬剤師さんに色々教えてもらって薬を入手。スギドラッグの丁寧な薬剤師さん、ありがとう。

 今回の1番の目的だった岐阜県美術館のルドン展。とても良かった。

 下呂に移動し、温泉で湯治(というほど長期滞在ではないが)。これまで温泉で色々治るという伝説や民話は半信半疑だったのだが、実際に風邪の状態で温泉に入ってみると、本当に治る感覚があり、温泉はさすがだなと感動してしまった。もちろん完全に本調子に戻ったわけではないがなんとかなりそうではあった。

 紅葉の季節だからか、岐阜は混んでいた。混んでいるこの人々の中に、どうやら元彼もいたらしいことを知り、過去の厄介な記憶に包まれて眠りについた。ルドンで最も惹かれた絵のタイトルは「夢は死によって終わる」

 

 

 

 

音楽

 

EDGUY「Space Police in Osaka」。これは神保町ブックフェスの日に、知らないバンドを聞きたくて中古の音楽ショップで最初に掴んだから買ってきたやつ。エドガイの大阪でのライブを収録したもの。エドガイ自体知らなかったし、ジャケットもなんか変(骨の龍?を掴んだ宇宙服にサングラスの中年男性がドリルを持って宇宙にいる)。聞いてみたらめちゃくちゃ良い曲ばかりで当たりだった。しっかりしたジャーマンメタル。メタルが1番涙腺に来るので不覚にも泣いた。音質はかなり悪い。途中でファルコのカバーも歌ってくれる。ファルコなんて……あの頃みんなが聞いていた「10代の音楽」すぎる。ロックミーアマデウスなんて久しぶりに聞いた。「パン パン粉 パン粉 パン パン粉」の空耳でお馴染みの……。ひたすらロックを聞いていた高校生のときにNHKがMVを流し続ける番組をやっていて、それでファルコの次に流れていたのがヨーロッパの「ファイナルカウントダウン」だったと思う。ファイナルカウントダウンといえば「耳を噛んだ」の空耳でお馴染みの……。と、様々な郷愁を呼び起こす音楽だった。エドガイ、好きなバンドになってしまったのに残念ながら最近は目立った活動をしていないようだ。

 

・カレーの会「かれぃのかぃ」

 アルバムを聞いたときの衝撃はすごいもので、とにかく完成度が高い。何を言っても陳腐になるが福音したいので一応頑張ると、タイムスリップしたかと思う「当時感」があるのと(「昭和的ポップス」の再生産が増えてきた令和の時代にも関わらず!)、若きゴダイゴのよきライバルでしたと言われても信じてしまうような、根底に流れる洒脱な旅思想がいい。

 このブログでは一般人は名前を出さないようにつとめているが、過去に苗字を出してしまった先輩が1人だけいる。数回喋ったことがあるかないかくらいの人で絶対こんなブログに辿り着かないと思ったのと、出したほうが文章的に面白いと思ったからだったが、なんと最近インスタで近況を見れるようになってしまった。いやはや。そしてその先輩のユニットがこのカレーの会。

 知り合いがアルバムを作るのは今年で3組目だ。みんな完成度が高くてすごい。デジタルですぐに聴けて良い時代だ。

 先輩が言語の達人だったことをアルバムを聞くまで忘れていた。ヒンディー語、ドイツ語、中国語、アイヌ語などなど縦横無尽に諸外国語が登場する。無駄もない。聞いているだけで耳が楽しい。

 

井上陽水「覚めない夢」

 

・今月の軟弱コンテンツ疲れを癒してくれたのは加山雄三だったと思う。「光進丸」は良い曲だが、火災を思うといたたまれない。

 

・誰もが知る「おもちゃのチャチャチャ」は、作詞が野坂昭如だったことを知った。ちゃんと聞くと、「甘茶でチャチャチャ 渋茶でチャ」という部分や「操り人形 糸を切ろ」という部分など、野坂昭如の才能に打ちひしがれる。

一般に流布している、吉岡治が手を加えたバージョンも清い童謡として素晴らしいが、野坂昭如の大人向け深夜番組用に作られたオリジナルバージョンもぜひ広まってほしい。

 

・誕生日に彼氏からスネークマンショーの「急いで口で吸え」と「戦争反対」の2枚をもらった。

どちらのアルバムもコントと曲が交互になっている。

急いで口で吸えのほうは、「正義と真実」という、選挙カーと廃品回収者がマイクを戦わせるコントの後にクラウスノミの荘厳なcold songが流れるところがお気に入り。

戦争反対のほうは、高橋幸宏「今日、恋が」、MELON「HONEY DEW」のあたりがお気に入りで、最後の戦場でインタビューを行うコントはかなり辛くなる。

早くベストヒットUSAを毎週見ている友達が欲しい。

 

 

ベストヒットUSA

・11/7放送分。ブライアン・フェリーとダミアーノ・デイヴィッドが流れた。

ダミアーノのソロの「Silverlines」は、変なMVに変な歌詞だが、限りない才能があることだけは確かにわかるような、不思議な曲だった。

ところでベストヒットUSAは父と喋りながら見るのが好きだが、ダミアーノについての知識を父に披露しようと、「この人は健康な肉体に芸術が宿るって言ってるんだよ」と話していたところ、テレビの中でも小林克也さんが同じエピソードを喋りだした。大好きで毎週見ている克也さんとエピソードの選出センスが似てきたようで大変嬉しい。

 

・11/21放送分。ケンドリック・ラマーの新曲「Not Like Us」が流れ、硬派でとてもかっこよかった。来年のスーパーボウルに抜擢されているとのこと。

 

 

 

・先月に続き『実存・空間・建築』を読んでいる。

「建築的空間は実存的空間の『具体化』であり、『建築は、いつも、人間の諸条件を改善しようとする願望を反映するもの』」

 

・仕事で金利と物価の歴史を調べているが難しくて全くわからない。誰かわかりやすく教えてほしい。金利とはなにで、物価とはなにで、両者の相互関係と、政局や時勢から予想される両者の将来と、人間のすべきこととなさないべきこと、疑問は尽きない。

 

 

その他

 

予測できるということが勘が働くということと似ていると感じたことはまだないが、勘が働くということを考えるとき、予測できるということを思っていることが多い。これは信託が論理的な営みであるという考えに依っているかもしれない。

勘が働くときに何が起こっているか? 人間への信頼を土台に意識が他人へ向いていること。そうして収集した他人の言動の蓄積が関係している。

 

私を縛る人たち、君たちの縄によって、私は私自身がどこにいるのかがわかる。

 

 

 では、私が「忘却」という名を口にして、同じように、自分の口にするものを認識する場合はどうでしょうか。それを認識できるのは、記憶しているからではないでしょうか。

……

 私たちは自分の記憶するものを記憶のうちに保持するのであり、もし忘却を記憶していなかったとすれば、この「忘却」という名を聞いてその名によって表示されているものを認識することは絶対に不可能ですから、忘却は記憶のうちに保持されています。

 

 

2024年11月_更新遅延のお知らせ

 

各位

 

⚠︎『犬々の日々』はこれまで各月末更新を継続してきましたが、本日(11/30)公開予定でした「2024年11月」につきまして、熱を出したため更新が遅れています。⚠︎

11月を正しく締めることができず遺憾でなりません。

猫も杓子もサステナビリティの時代ですので、サステナブルな11月ということでどうぞご容赦ください。

 

  犬ゅ遠藤

 

 

2024年10月

 

月刊 犬々の日々 10月

 

みんな人間理解が浅いよ!

 

 

 

 

犬々の日々

 

10/1(火) 会社の式典だった。会社の人が騒ぐのを見るのが嫌で、一旦タリーズに逃げた。終わるまで参加せず隠れていようと思ったのにそうはいかなかった。良い先輩に「こういうのはとにかく壁際で食べてるといいよ!」と教わって、明るい場所に引き摺り出してくれる人はなんてありがたいんだろう、ごめんなさいと思った。

 式典が終わって片付けに行ったら、大嫌いな元上司が酔っ払って騒いでいて、最大限の冷たい目を向けてしまった。片付けの指示を出している人に「〇〇(私)さんは風船を割ってください」とハサミを渡されたので、風船に突き立てていった。ハサミを握って風船に一直線に刺していく間、幸福の象徴みたいな風船を割っていいものか悩ましいと思った。風船を割るのは初めてで、結構な音がすることに驚いた。破裂する一瞬は元上司の騒ぐ声が聞こえなくてよかった。他部署の先輩が「容赦ないね」と話しかけてきて、その後もいくつか喋っていたようだったが、会話の気が乗らなかった。

 

10/2(水) 官庁などなどをまわる日。鉄鋼ビルの地下通路にヘラルボニーという会社の取りまとめた絵がいくつか飾ってあって、多様な色彩が目に楽しかった。移動途中の丸善日本橋店で井筒俊彦の『イスラーム』を立ち読みしたら思ったより難しくて棚に戻した。代わりに『実存・空間・建築』を買ってきた。日本橋ダイヤビルはストリートピアノがあって弾きたかったけど人通りが多くてやめた。夜は接待。著者がずっと仕事論を話していて、参考になるところとならないところが7:3くらいだった。議論したかったけど、鈍臭いがゆえに話を割るタイミングが全然わからなくて、それ以上にやることもないのでとにかく目を見つめていた。

 

10/3(木) 大嫌いな元上司が去年の私の担当先を訪問することになったらしく、前任の私に聞きにくればいいものを他の先輩に聞きに行っていて呆れた。聞こえてきた質問内容は渡した引き継ぎに書いたことばかりで、さらに呆れる。まさかファイルを削除したのかと思って前の部署のフォルダを見たら普通にまだあった。謎である。ただしこちらもプライドの高さでは負けていないので、わかるものを伝えないという馬鹿もできない。大嫌いな元上司が去った後、先輩に質問内容の答えを託して、あとはその人格者の先輩がなんとかしてくれていた。悪が混ざっているところに正解の行為というのは存在しない。

 ピアノの練習にインスタライブを使うことを思いついて案外良かった。

 

10/4(金) お昼に部の歓送迎会があった。何がどうなることやら。

 余裕があったはずのインタビュー原稿はまとめるのにとても時間がかかって終わらなかった。途中休憩でコーヒーを入れている間、他部署の編集長と話した。「世界は混沌なんですよ!それで混沌は煮物なんです!」と言って、大きなお鍋に入った混沌をかき混ぜる仕草をしたらニコニコしていた。世界は混沌であり混沌は煮物であることを伝えたかったけど伝わっただろうか? 「孟子です」「いや、荘子だ」「違います孟子です」という押し問答もあって後で調べたら編集長が言っていた荘子が正解だった。編集長には悪いことをした。

 全然仕事は終わらなくて諦めて切り上げた。会社の友達と表参道で夜ごはん。最新の恋愛話がたくさん聞けて楽しかった。彼女にはいい感じの人がいて、どうやったら一回試せるか、という作戦会議を一緒にした。目を逸らすな、とブロンソンが言っていたのを思い出して「目を逸らさないといいと思います!」と言っておいた。うーん、マンダム。

 

10/5(土) ピアノ。発表会まであと3回しかレッスンが無くて焦る。夜は小学校の同級生たちと1年ぶりに会う。私含め5人。参加者の1人に集合時間を伝え忘れていたことが発覚して血の気がひいた。仕事の忙しさにかまけて本当に最低である。

 それぞれがやりたいことに対して着実な道を歩んでおり、そして着実な道は大抵激務であり、加えて何人かはもうじき海外に行くということで、次集まれるのは遠いかもしれない。寂しいが誇らしくもあり襟が正される。私も含めて全員、「こう育ちそうだ」という小学生のときの印象から大きくは外れていないのが面白い。話し込んで解散したのは1時だった。今回私が集合時間を伝え忘れた人、こと10年前は好きだった人は特になんの変化もなかった。

 帰ったのは2時すぎだったけどどうしても彼氏と電話したくて付き合ってもらう。

 

10/6(日) 祖母と叔父に会いに行く。道の途中で暁星の子たちがたくさんいた。眠くて眠くて、応接間をかりてちょっと寝た。祖母の家でお昼寝してしまったのは初めてだったので、さぞや仕事に疲れているのかとめちゃくちゃ心配された。

 祖母は祖父と会社終わりのデートでいつも銀座の川(?)のボートを漕いでいたらしい。なんて羨ましい。祖母は最近よく夢に亡くなった友人たちが出てくるらしい。祖母の大学のときの仲良し4人組のうち1人は50代のうちに亡くなってしまっているので相当前の記憶のはずだが、夢の中ではその人と祖母がお互い若い姿で美術館に行ったりして、とても楽しいらしい。「お友達と一緒に歩いているだけならまだいいけど川の対岸から呼ばれたりしても行っちゃダメだよ」と言ったら笑いを取れた。祖父との結婚式のときの写真も見せてくれた。いつも祖母はあれがしたいとかこれがやってみたいとか、未来の話をすることが多いのだが、今日は珍しく過去の話が多かった。

 インタビュー原稿をまとめている。「山は挑戦するものではなく抱かれるもの」という深田久彌の金言を思い出す。

 

10/7(月) 朝から表参道で大人2人が掴み合っていた。久々に大人の喧嘩を見た。どっちかがぶつかって警察に行くらしい。朝から人と喧嘩して警察に行く場合、会社は遅刻扱いになるの? 

仕事は相変わらず多いけど、終業に滑り込みで大量のメールを送り逃げしてきて爽快。

 

10/8(火) 怒涛の打ち合わせで1日が過ぎていく。人と話すのは面白い。雨が降っていて寒い。雨の湿気でも蒸さなくなると秋を感じる。

 

10/9(水) 雨で寒い。対談の収録。対談やインタビューは録音を聞き直してまとめるので意外と最中はやることがない。まとめるのが大変そうだなと思ってぼんやりしていた。

 夜は久しぶりの彼氏。ウズベキスタン料理に行った。久しぶりだと、最初から恋愛をやり直してるみたいな感覚がして新鮮。プロフを食べた。にんじんとかお肉とかがたくさん入ったちょっと辛めのピラフ。本当は宴会の最後に出る料理らしい。私のカレンダーに登録されていた名前がたまたま今日だけ呼び捨てになっていて、彼氏がニコニコしていた。途中で「そっか付き合ってるのか!」と何度も思った。向こうも久しぶりだからかすぐ顔が赤くなっていた。

 カザフ人からカザフ人と間違われた。こちらも相手が日本人だと思っていた。夜は冷え込み、会社にコートを忘れたのを悔やむ。体調が悪くなり、牛のガス抜き動画(背中に穴を開ける)を見て寝る。

 社会に出てから哲学の話(哲学の解釈の話とか歴史の話はできるけど、とりわけ感覚の話)が理解されにくい。半ば諦めてはいるけど、やはり理解はされたほうが精神衛生には良いからどうしたものかと思う。反論なり同意なりの分岐が生まれる前の、そもそも土台の意見が伝わらないときは諦めるしかないのか?

 

10/10(木) 毎週の編集会議は何を言っていいかよくわからない割に、私が一番長尺で喋ってしまっている。私の部署に異動で人が入ってくるため、諸々の準備をしなくてはいけない。少し扱いにくいと噂の(内向的という意味で能力とは全く関係ない)人だが、人事の人と話したら「〇〇(私)さんならうまく面倒見れるかなと思って!」と言われた。その人事の人の意見というよりその後ろに経営層が透けて見えた。人が増えるのは嬉しいが、私もこの部署に来て半年、上司はこの部署に来て4ヶ月、総計で1.5人分くらいのマンパワーでなんとか回しているため、受け入れる土壌があるのかと複雑な気もする。小学校の頃から、クラスに馴染めない人と一緒に何かやる役割とか、なぜか先生に任命され続けてきたことを思い出す。本当になぜだろう。

 

10/11(金) 疲れている。shikakunのラジオがおすすめに出てきた。

 通勤中、急に靴が壊れた。もう7年も履いてるから仕方ないかな。服や靴は耐久消費財ではないことをたまに思い出して悲しい。仲良しの他部署の編集長とお昼ごはん。今度、N響ブロムシュテットを聴きに行くらしい。なんか元気がなかった。仕事はそこまで忙しくないけど元気がない時期らしい。「令和はサイケが流行りますよ!」と元気よく言っておいた。

 

10/12(土) ヤマハのグランドピアノを借りられる券(発表会前の人はもらえる)を使って経堂で練習してきた。そのあと特急踊り子で伊東へ。伊東から天城へのバスが全然なく、2時間くらいの自由時間を海を見たりして過ごす。快晴で海が綺麗だった。11時に経堂を出て天城に着いたのが16時半。車が運転できないと不便だ。先に来ていた犬と両親と合流した。

 

10/13(日) 家族で伊東の入江と一碧湖に行った。犬が嬉しそうに水に入っていくのをみんなで見た。あとは本を読んだり、適当に過ごす。

 

10/14(月) 三連休で道が混むので、もう朝6時くらいに天城を出てしまって、9時には家に帰ってきた。久しぶりに車に乗ったら酔った。

 午後は彼氏と代々木公園でパンを食べた。祝日の公園はノーリードの犬やカップルで溢れており幸せな空気に満たされている。カップルたちを見るのは本当に嬉しい気分になる。犬のリードはつけるべきだと思う。彼氏に伊東のお土産を渡し忘れた。

 

10/15(火) 通勤の電車でまたスカーフェイスを見ていた。冒頭の悲壮感溢れる重々しい音楽が大好き。古瀬戸のランチタイムは、隣の席のお爺さん4人組みが楽しそうだった。彼氏に昨日渡し忘れたお土産を渡しに行った。ついでに長話もした。「現在の自分」の考えをある程度知っている人間が1人でもいるのは良いことだと思う。たかがそれだけでもあるし、されど、という面もある。

 

10/16(水) 下版。今日はよくない。帰り際、21時くらいに編集長とポリシーの違いでぶつかる。前部署の上司はポリシーすら無かったからそれより何倍もいいけど、争点がポリシーの違いしかないので、権力のない私のほうが必然的に折れざるを得ない。他にもなんだかなーと思うことが重なり、今日は疲れた。家に帰ったら両親たちの様子が変で、聞くと2階のトイレが突然壊れたらしい。全然治らないから当分使えないことになった。今日は本当に変な日!

 

10/17(木)下版が無事に終わった。疲れたし、これ以上疲れないために色々なものを諦めている。喉に違和感があり風邪の予感がする。

 

10/18(金) 部署に新人さんが来た。これから老老介護ならぬ新新教育の日々が待ち受けていることに重々しさを感じるが、新人さん個人は何も悪くないのでできるだけ負担の少ない方法を考えないとなと思ったり。上手くいけば編集者としてはほぼ同期の人が1人増えるわけだから、お互い良い影響があるかもしれない。

 仕事帰りに能を見てきた。先月体調を崩して金春会の定期能に行けなかったのが悔しく、演目よりとにかく空いている日で選んだもの。ショーケースという初心者向けのプログラムで、比較的入り込みやすい演目をやる。なので初めはややテンション低めで行ったものの、全く期待を裏切られ、素晴らしい舞台だった。能で使う楽器を体験できるコーナーは長蛇の列で諦めた。悔しい。演目は狂言が「盆山」で能が「龍田」。犬の鳴き真似で「びょう」と「わん」の中間くらいの声を出していて本物の犬の声みたいだった。本当に古代の犬って「びょう」なんだ、という驚きもあった。龍田のほうは本当に舞台に錦の紅葉が見えるような気がしてきて不思議だった。

 そのあと美容院に22時に行くことになっていたのでそのまま向かう。いつも行っているからと、私の仕事にあわせて営業時間外なのにお店を開けてくれてありがたい。

 やはり風邪の予感がする。以前、同じように風邪の予感がしたときにレモンをそのまま食べたら治ったことがあったのでやってみる。今回はレモンだけではちょっと非力なようだった。

 

10/19(土) 朝、目をさますときの気持ちは、面白い……とはならずにだるかった。確実に風邪とわかったがとりあえずピアノに。最近練習できてないからいまいち。発表会のプログラムをもらった。ピアノが終わる頃には熱もみるみる上がり、38.5度を記録。子供の頃から行っている小児科に急遽診てもらう。私の高熱に慌てた先生が「納豆のお味噌汁食べてね」と言う。正しくはお豆腐のお味噌汁と納豆と言いたかったらしい。薬局はどこも混んでいて、1時間待ちですとか1時間半待ちですとか言われ、3店舗目では在庫がないと断られ、こちらは高熱でそれ以上回れなかったので家に帰った。10月なのに最高気温が31度だった。薬を手に入れられなくて悲しくなって家で泣いていると父が代わりに行ってきてくれた。25歳不甲斐ない。8月にも同じような風邪をひいた。前はこんな頻度でひかなかったのに、ちょっと多忙だからってこんなことでは本当に悔しい。今日のデートの用事も読書会の用事も明日の友達も断り、本当に悲しい。

 

10/20(日) 熱、下がらず。ピアノを弾いてもぼんやりしていて、輪をかけて下手。眠りながら、ずっと眠りたかったと思った。

 喉が渇いて仕方なくて普段の数倍水分を飲んだ。水の惑星に住む人間に水が必要なのは何やらロマンチックだ。

 

10/21(月) 朝一でインタビューが入っていた。インタビューは少し前に講演が面白くて頼んだ人だが、講演では「群衆を牽引するよきリーダー」的な印象だったのが2人になると物静かな知識人といった風で、深い人物像に圧倒された。圧倒されつつも私は熱があるのでそのまま早退。秋晴れの日に電車に乗るのは、熱を出していても気持ちがいい。ピアノやリコーダーで遊んだり寝たりした。夜はちょっと仕事をして、多分明日行けないので新人の人に諸々の連絡。連日咳をし続けて腹筋が筋肉痛。歌はすぐ歌えなくなるけど、ピアノは指が動けば鳴るから安心する。

 

10/22(火) 声がほとんど出なくてびっくり。咳も全く止まらない。風邪の終わりに必ずなるやつ。今日は休みにして家で仕事を少しだけ。家だと話しかけられないし好きなときに休めるし色々なことが捗る。その証拠に前日したばかりのインタビューをもうまとめ終わった。会社でやるより丁寧にできて嬉しい。とはいえ今は激ヤバ進行中で、あと1週間以内に数ページ埋めてくれる著者を見つけないといけないし、インタビューまとめはまだまだ3時間分抱えている。よく働いているのになぜ……。

 ツイッター東浩紀が、本が好きな人と本を読んでいる自分が好きな人は歴然と違うと言っていた。当たり前のことを改めて簡潔に言ってくれた東浩紀に感謝した。実際私の本嫌い・映画嫌いを平たく解釈すれば、本や映画に時間を費やしている自分が嫌いとも言える。東浩紀に偏見を持っていた(る)けどこの瞬間はありがとう。

 おやつに犬と支倉焼を食べる。犬は支倉焼が1番好きで、あげるとあまりの美味しさに喜び、私の肩に乗ってきてそのまま頭を飛び越え、部屋中を走り回ったのち、それでもなお昇華しきれない興奮を自分のおもちゃに暴力的にぶつける。支倉焼のCMに採用されてよいくらいの喜びよう。

 

10/23(水) 久しぶりに会う予定だった友人も熱を出したらしく会えなくなった。残念だが驚かない。なぜなら相当に実力主義の会社の中で信じられないような働き方をしている人だから。

せっかくなので別の友人たちに急遽声をかけたら来てくれた。2人とも聖人のように優しくて癒された。

 

10/24(木) 咳が止まらない!特に電車。電車は汚いし乾燥している。うつる咳かうつらない咳かは他人には見分けられるわけもないので、電車で喘息になる度申し訳なくて降りていた。そのせいで帰りがとても遅い。

 

10/26(土) ピアノに行く。トイレの修理の人とかが来て犬が大騒ぎだった。風邪のあとの咳が喘息のようになってきたので病院に行く。喉にいいと聞いてはちみつをすくったりしてみたけど美味しくない。

 オテルドゥスズキが買収されてドーナツ屋になってしまった。

 

10/27(日) 神保町ブックフェスのため休日出勤の日。7時から選挙に行く。父と犬も一緒。その足で私は仕事へ。対談まとめが差し迫っていてまずい。とはいえ充実した取材だったから記事にするのは楽しみでもある。バタバタと準備をしているうちに神保町ブックフェスが始まり、ブースに並んでいたお客さんたちがわっと本を手に取る。今回は売り子要員で集められた社員が多く、意外とやることがない。私はなぜか会社のブースではなく、入口の千代田区(神保町ブックフェスの主催)のブースでパンフレットを配ることになり、これが意外と楽しかった。入口なので道案内を頻繁にすることになり、「千代田区の人」として人々を各所に導いた。問い合せが多かったのが子供用の催し物の場所と、トイレの場所で、もう手慣れたものだった。同じく勝手に千代田区のブースに紛れ込んで働いていた他部署の部長は、よく写真撮影を頼まれていた。お昼前くらいに恩師たちが遊びにきてくれた。高校の先生たちで、随分久しぶりに会えたのでとても嬉しい。私たちのことも他部署の部長が写真を撮ってくれた。恩師とお茶をするのは不思議な感じがする。

 午後は自社ブースの人が減ったので順当に自社ブースで働いていた。会社のお姉さんたちも当番でないにも関わらず会いに来てくれた。3時過ぎには彼氏も覗きに来てくれて、嬉しくて大好きな先輩に彼氏を見せた。「見せた」が表現としてやはり正しい。3時半過ぎ、父から祖母が倒れたとの連絡が入っていた。焦って電話をかけると父の声は震えているし多分もうダメだろうみたいなことを言う。とにかく救急隊からの連絡がないことには動けないので待機とのことだった。まず考えたのは来週の発表会のことだった。祖母は私のピアノを聞くのを楽しみにしていた。死んだと決まったわけではないが、発表会はたった1週間後なのに、ということを考えた。次に洋服のことを考えた。祖母は自身もおしゃれだったし私が色々な服を着るのが好きだったので、まだ見せていない服があると思った。それから今日は、ブックフェスが終わったあとに彼氏と夜ごはんを食べる約束をしていたことを思い出した。こちらは多分行けなくなりそうだから断らないといけない。このとき私は大泣きしていて、楽しい気分で本を売買している人たちに水を差すことになりかねなかった。なので店を少し抜けて、ブックフェスを楽しんでいた彼氏と合流するべく、すずらん通りの端のABCマートにいると言うのでABCマートへ行き、彼氏がいたので手を振り、手を振りかえしてくれたので近づいたら彼氏と背格好が似ているだけの知らない人で、「あ、違った」と思ってABCマートを出て、近くのブースを見たらもう1人彼氏と背格好が似ている人が本を選んでいて、近づいたら今度こそ本物の彼氏だった。とりあえず今日の予定をキャンセルしてもらうのと、状況を説明し、その間ずっと泣いていた。自社ブースに戻る途中でロックばかり取り扱っているCDショップがあったので適当に掴んだものを1枚買った。

 次の連絡が何も来ないので私は気もそぞろだったが、会社の人とも他の出版社の人とも気軽に喋って、適度に本を売っていた。途中で小雨が降って本を守る役もやった。彼氏が後ろからのど飴とかめぐりズムとかたくさんの良いものが入った差し入れをくれた。やっと父から次の指示が来たのは5時ごろだった。後片付けに参加しないのを謝りつつすぐに退勤して東大病院に向かおうとするも、私は普段からタクシーが捕まえられないし、目も悪くてどれがタクシーかよく見えない。また彼氏に連絡したら作業を切り上げて来てくれたうえにタクシーをとめてくれて申し訳なさでいっぱいになった。タクシーの運転手さんは昨日の神田スポーツ祭りでリフト券を当てた話をしていた。とても嬉しそうに振る舞ってくれてありがたかった。私がついたすぐ後に家族も病院に着いて、やはり全員がどうしようもなかった。その後はごく一般的な、人が亡くなったときの流れで、色々な職業の人が代わる代わる今後の手続を説明していった。事情により少々面倒そうだった。病院には8時くらいまで拘束されていた。

 家に帰ってから、明日からの忌引が確定した私と母は揃いも揃って仕事を始め、こんなところで遺伝を感じる。私はまだしも、母はもう現役のポストではないのに。喘息で寝れないのもあって、ここで彼氏にもらった差し入れがとても活きた。

 一応このブログも毎日少しずつ書いていて、まさか死ぬとは思っていなかった10/6日時点の自分自身の記述にびっくりする。

 

10/28(月) 葬儀関連の準備。忌引で休むと言っているのに、slackは鳴り止まず参ってしまう。上司にある仕事の代理(誰でもできる)を頼んだらできないと言われイラッとする。イラッとしたのでその場にいた母にslackを見せたら「最近の若い子はこういうこと言うよね~」と言っていて笑ってしまった。あまりにも甘えた連絡だったので新人さんからの連絡だと思ったようだった。残念ながら送り主は50代後半で私より権力がある。一方で新人さんはそつなく色々とやってくれた様子で、どう謝ろうかとばかり考えていた。

 祖母の部屋は本当に綺麗で、故人がしっかりした人だったことを物語る。私の発表会に着ていこうと思っていたであろう服や、作ろうと思っていたであろう料理の仕込み、私に送ろうと思っていた誕生日プレゼントと誕生日カード、クリスマスカード、年賀状までもが丁寧に準備されていた。彼氏はせっかちだと言っていたが、そういう急いた感じでもなく、部屋からはやはり未来への希望ばかりが伝わってくる。

 

10/29(火) 相変わらずslackから職場の大騒ぎが伝わってきて頭が痛い。次に出社したら一刻も早く属人化をストップする対策を考えないといけない。

 祖母の家でアルバムの整理をする。祖父が丁寧に作ったアルバムで、祖母の写真の一つ一つにコメントがついている。内容は「才気溢れる美人の奥様」とか「圧倒的な美!」とかそんなのばかりで溺愛ぶりがありありと伝わってくる。もちろん、確かに美女で、しかしこの美人がいた一代も終わってしまったわけだ。

 警察や病院を散々連れ回された祖母もやっと家に戻ってきて、顔を見るとやはり美人だった。

 

10/30(水) 警察関連の用事などで細々と忙しい。喘息が良くならず病院に行く。警察も病院も本当に大嫌いだ。仕事で大きめのトラブルが発覚していることがわかり、私は明後日の出社次第すぐに怒りの電話をかけないといけないことが確定した。荷が重い。

 

10/31(木) 若手がちょっと休んだだけで大騒ぎになっている人手不足の職場のせいで、ここ数日の時間感覚がないし、ゆっくりと祖母のことを考えていなかった。むしろ考えすぎなくて良かったかもしれない。高齢だったのもあって大きな驚きはなく、静かな悲しさだけがある。火葬場は混雑していた。私はボウイのLazarusみたいなスーツだった。

 

 

音楽、ポッドキャスト

 

風邪とともに喉をやってしまい鼻歌すらまだ歌えなくて悲しい。

 

プーランクの「エディットピアフに捧ぐ」を弾いているので、エディットピアフを聴けたものは全て聴いた。大好きとはならないまでも一定の人気があることはよくわかる。シャンソンの掴めない感じはなんだろう。

 

REBECCA IV。

 

郷ひろみ「寒い夜明け」の「退屈ですね お嬢さん♪」が耳から離れない。なんと作詞は楳図かずお

https://otonanoweb.jp/s/magazine/diary/detail/9448

 

・ポリス「Bring on The Night」。

 

井上陽水「事件」「曲り角」「ジェニー my love」。

 

Spotifyでshikakunという人がやっている「バナナブレッドのラジオ」が出てきて、最初は面白く聞いていたのだが、数分聞いているうちに軟弱気取りが鼻につくようになった。

 この際調べようと思って色々見ていたら、いっぽうそのころという人がやっている、別のポッドキャストの「たゆたうラジオ」の「2022/05/07 番外編 with shikakun」という回が出てきた。これはたゆたうラジオにshikakunが招かれ喋っているもので、この時2人は初対面。聞けばわかるが、鼻の効く人もしくは恋愛が趣味の人にはわかりやすい、「これから恋愛が始まりそうだな」という雰囲気が充満している。

 何回か挟んだのち、またshikakunがゲストとして登場するのが「年またぎ22-23 with shikakun」(2023年1/1公開)。ここで2人は2時間以上にわたって思う存分いちゃついている。それはもう聞いていられないくらい。内容は、お互いについて思っていることや、人生観などを話し合うもので、親密具合といい2人の甘えたトーンといい、とにかくこちらが恥ずかしくなってくるようなものである。あまりにも仲睦まじく、全体にもわっとした雰囲気が漂い、本当になぜこれを公開したのか、リスナーにどう思って欲しいのかよくわからない。

 さらに別のポッドキャストで、ちょっとしたパーティーズという人たちがやっている「ちょっとしたパーティー」というものがある。これは2023年10月14日から配信されているもので、この「ちょっとしたパーティーズ」とはshikakunといっぽうそのころの2人である。内容は変わらず仲の良さそうな2人が考えたことを共有し合うもの。最近同居しているとのことで、おそらく別れていないことに心底安心した。

 このカップルの露出癖には全く同意できないものの、好きな人間を前にしている人間は万国共通だと知ることができる。聞けばわかるが本当に聞いていられないし、かつ、誰しも身に覚えがあるのではないか。さらに自意識の軟弱さ(そもそも素人ポッドキャストに軟弱の傾向がある)とそのうえに成り立つもわっとした雰囲気が今っぽい。文学フリマが流行る理由も、文芸書籍の売上の落ち込みに反比例するように執筆者だけが無限に増え続けている現象も、これを聞けば全てがわかる。とにかくこの一連の音声には凄みがある。絶対に別れないでほしいし、すっかり感動した私はこれから3つのポッドキャストを全部聞こうとしている。

 

 

読書会

 

第2回にして私が熱を出したため11月に延期。メンバーのもう1人も時間差で熱を出していた。

 

 

映像類

 

・「プリンプリン物語」1話。登場人物の紹介で終わった。2話以降は録画を忘れた。

 

 

文字類

 

・クリスチャン・シュルツ『実存・空間・建築』を読み始めた。最初の空間概念の整理がわかりやすい。

 孫引用だが「数学的命題が現実に関連しているとき、それは確かではない。数学的命題が確かなとき、それは現実とは関連していない。」いかなる幾何学も人間が構築するものであるという認識は、私情によりありがたい。

 著者がゲニウスロキの人と同じ人だと思っていなかった。美学の授業で読んだ記憶があったから美学者だとばかり思っていた。この本を買ったのも冒頭でユクスキュルを引用していたからで、方向性というか好みが合う予感がする。

 

ティーハウスタカノのレジ前に置いてあった冊子が面白かった。50周年を迎えた記念冊子で日付は2024.10.1になっている。タカノの歴史と、印象的だったお客さんの話、紅茶の点て方、スコーンレシピが載っている。

 店主が若い頃の70年代について、「当時、喫茶店で出される紅茶といえば、茶漉しに茶葉を入れて上からお湯を通しただけの“色つき湯”がほとんど。かならずティーポットで点てて飲んでいた私は、腹が立ってくるのと同時に、自分と同じ紅茶好きの方もいるはずだと思い(略)」とある。「色つき湯」を紅茶と呼んでいるのは今もそうで、喫茶店やホテル、レストランなど、外で出される紅茶は高頻度で紅茶ではない。四谷のモヒーニの店主も同じことを言っていた。

 私は紅茶と名のつくものは全て大好きなので色つき湯を喜んで飲んでいるが、真実を目指す人々にとってはさぞや辛い現状だろうと思い胸が痛くなる。コーヒーについては器具から豆から淹れ方まで口うるさいことが許されていて、鬱陶しいほど専門店も氾濫しているというのになぜだろう?

 

・松島斉『サステナビリティの経済哲学』。仕事で読んだ本。

 地球環境の持続可能性の問題にいかに貢献できるかがこれからの経済学の社会的責任だとまず言っていて、その上で著者のデザインしたシステム「新しい資本主義」と「新しい社会主義」を提唱している本。資本主義を持続可能な形に作りかえるという出発点は、まあそうなんだろうと思う。資本主義の従来の形は限界が来ているので新しい形に変えるべきで、これまでも人類は実はそうやって作り替えてきたのだからこれからも可能で、ではその新しい形は一体なんなのか探りましょうというところまでは、名が通っているとされる経済学者はみんな言うのであらかた共通理解なのだと思う。

 そこから先の「新しい形」が一体どういうものなのかはもちろん議論が分岐している。この本で言っていたことで面白かったのは、人間には潜在的に社会のために役に立ちたいという自己実現欲求があると定義していたことだ。(辞書的な意味ではなく)広く利他的な行動のことを「大義」と名付け、さらに企業には個々の大義を実現するためのプラットフォームであることが期待されるとのこと。

 また、森林などの我々の共有財産(コモンズ)を過剰利用や不適切な管理によって質を悪化させてしまうことは経済学ではコモンズの悲劇と呼ばれているそうだ。確かにサステナビリティ問題のほとんどがこれになぞらえることができるようにも思える。著者にとって、「環境破壊の結果人間が減って環境がよくなる」シナリオは解決ではないと書いていて、私はここに著者の明るさと熱を感じる。ただしこの傾向は著者の倫理的な持ち物だけに萌芽しているわけではなくて、サステナビリティの問題が解決可能なものとして目に映っているからだと思う。こういうものを見ると、先端の情報がある者は明るく、情報の少ない人々は落ち込むばかりという格差的な構図がうっすらと透けてきてしまうが、考えすぎだろうか。

 あらあらなアイディアを信仰で補っている面もあり、大きな物語のない現代においてどこまで実現可能か(信仰が正しい尊さをもって受け入れられるのか)は首を傾げてしまう点が多い。私自身、理想主義者の1人として、私程度の狭い世界でも倫理的な断絶を感じることは多く、理想主義自体の価値を低く算定する人も大勢出会うのだから、著者の思うような世界市民の出現は果たして……? しかし一読して良かったと思える大著であることは間違いないし、この新書をベースに長い年月をかけて熟成していくのだと思う。

 

 

その他

 

冬は幻覚。

病気の人の文章は面白い。健康なとき病気のことを想像して書くのは難しい。病気のときこそ文章を残すべきだ。治りかけてしまった今となってはもはや病気の時分に辛そうにしている理由がわからない。もっと明るい意見ばかり書けばいいのにうるさいなとすら思う。

 

今月は私の権内でないことが重なって活動の量が少ない。

残念ながら自分の際限ない欲望に対して体力が圧倒的に足りない。

数少ないサンプル数とはいえ、出版社勤めの友人たちは揃いも揃って身体を壊しつつ激務をこなしている。ちなみに監査法人やコンサルに勤める友人たちもそれぞれが身体を壊しつつ激務をこなしている。25、26歳が働き盛りの年齢なのかもしれないが、それにしても「ちょうど良い忙しさ」というのは幻想なのだろうか? 

今は働けば働くほど物が売れるという時代でもなく、若者たちの寿命を削ってまで企業を存続させる意味はなんだろうか。

 

硬いものに触れているとき、その硬さに気がつくのではなくて、自分の皮膚が柔らかいことをこそ知っている。自分の手が自分の身体に届いてしまうのは本来的ではないかもしれない。しかしそれ以上に、再帰動詞の真偽に踏み込むのは禁忌なのではないかとも思う。

 

それぞれの因子には重みがあり、それは何らかの方向に向かって進む。全てのものに必ず方向と速度がある。夢の話だけを聞いていたい。

 

明るくやっていきましょう。

 

9 to 5 ‑ by ドリー・パートン | Spotify

 

 

 

 

2024月9月

9月。

 

秋はデカダン

秋の夜長に熟読していってください。熟読用に長くしてあるから。

 

ユリシーズを読むことはできない、できるのは再読だけ」状態になっていきたい。もうすでに人間1人の記録としては十分な気もする。でもアーカイブ論をよく知らないので適当なことは言えない。Chat GPTにこれまでのブログの全文を読ませてMBTI診断を頼んだら自己診断と同じ結果になって、そういう当たり前のことが面白い。「ある年代のある性別のある地域のある〇〇(以後あらゆる属性)を生きた人間」の再現としてはもうそろそろ完璧で、あとは何が足りないだろうか? 神を再現するように言われた学者がコンピューターに神にまつわるあらゆる情報を詰め込んでいくとコンピューターが光りだして神らしきものが完成したという寓話*1が大好きなのだが、あとどのくらい情報を詰め込めば私が完成するだろうか? 確かに、肉体を持たなさそうな神は情報だけ集めていくやり方とマッチしやすそうだ。反対に肉体ありきの私は、完全再現となると物質から揃えなくてはならず、コスパもタイパも悪そうである。神製作とは違う、画期的な手法を考案しないといけないかもしれない。

 

この9月はなぜだか、Don’t Rain On My Parade*2の気持ちになることが多かった。邪魔者・曲者・ならず者が多かったらしい。

どうして世間の人は事実が好きなのか? 事実事実と事実のことばっかり口うるさい。

前に言っていたことと違うねなんて言われた日には無粋さに辟易してしまって唇が門くらい重くなる。きっと惑う覚悟がないから事実が好きなんだろう。

 

 

 

 

9月のほぼ全日の日記

 

9/1(日) 彼氏の友達と、彼氏と、3人で飲茶を食べ、青いお茶も飲んだ。新宿伊勢丹横の紅茶専門店には数千種の紅茶に詳しいセールスの上手い店員さんがいた。彼氏の友達は小粋でおっとりしていて大人びていた。彼氏の友達と彼氏のおかげで休息の日曜だった。彼氏の周りは良い人がいっぱい。

連日の雷を怖がる犬は父の側から離れない。

 

9/3(火) 学会に行って発表の合間の10分で忙しなくゲラを読んでいるとき、とても編集者っぽい仕事をしているなと思う。肩書きはすでに編集者なのだった。勝手に今週は19時に退勤する週と決めて、何があっても帰ってきた。別に早く帰ったところで進みが特別遅くなるわけでもなく。

宇宙から気まぐれにやってくるウイルスのことを考えた。

 

9/4(水) 朝から隣の部署が著者トラブル関係で大変そうだった。前に同じ編集部だった先輩と一緒に打ち合わせに行く機会があり、久しぶりに2人で話す時間が作れて嬉しかった。帰りの電車の中で、シュークリームかドーナッツを買って帰ろうと意気込んでいたのにいざお店の前に来ると鞄の奥に入ったお財布を取り出すのが面倒になってやめた。

 

9/6(金) 会社を追い出される20時に滑り込みで大量のメールを送り逃げしてきて爽快!月曜日が怖い。今週ここまではやりたいなというのをある程度終わらせることができたのも初めて。

いつかの父との会話で、ジョホール海峡の話になったのを思い出した。「ジョホール海峡ってなに?どこ?」と私が聞くと父はそんなことも知らないのか、と言い「マレー半島の海峡だ」と教えてくれた。「ふーん」と答えた。響きが良いから何かで登場させたいところ。

 

9/7(土) ピアノ、図書館、クリーニング屋。急遽入ったインタビューのためにその人の著作を4日以内に読む必要があり、どの本屋にも在庫がなく図書館へ。読みたかったのはあったし、同じ著者の本で貸出中のものも結構あって、普段来ない図書館が意外と活発だったことを知る。ありがとう砧図書館。図書カードを再発行しようと手続きをしていると、司書さんが訝しげに「最近名字が変わられましたか?」と聞いていきた。下の名前と生年月日が同じでそこそこ近所に住んでいる人の登録があったそうで、重複登録かと思ったらしい。こうやって自分の性別を突きつけられるのはよくあることだ。可もなく不可もなく「ふーん」と思った。

夕方は彼氏と会う。観葉植物が増えていた。観葉植物を愛でたりするのがよく似合い、すごいなーと思う。

 

9/8(日) 能を見に行くつもりが朝起きられず、いや、正確には朝起きたしちゃんと準備をして出かけることも可能だったが、やたらと疲れていて、チケットを無駄にするのは迷惑だという気持ちと今日の休息を天秤にかけた結果、行かない方が懸命だという判断になった。本当に最悪だ。かなり行きたかった金春会の定期能。悔しすぎる。金春会に電話までしたのに行かないなんて金春会に失礼極まりない。金春会への懺悔の気持ちを抱えながら、仕方なく休む。

休みながらずっと休みたかったなーということを考えた。毎日毎日しっかり寝ながらなぜこんなに? 体力が無さすぎて意味がわからない。

 

9/9(月) 著者と打ち合わせ。「本を書いたらどうですか」と言われたのは編集者としてはかなり良くないのかも知れない。が、全く気にしてない。編集者としての自覚が全然ない。お金持ちの著者がシャインマスカットをくれた。お金持ちって贈り物を自由にできていいな。私もあげたいときにあげたい。

 

9/10(火) 先週の自分のおかげで今週は仕事がソフトモードなのになぜか疲れる。

 

9/11(水) インタビューを1人でやったのは今日が初めてだった。盛り上がって楽しかった。会社終わり、急遽彼氏とプレゼント選びをすることになって、新宿の伊勢丹に。2時間くらい一緒にまわったけど決められなくて、明日に持ち越し。彼氏はプレゼントを無事買えて良かった。髙島屋に移動しようとしたけど8時で閉店してしまったので、虎屋のあんスタンドに寄った。虎屋の素晴らしく美味しい餡を食べながら、「はて、これはただのアフターファイブのデートというやつだな」と思った。仕事終わりのデートはあまりしたことがないから楽しかった。

 

9/12(木) なんとなく、ダメモード。なんとなく、クリスタル*3。絶対に連絡が来てほしくなかった人からの連絡が来てしまった。調子が狂う。大嫌いな会社の健康診断も行われた。採血が本当に嫌い。嫌いというか、あのフワッと浮く感じが怖い。前の人の採血が目の前で行われていたせいで低血圧になり、血圧のコーナーも測り直しになって、採血前から不穏が漂う。いざ採血は今年も「フワッ」の感じが長く続いて自分の何らかが遠のいていったのがわかった。担当のお姉さんの「お顔真っ青ですねー♪」という声かけで正気に戻るも、無念、すぐには立ち上がれず。これだから本当に体力を消耗する。戸塚ヨットスクールに入ったほうがいいかもしれない。

別に採血だけじゃなくて全部嫌いだけど。

帰り際、随分前に共有フォルダに入れておいたはずのデータがなぜか消滅していることが発覚したり変な日。表参道のイッタラに寄る。全部可愛くて楽しい店内。無事プレゼントを買えて安心。家では食洗機が水漏れしていて騒ぎに。変な日!寂しい。

 

9/13(金) 午前中やる気がなくてほとんど仕事できない。午後はまあまあ働いて下版に備える。今日は穏やかな停滞。

 

9/14(土) 両親と犬は伊豆へ行った。私はピアノに行き、新潟へ発つ。新潟から溢れる古都の風格がとても好き。夜は酒田へ移動。ホテルの1階にあった図書館が新しく充実していた。

 

9/15(日) 土門拳記念館に白鷺がいた。土門拳の写真は、今の写真芸術の潮流の大元を創ったような気がした。みうらじゅんが以前、デヴィッドボウイの美は半跏思惟像だと言っていて、その発言がなんとなく土門拳の目に影響を受けているような気もした。もちろん事実としてデヴィッドボウイは半跏思惟像とよく似ている。

最近酒田に引っ越してきた友達と、その旦那さんと合流。本間邸や酒田市美などに連れて行ってもらった。友達と彼氏が集う場が一番嬉しくて一番緊張する!

 

9/16(月) 酒田から帰ってきた。

 

9/17(火) 行きの半蔵門線で窓が開いていて、青山一丁目から永田町の間のトンネルが轟々と鳴っていて見惚れた。下版

高等教育を受けてしまうと、わからない言葉をすぐに調べるのは良いことと刷り込まれるが、本当に? その刷り込み、今一度疑ったほうがいいんじゃない?

 

9/18(水) 下版。お昼休みに「4分だけ」みたいな寝方をしている。わずかな睡眠。

三井ビルのトイレでマクベス夫人くらい長く長く手を洗っている人がいた。それを見て手を洗うのは大事だな、と思って、隣で一緒に洗い始めた。それでもマクベス夫人は洗い終わらなくて、手が乾燥すると思って撤退した。

 

9/19(木) 下版後のほうが意外と忙しいことをここ数ヶ月で学んだ。私の中に言葉はなくて、あるのは印象の連続。

 

9/21(土) ピアノがあると思い込んで早起きしたけど先生がお休みの日だった。浮いた時間を何に使うでもなく新聞のクロスワードを解いたりして楽しかった。こういう休みが一番好き。結局解けなくて、私がお風呂に入っている間に父が完成させてくれた。尊敬してしまう。私はその下にあった数独を瞬く間に解き、褒められた。

注射のため、3時くらいに病院に行くととても混んでいて1時間半待たされた。受付の方から「さっきの方、〇〇(私の苗字)さんじゃないかも」「え、間違えた?」という会話が聞こえてきて恐れ慄く。ただでさえ病院が嫌いなのに。どうやら同じ予防接種を受ける人がいて順番が前後したようだった。望んでいない注射をされた人はいないようで安心した。

ようやく順番になって謎の地下室に案内される。豪華な椅子に寝せられ、30分安静にするよう言われる。荷物を遠くに置かれてしまい何もすることがない。偶然のデジタルデトックス。やることがないとすぐ寝てしまう。今朝の夢の続きを見た。

病院はとにかく避けたいが、また11月の予約を入れられてしまった。

ここまでの間で、彼氏とのラインが若干ピリピリしていた。ラインのピリピリは本当に難しい。何事もわかった気になってはいけない。そもそも人と付き合うのが向いてない。

夜は彼氏と彼氏の友達カップルに会いに行く。本当に良い人たちで感動しきりだった。本当に良い人のうちの1人は、爽やかに沢山飲んでパッタリと寝て、それを見てさらに、本当に良い人だという思いが強まった。

 

9/22(日) 彼氏と買い物など。似合う服を手に入れていく行為はいつだって楽しい。

彼氏と話していると2人とも内向的すぎて可笑しくなってくる瞬間がある。自己分析のために会ってるわけじゃないはずなのに、2人とも自分について考えることで忙しい。私が聖書を書くなら内向人間のために「なんぴとも発言を振り返ってはならない」という項目を作る。例えば「この際だから言っておく。空に放たれた言葉はその瞬間、あなたの所有物ではなくなる。だからかつて自分の物であった言葉について深く考えてはならない。」

立ち寄ったカフェで提供された飲み物の蓋がSDGs使用でよくわからない組み立て(?)をしなくてはいけず、意味不明な蓋を意味不明な様子で組み立てる彼氏がかっこよかった。

 

9/23(月) 午前中は寝るだけで過ごして良い始まり。本当に嬉しい。部屋が汚いので片付ける。犬と図書館に本を返しに行った。家を出るときに「今日は図書館まで行くよ」と言ったら門を出るなり図書館まで一直線に走らされた。犬は図書館を見たことも聞いたこともないはずなのにどういう仕組みなんだろう。

前にいた犬の命日が今日くらいだった気がする。年月とともに受け入れられていて良いことだ。今いる犬の誕生日も今くらいの時期だった気がする。

 

9/25(水) 退勤後、週末に控える読書会の本を三省堂本店仮店舗に買いに行く。

 

9/26(木) 差し迫った仕事が特になくて仕事に身が入らない。こういう日にどれだけ進められるかが肝心なのに。涼しい快晴で落ち着く。せっかく暇だったから企画を考える日に設定して、資料室から60年前のバックナンバーを持ってきて眺めたりする。今は経営戦略的に(?)ビジネスビジネスした内容が重視されてるけど、昔は漫談とか載せていて面白い。折り込みの広告に、「見よこの編集力!!」というキャッチコピーがついていたのも面白い。「戦後」「戦時中」などのワードも頻出で、当たり前に戦争の影が濃い時代だったことを思い出す。特に経済界ならなおのことだ。再興の時代の出版社勤めなんて楽しくて仕方ないだろうな。やっと今の部署も半年弱が経ち、自分の癖に合ったスケジュールに徐々に変えてきたので余裕が生まれてきた。次に私がやりそうなのは、余裕をサボる日と勘違いすること・切羽詰まっていないからと言って落ち込むこと、の2点だと思う。机上に水をこぼした。パソコンとデヴィッドボウイが濡れた。そういえば『あむばるわりあ』に出てきた「噴水を濡らし」って表現、すごかったなーと思いながら特に拭きもせず仕事を続行。

寝る前にモーツァルトの新曲情報を知った。

 

9/27(金) 仕事相手はほとんどが即返信!即行動!みたいな人ばかりだけど、ルールに乗れていいなと思う日と病的だなと思う日がある。向こうからしたら疑うほうが病的なわけで病という単語への信頼の置けなさが強固になる。病という状態は一体何を指しているのか、みんなもっと考えればいいのに。

イギリスとの時差のため21時から仕事の用事があったのに、イギリスとの時差というのがかっこいいから楽しみにしていた仕事だったのに、なぜか繋がらなくて参加できず。参加してもしなくてもいいやつだったから支障はないけど。仕方ないから別の仕事を進めた。

白水社の本棚」が休刊するかもしれないことを知り、とてもショック。「最近は刊行が遅くて心配だ」と犬々の日々に書いた懸念が現実になりそうだなんて。

家族が寝静まって私だけが起きていて、食器洗いをしている時間が結構好き。エルトンジョンに助けられる。

 

9/28(土) ピアノ。発表会まであと1ヶ月。今日は発表会の少し後のコンクールも案内されたけどさすがに日常生活と両立できなさそうだ。断るか悩む。午後は新宿へ読書会へ。楽しかった。18時に帰ってきた頃にはあたりが暗くて秋を感じる。犬を誘って散歩へ。暗闇の中でお尻をフリフリ楽しそうに歩く犬。白茶の犬だが、暗闇では白が映える。暗闇の中で楽しそうに歩く白い犬。

 

9/29(日) 服を買うのに母に付き合ってもらう。服情報のインフラとして母は頼もしい。母も私も沢山の新しい服が売られているのを見ると元気になっていく。

それにしてもロングスカートはいつまで流行っているのか。今のロングスカートは怒りのファッションであり、何か理不尽さ・窮屈さへのカウンターに過ぎない。街がロングスカートで溢れているのは虚しい。

一度家へ帰り、犬を抱えて寝る。

夜は友達と四谷へ。最近刺激がないので人生のステージ変更がしたいという話をした。ステージ変更というとお葬式くらいしか思いつかないと素直に打ち明けたら、友達は「転職とかもあるよ!」と教えてくれた。彼女は仕事にも変な人にも追われており人気者というのは大変だなと思った。

帰りの電車内で『82年生まれ、キム・ジヨン』をとてもとても険しい顔で読んでいる女の人がいた。表参道で険しい顔のまま降りた。

 

9/30(月) 休みを取って友達と代々木公園に行った。友達は最近仕事を辞めたため平日に会うことができてとても嬉しい。友達は姿が美しい。自然光の元が一番美しい。自然光は強く、曇りでも仰向けになると眩しい。

嫌いな音楽との折り合いがつかず、生活に支障が出ているという話をしたら、事実、私の嫌っているものには軟派だという共通点があるとの見解を示してくれた。むしろ軟派との共存を望んでいるが、嫌いは嫌いなようである。友達は各国・地域で別々の法律があることが怖いと言っていた。

 

 

映像

 

・「アメリカン・サイコ

 主人公のことが嫌いだし過剰な演出に胸焼けする場面もあったけどボウイの曲が流れると聞いて、ボウイが流れるまで見ようと思った。ボウイが流れたのはエンドロールだった。

 衝動が他人に向くタイプの人は対策が難しいから運が悪いと殺されちゃうよね。主人公はブロンドコンプレックスがものすごい。ブロンドに対して以外にもコンプレックスだらけでコンプレックス人間すぎて、到底、人間1人が抱えきれる病状ではなかった。自他の乖離も激しい。肯定してくる人間を殺せないのはある意味で順当かなと思う。ずっと滑稽なんだけどかわいそうが勝つ。

 可愛いテリア犬の目の前で殺人を働くなど極悪シーンがあるので犬好きは注意。

 ちょっと前にナインハーフを一緒に見た友達が、「この映画ってアメリカンサイコみたいなこと?」と言っていたのが思い出される。ざっくり「ウォール街のかわいそうなサディスト」みたいな話ではある。本当にかわいそうで馬鹿でかわいそうで……。

 

・ほぼ日の學校でみうらじゅんベンチャービジネスについて話していた8月29日公開の動画。「答えは風に舞っている」と言っていたのが示唆に富んでいた。業界人的なオーラがかっこいい。確かにポールにThere will be answerと言ってもらいたい日もあればボブディランにこう言ってもらいたい日もある。

 

・「銀河鉄道999」(1978年)。子供の頃に母から「メーテルとキャラが似ている」と言われたのを思い出してあれはなんだったのかと見始める。映画版を母と見に行って999が飛び出してくる冒頭シーンで私が怖がって帰ってきちゃった記憶がある。

 

第1話(以下丸数字)、曲がゴダイゴじゃないんだ、という衝撃。ささきいさお良いなー。鉄郎のお母さんの死体の艶かしさにうっとり。突然呼び捨てにしてくる謎の美女メーテルにもうっとり。メガロポリス中央駅の建築が結構好き。②色々な星にその星の1日分だけ停車していくというシステムがロマンがあって良い。⑤怖い美女が沢山出てくる。メーテルの過去が少しわかる。⑥鉄郎の銃の腕が上がってきた。母性描写がくどくなってきた。⑨お腹を空かせた旅人に鉄郎が奢ってあげたら我も我もと貧乏な群衆が群がってくる、というストーリー。リアリティを感じて食欲減退。途中のダイヤグラムの上に電車が描かれるカットがかっこよかった。⑩だんだん説教くささが鼻についてきた。形あるものは衰えるみたいな話を永遠にしている。これは啓蒙アニメなのかな。

 

 

挫折した映画

・「カジノ」

ブライアンフェリーが流れていた。

 

・「ファイト・クラブ

ミートローフが出るらしい。

 

・「メメント

アメリカンサイコと同じボウイの曲が流れるらしい。

 

・「黒いオルフェ

曲が良い。

 

もうずっと思ってることだけど私の映画嫌いに理解者が欲しい。生きてる人ならなお良い。映画に対する諸々の感情に伝わりやすいパッケージングを施してくれる誰か。そんな人がいたら、「え、でもよく映画見てるよね?」なんて言われなくて済むのに!ああ、全く*4

 

 

音楽

 

今月はロックよりポップ。

 

エルトン・ジョン「Too Low for Zero」。良いアルバム。いつも気に入った音楽は飽きるほど聴くからもうすでにこれも飽きている。1曲目の「Cold As Christmas」は泣ける人が多そうだ。エルトンのヒーロー感はつくづくすごい。目も悪くて髪も薄くてそのほか薬物依存など諸々、この寛容でない社会で成功するには多すぎる困難の量だ。エルトンの後輩の言動とかを見てると上司としての適性もあるようだ。

 

フィル・コリンズ「Face Value」。

 

・杏里「Timely!!」。

 

井上陽水「カミナリと風」「カナディアン アコーディオン」など。

 

 

 

・ジャネットウィンターソン/ジェーン・レイ『カプリの王様』(2012)

酒田の図書館で読んだ本。色彩が色々で絵本の良さがあった。食べることが大好きな王様と貧乏な洗濯屋の女の人の話。ラストの急展開な愛が良い。

 

・仕事で読んだ本2冊続けて。

『世界史の中の資本主義』(2013)

世界システム論で読む日本』(2003)

どっちも難しかったけど面白かった。10年前、20年前の時点で資本主義がどの段階にあったのか、古い本だからこそタイムスリップして答え合わせしている感じ。難しかったので箇条書きのメモをそのまま。

 

「市場」と「資本主義」は「等価交換」と「不等価交換」の違いがあり、両者は逆の指向を持つので区別するべきである。/資本家は市場を自分にとって都合のよい形に変化させ、競争相手との関係の非対称性を作り、利益を最大化させる。/大きな資本が存在しなければ行うことのできなかった経済活動があり、資本主義も独占も本来的に悪というわけではない/【市場に内在(寄生?)する反市場的な力としての資本主義という捉え方】市場は人間がいるところにはどこにでもあり、資本主義は市場があるところにはどこにでもある/資本主義の本質は利潤を上げ続けることにある/「スミス的発展」世界経済全体のスケールで実体のある健全な投資先が十分にある局面の発展を指し、投資先が市場の発展によりすみやかに社会に富をいきわたらせている状態。市場が広がる速度の方が資本主義が独占を進める速度よりも相対的に早い状態/「マルクス的発展」資本主義は市場の発展に力動性を与える力となるが、同時に、市場を健全な形からゆがめてしまう副作用も持っている。実体のある健全な投資先の不足のなかで、市場での独占が進み、人為的な価格形成が常態化し、それによって独占がますます昂進する。/モノが市場に行きわたる→モノへの投資が大きな利益を生まなくなる→商品の価格は生産コストぎりぎりになっていく→生産活動に対する投資は利益を生まなくなり、投資家から見た魅力がなくなる→投資先が金融商品に向かう→価格に意図的な落差を生じさせ、局所的な過剰変動性が生じる→社会の不安定化。「資本主義の金融化」/平等を指向する民主主義と自由(結果的に格差)を指向する資本主義。政治的には民主主義が主流、経済的には資本主義が主流だが、根本的に矛盾する両者のバランスをいかにとるか。/ポランニー「労働・土地・貨幣という生産の三大要素については商品として市場にその循環を委ねるべきではない」労働:生きた人間、土地:自然環境、貨幣:社会基盤を成す信用の蓄積。これらを商品として扱うと、人間がモノのように処分され、自然環境の破壊が起こる。/政治の機能低下に伴い人々の関心は個々の利害に向かい、国民意識は低下している。/連帯(リスク共同体)の単位の多元化・複層化が進み、国民国家の分解が始まっている。資本主義の最後のフロンティアはクリエイティビティ。クリエイティビティは連帯の中から生じる。市場が資本主義に抗して創発性の場の中心として適切にマネージされることが重要。集合知を活性化する市場の新しい仕組みが市民社会の連帯につながっていくことは、いわば民主主義によって資本主義を飼いならすこと。

 

・鴻池瑠衣「すべてを抱きしめる」(2024)

「新潮」10月号掲載の新作。悔しい。私が普段人に喋ってまともに受け取ってもらえない考えがしっかり何節も書いてあって、こうやって伝えればor媒体次第では、人に読んでもらえるんだということを突きつけられていて悔しい。こういうとき文章が上手いと感じる。

鴻池瑠衣なのにつまらないし全然おすすめじゃないけどとにかく悔しい。上手くて悔しい。鴻池瑠衣なら『最後の自粛』か『わがままロマンサー』か『ナイス・エイジ』か『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』かimidasでやってる小説家対談がおすすめ。

ラブレターまがいの感想を送って、おしまい。

 

ジェイムズ・ジョイスユリシーズ』(1918〜)

後述。

 

読書会 9/28(対面)

 

「忙しいから読書会がやりたい!」という私の希望を、優しい友人2人が叶えてくれた。

日々、仕事で文章を読む必要があり、学生の頃より読む体力がついている。仕事で読む論文は面白いけど自分の興味の本筋ではない内容なので、ジンブンガクの議論に飢えている。しかも日々仕事に追われるのが悔しくて趣味への体力も増しているときている。とはいえ原典に逐一当たるような時間と気力はない。

ということで、のんびりした読書会をやりたい!と思い立ったわけだった。私が普段友達と会うときは1対1が多く、「会」なら友達が集う最高イベントになりそうだ、という目論見もあった。

 

とりあえずいつも困ったら何でも聞いている大学の友人に声をかけてみた。快く受けてくれ、「ユリシーズを読んでみたい」とのことだった。彼が最近聞いているバンド*5の歌詞がユリシーズに影響を受けて作られているらしい。ユリシーズに関して、アイルランドの長い小説、くらいしかイメージがなかったので、せっかくだし読んでみたくなった。彼も私も文学(小説)専攻ではなかったので文学の人もいると嬉しいねとなり、文学専攻だった友人にも来てもらうことにした。

 

一旦は月に1回1時間程度、1章ずつ扱い、基本はオンラインで開催する予定で、全何回にするかは未定。続いてくれれば嬉しい。コアメンバー以外は柔軟な変動も可としていきたい。

 

第1回は1番初めの「テレマコス」。

 

・まず前提共有。『ユリシーズ』はある1日のダブリンのことが様々な時刻と視点で綴られていて、作者のジョイスは「アイルランドが沈むことがあっても『ユリシーズ』を読めばダブリンを再現できること」を目指している。主要登場人物の1人スティーブンはジョイスの投影と言われている。

第1章「テレマコス」はマリガンとスティーブンという2人が中心になっている。

 

・初読感想共有。引用や固有名詞が多くとっつきにくい、なんの話かわかるまで時間がかかる→「『ユリシーズ』を読むことはできない。できるのは再読だけだ。」と言われているように、何度も往復したり飛び歩いたりすることで真価を発揮する文学だと合意。

 

・会の最終目的は何か?→『ユリシーズ』を面白がること、ジョイスの言うようにダブリンを再現できるくらいになりたい。

 

・『ユリシーズ』は外国人、異世代人の我々こそ読めるとの意見。アイルランドの彼らの言葉で普遍的なものを目指す目的で書かれたものであり、世界文学の体裁をとっている。こういうものだという記録であり、前提知識の無いまっさらの我々こそ、読みやすい。

 

・「テレマコス」は、人間を自然的に、自然を人間的に描いている。これはなぜか?→人間を描きたいのではなくダブリンを描きたいのだという第1章の印象づけとしてではないかとの意見。それにしてもくどさは感じる。

 

・場面転換は塔の中から海へと、始まりの比喩としてわかりやすい舞台装置。

 

・マリガンは粗野で荒っぽく、皮肉屋。明るく見えるが陰は感じさせる。スティーブンとは共同生活を送っており、マリガンのほうが少し上。スティーブンは過敏で暗く、『ユリシーズ』研究においてはスティーブン嫌いが1つのテーマになるほど読者に嫌われているらしいが、「テレマコス」までだけを読んだ我々はむしろマリガンのほうが好感度が低かった。スティーブンが自分の内面に向かって喋り続けているのをいつもマリガンが遮る役割をしている。マリガン不在の第3章ではスティーブンがひたすら内面独白をし続けてしまうらしい。

ティーブンはマリガンにひどい皮肉を言われながらもどこか一目置いている。条件だけを考えれば、マリガンが暗いスティーブンと一緒にいる意味はないが、むしろマリガンからスティーブンへの執着が読めるような気がするとの話になった。

 

・スティーブンがマリガンを観察して、「バック・マリガンの頬がさっと赤らみ、そのためにもっと若く、もっと魅力的に見えた」という一文がある。これはスティーブンがマリガンに酷いことを言われている最中の観察で、一見、皮肉を言ってくる嫌な相手を「魅力的」と表現するのはミスマッチである。「テレマコス」の中で艶っぽさを感じさせる記述はこのたった一文だけで、むしろそれが人間世界の複雑性をうまく表現しており、小説に深みをもたらしているとの意見。

 

 

次回は第3章の「プロテウス」を扱う予定。うまくいけばメンバーが1人増えるかもしれない。主催者としてはもう2、3人増えれば嬉しい。

 

 

10月への展望

 

10月も11月もすでに土日が埋まりつつあり、自分の未来が想像できてしまうような錯覚に陥るが、もちろん予定通りというわけにはいかないだろう。

太陽が昇り落ちていくまでのほんの短い間何をしたらいいのだろう、と西城秀樹の歌がリフレインする。

 

 

その他

 

自分のブログをたまに読み返そうとすると、長くてとても読めない。ただ長いからスクロールが楽しい。長いページの醍醐味はスクロールで、どんどん早くなっていく文字列が綺麗で楽しい。たまに止めると意味を持った文章があってそれも楽しい。

 

病院の人に言われて始めたこの「日記的なもの」も、確かに効能があると立証されつつある。前より気分が良い。それでも『八本脚の蝶』*6で終わる可能性もまだ残っているし。全ては波。答えは舞っている。永遠のシュール。世界はシュール。世界は疲れる。とても疲れる。疲れた。なんだかとても眠いんだパトラッシュ……*7

 

 

(最終編集:10月6日)

 

 

*1:星新一

*2:「ファニー・ガール」でバーブラ・ストライサンドが歌ってた曲

*3:田中康夫のことを考えると、なんとなく、心がざわつく。その「、」はなんだよ!という気持ちになる。

*4:How many いい顔

*5:Fontaines D.C.

*6:前に似てると言われて本屋で確かめて本当に似ていると自分でも思い、似ているが故に結末を突きつけられて本を買うことができず、後日別の人にも似てると言われ、一番最初に似てると言ってきた人とは付き合ってしまった。

*7:さすらう間に日は暮れ

2024年8月

 

髪がどんどん抜けて困る。見た目は何よりも大事なので困った困った。

1ヶ月がとにかく短い。時間は平等ではないので当たり前か。

あと10年経ってもまだ35歳なのしんどい。

それでも涼しくなってきて機嫌がいい。

 

日中は誤字を探したり半角と全角を見分けたりする仕事をし、お昼休みは大体古瀬戸珈琲にいる毎日。今の部署も5ヶ月も経ってしまった。古瀬戸珈琲に10万円くらい一括で払って毎回のお会計の手間を減らしたりできないかな。土日はピアノや友達や彼氏や、平日から溢れた仕事や家事や、何かしらで過ぎ去る。信念のもと大枠を変えずにいる。大枠というか型を繰り返すことが最近のテーマ。世阿弥*1は実は型という用語は使っていないらしい。伝聞なので本当かどうかは不明。

 

 

特筆すべき日

8/1(木) 休み。合計5日間の休みを取らないといけない決まり。何も用事がなくて嬉しい。平日に休みだと友達たちはほぼ働いてるから用事が入りにくいのも嬉しい。

 

8/3(土) 目が覚めたときには体調が悪くて、めまいと頭痛がひどい。土曜日に体調不良になるのは癪に障るので、気がつかなかったことにして予定を決行。

まずピアノに行く。楽譜を見たり手元を見たりで目線をこまめに動かすとめまいが起きるので、極力、楽譜だけを見る。気合。

昼は寝て、夕方は親友と会う。親友の仕事の話が結構好きで、これからも倒れない程度に沢山働いていてほしい。最近の中トロラジオが落ち着き払っていて老成ラジオになってきた話などの雑談であっという間に時間が過ぎる。その間、みるみる体調が悪くなってきて申し訳なかった。

家に帰ったら父が「マッドマックス2」をつけていて、10分くらい一緒に見た。登場人物みんな体力があっていいなと思った。

体力がないくせに月~金の仕事に体力を配分しすぎていて、土日に体調を崩しがち。頭が悪い!

 

8/4(日) 熱まで出てきて完全に具合が悪かったので泣く泣く友達との用事をキャンセル。暇だし何もできないから仕方なく仕事関係の本を読んだりしていたけど、人に会えない休日はつまらない。

 

8/5(月) いけるかなと思ったけどいけなかった(体調が)。午前中、赤坂見附税理士法人で打ち合わせをして早退。なんて不甲斐ないんだ。幼少期からどんな病気でもとりあえず見てもらっている小児科に行く。先生が医療機器マニアで行くたびに新しい機械を見せてくれる。そんなに重篤じゃない私に絶対にそんな機械は必要ないのに、と思うような新品の凄そうなやつで色々測られた。

コロナでもインフルでもなく風邪だったので、人に迷惑はかけてなさそうで安心した。薬局はひたすら穏やかな時間が流れていてこういう日常もあるのかと思った。風邪とかをひくと強制的に休むことになるからこれはこれでいいのかもしれない。

 

8/6(火) 元々休みの予定だったので良かった。夜出かける準備をしていたら「病み上がりなのに夜出歩いちゃダメでしょ!」と母に言われたが、数ヶ月前から決まっていた用事に行かないわけがなく、元気だから!と叫びながら走って出てきた。

ビルボードで良い音楽を聴き、良い気分。

 

8/9(金) 帰り道、小田急線が止まり、友達と電話しながら渋谷経由で帰る。とても蒸し暑い。

 

8/10(土) ピアノと病院。病院はいつでも混んでいる。

 

8/12(月) 親友と彼氏と3人で夜ごはんでここに幸せがあった。知ってたけど改めて2人とも良い人だった。なんで私を評価してくれるのか不思議。

 

8/14(水) 家族が全員で伊豆に行ったので、私は彼氏の家に居候する。お盆中で仕事相手が休みだったりと、下版前なのに各種作業が滞ってむしろやることがない。

 

8/15(木) 他人の家で目覚めると今日が平日だったことを忘れて会社に行くのも忘れそうになる。が、しっかり働いて楽しい気分。下版前なのに色々な人と連絡がつかない。

 

8/16(金) 他人の家で目覚めると今日が平日だったことを忘れて会社に行くのも忘れそうになる。が、今日は台風台風とみんながうるさく、朝から会社のスラックが動くので、会社に行くことを忘れないで済んだ。上司たち(高齢化に伴い、フロアのほとんどが役職者だし上司)も台風台風と言って平社員の私は早退させられた。久しぶりの家!人がいなくてもそのままでいてくれて嬉しい家!悲しい人とは会いたくもない/涙の言葉で濡れたくはない*2のはずが、悲しい人と喋って引きずられた。さみしいときは青青青青青青青*3、ではなくスペース。

 

8/17(土) 昨日の余韻で落ち込むが、ピアノを弾いたり無理やり動いたら少しマシになった。誰もいないから母親のレコードを物色したりする。

夕方は著者の人たちと落語に行く。寄席に行くのは初めてで良い経験だった。ひとつずつの演目は面白いが、5時から9時までで長いので、面白いものが長いと長いなという気持ちが勝つ。

新しく作られた演目だとしても、笑わせどころが古く、大声で笑うという感じにはあまりなれなかった。話に取り上げる題材や言葉遣い、客席でご飯を食べてもよい雰囲気など、全てが庶民的でそこがよいのだろうが、庶民的な面白さを求めるなら現代に生まれた娯楽の方が現代人には合うし、逆に「伝統芸能」という括りに入れるならもう少し格式があってもよいような気がするが、それは落語の伝統と成り立ちから外れることくらいはわかるので、さあどうしたものかな、という、今の時代にわざわざ娯楽として楽しみに行くためにはいくつかハードルがあるような気がした。ここまで書いても感じた問題の所在はよくわからないというか、とりあえず容姿を笑うネタとかは今後どうしていくのだろうという傍観と興味の姿勢でいる。

 

8/20(火) 今月も無事下版が終了し、次なる仕事が続々と出てくる。

 

8/23(水) 病院や銀行は本当に嫌いだが病院と銀行をこなし、夜は高校の友達とへぎそばを食べる。へぎそばが大好きなのでテンションが高い。久しぶりに四谷ー新宿間の甲州街道も見れて最高にテンションが上がる。はしゃぎながら撮った甲州街道の写真は全部ぶれていた。そのくらい甲州街道が大好き。そのあとで大学時代によく行っていた「私の隠れ家」というお店にも寄って(今は名前が変わって「めしと酒の店 やかん」になっている)、楽しい時間。店主が覚えていてくれたのも嬉しい。

 

8/24(土) ピアノに行き、午後は友達と二子玉川。退職・転職・妊娠・移住などが、最近の友達たちからよく出るワード。

そういうイベントごとは大好きなので良いなと思うが、一通り終えた後の人にはどんなイベントがあるのだろう? 「終活」という単語は人間のイベント好きをよく表している。イベント好きというか自己家畜化というか。

 

8/25(日) 紛れもないデートに幸福感がものすごい。水族館に行ったりした。会うたびに爽やかさの増していく彼氏。

 

8/26(月) 今日もデートだったが、仕事が大量(大漁)のため一緒にいながら2人とも仕事をするデート。全く集中できず仕事が進まないことに私が落ち込んでバッドコミュニケーションだった。反省。毎月こうやって必ず1日以上は誰かとのバッドコミュニケーションがあり、その都度反省しているのに学ばない。

 

8/27(火) 初めての学会参加。とにかく沢山の名刺を交換する日。夜は教授たちとごはん。

 

8/28(水) 学会2日目。さすがに疲れた。学会は朝から晩までやっているから通常の仕事が全然進まない。友達からリリース予定のアルバムのデータが送られてきて素晴らしくよかった。友達の上手さがパッケージされていた。

 

8/29(木) やるべきことが溜まりに溜まっている。全然サボっていないのになぜ? 中トロラジオが更新されたが聞けていない。

 

8/30(金) ラインの誕生日登録を井上陽水の誕生日(8/30)にしているせいで、色々な人から誕生日おめでとうラインが届いて、ありがとうと思う。1人勘の良い人が「夏生まれに到底見えないがおめでとう」とメッセージをくれて洞察力に感心した。私の本当の誕生日は1人でいたい季節だしそれをちょっとずらして夏にお祝いしてもらえるのが嬉しい。陽水も76歳おめでとう。永遠の大人、永遠のシュール。

夜に体調を崩して眩暈が酷かったが、そこからどんな感じだったか残念ながらちゃんと覚えていない。いつでも紙とペンを持たないとだめだ。どんなことでも渦中の人間が書く文章にはリアル感があって貴重なのに逃してしまった。

 

8/31(土) ピアノは休んだ。午後は病院。

 

 

文字類

・『クジラの歌を聴け』多種多様な生物の繁殖戦略が知れる本。こんなに読みやすい本があってたまるかよと思うくらい読みやすい。絵も可愛い。生命の目的は究極的には次世代を残すことしかないということが手を変え品を変え言われていて、獣医学者からしたらそういうものかなと思った。

 

・「ロック好きの行き着く先は…」というブログが面白かった。ロック好きによる膨大な量のレビューが掲載されているので辞書的に使っていた。60〜70年代のUKロックが多め。

ロック好きの行き着く先は…

 

・『人イヌに会う』をぱらぱらと読んでいた。ローレンツの挿絵が可愛い。

 

 

映像類

・「ボーイフレンド」。綺麗で清潔にまとめられている。そしてとても流行っている。小競り合いの規模感が小さくて安心して見れる。みんな若くて清潔な考えの持ち主で眉毛が整ってる。人肉の臭みとか愛憎とかが全く排除されていて令和っぽい。愛着障害を持つメンバーがいるのも今っぽい。館山に前から行きたいなと思っていて、これを見てさらに行きたくなった。

 

・「ミッドナイト・エクスプレス」。トルコに旅行していたアメリカ人青年が出来心で麻薬を密輸しようとして捕まり、あまりにも酷い処遇に脱獄を決意する話。バイオレンスの連続。猫が酷い目に遭うから猫好きは注意。猫が苦手な私もさすがにそれはないと思った。ちゃんと悪役がいて、映画っぽい映画。こういう映画が好き。トルコに対して「未開で野蛮で司法機能がさっぱりダメ」みたいな描き方をしていて気になる人は気になるかもしれない。裏返しに映画っぽさを感じているような気もする。

スプーンで一掻きずつ壁を削って、みたいなことかと思っていたら意外とシュッと脱獄していたのは驚いた。途中の獄中恋愛エピソードは要らない。要らないが、そこで流れるジョルジオ・モロダーの音楽は素晴らしい。

バイオレンス系の映画で印象に残っている殺人シーンは数多あれど、(たとえばアランドロンの映画で敵役を車ごと解体用の重機でぐしゃぐしゃといくシーンや、なんの映画だったか忘れたけど汽車の火室に投げ込むシーン、etc)今回は悪役を散々殴って目を抉って、その上キスの格好みたいな感じで悪役の舌を噛みきってとどめを刺していて凄まじかった。

絶対に旅行先の国から大麻を持ち帰らないぞと決心させられた。

 

そういえばTikTokをよく見ているけど書いたことがない。あれはアーカイブ力の低いメディアだから文章にするのが難しい。そもそも動画ではなくて写真に近い。

海外風の日系美人が #ootd でその日の服に着替える動画が好きだがフォローとかをしていないためあれが誰なのかよくわからない。たまに流れてくるだけの、すれ違う人の人数が圧倒的に多くて、TikTokは結構現実に即している。

海外風の日系美人のうちの1人が最近アップした動画は、やたらとセクシーな感じで辛ラーメンを紹介するという内容で、可愛いし面白いし素晴らしい動画だった。

 

 

音楽

音楽に限らず、好きなものと嫌いなものが年々増えていて(≒「判断なし」または「好きでも嫌いでもない」というものが年々減っていて)、かつそれが制御不可能になっている感覚があって、例えば街で自分の好きではないジャンルの音楽がかかっていたりすると「そのノイズを今すぐに止めてくれ」という気分になる。ひどい日は全く集中できないし疲れるし、意味がわからなくてただただ悲しいという最悪の状況に身体を取られていく感覚がある。これは側から見ると、突然イラついている人間が1人発生しているわけで、誰も悪くないのに全員にちょっとマイナスで最悪。しかも嫌いなジャンルが流れる確率などもちろん高いわけで、最悪。

これは一体、対処法は存在するのか? 本当はみんなそうだけど我慢しているのか? 嫌さを出すまいとするのを諦めて、素直に嫌な顔をするのが自分を守る方法なのか? しかしそれでは30年近く社会生活を一応やってきたのを崩すようで怖いし、第一、嫌な顔を向ける先がない。

今月は音楽に関して顕著だった。来月は視覚か触覚か嗅覚か。天のお触れ。

 

もしかして、性格にも「中央」というのは存在していて、個体から個体へ世代を経るごとに凹凸のない状態を、人間という大きな生き物は目指しているのだろうか? だとしたら私は失敗例ではないか? いや、意外と種への貢献はできているのか? 疑問は尽きない。

 

長くなった。

 

 

・サザン「Kamakura」。夏が終わりゆく。

 

デヴィッド・ボウイをよく聞いた。

ボウイが “you’re not alone” と歌ってくれる歌があり、邦題は「ロックンロールの自殺者」というが、ボウイの時代の女子高校生の何人かは一人称を「ロックンロールの自殺者」にして日記を書いていただろうなと思う。

Hoursのアルバムジャケットのように若い自分が老いた自分を抱いている写真は作りたい。今若い側を撮っておけば後で合成できるだろうか? 「Something in the Air」「the Loneliest Guy」など。

 

・Metro。ボウイのカバーで今月初めて知ったバンド。Metro名義で出しているアルバムは3枚しかなく、「Metro」、「New Love」、「Future Imperfect」の3枚。その間、メンバーは入れ替わっている。全て聞いて全て良かった。物で欲しかったが、神保町内のレコード屋では見つけられなかった。これは私がレコード屋の分布に詳しくないというだけで、あの街のどこかにはきっとあるはず。それにしても良いアルバムだった。

 

・8月最終週のベストヒットUSAの特集がブルーススプリングスティーンだった。ブルーススプリングスティーンのことはよく知らないけど、こんな気の良さそうなアメリカ郊外のお兄さん風の人が辛そうにBorn in the U.S.A.を歌っているのを見ると悲しくなる。キャラクター的にはサザエさんに出てくる三河屋のサブちゃんだろうに……。

 

・陽水の包容力に今月も助けられる。陽水はどこまで行ってもおしゃれ。こういう人がどこから来たのかどうやってできたのかどこへ行くのか気になる。「鍵の数」など。

 

・友達のバンド、アンニュイ・ホリデイが久しぶりの新曲を出していた。

 

 

創作

・「魚に会いましょう」というA42ページの短編を随分前に書いて、書いたきりパソコンの海のどこかにやってしまって自分ではデータを持っていなかった。ところがある日、スマホのpagesをアップデートしたら、そうやって失くしていた過去のファイルがなぜか数個だけ復活した。

ちなみに冒頭は、「大抵の人間は知らないことだが、人魚は陸で生まれる。」と始まる。人間が人魚になって人肉を食べる話だが、読み直して、もっと人に読んでもらえばよかったと思った。今からでももっと人に読んでもらいたい。

 

まずは書いたものを失くさないことから。次にちゃんと形を整えることが大事。うちの会社には原稿を机にしまって数年間放置し、その存在を忘れ、著者からの怒りの電話で思い出した逸話を持つ人がいる。

 

 

所感

気温がこのまま下がればいい。やっと得意な季節になってきた。

 

仕事は頑張っているが、与えられた枠をこなすことを頑張っているだけで、雑誌として全く前進はしていない。どうしたものか。

 

お昼休み中に神保町で歩く姿を写真に撮られたい。私の写真は全て私の会っている人が撮るので、大半が椅子に座り、正面を向き、笑っている。そうではなくて、例えば読校作業中で満身創痍の姿とか、東京堂書店で小難しく腕組みをしている姿とかを写真に撮ってもらわないと、立体的でない。それにそういう写真のほうが、写真というメディアの得意技だと思う。

 

色々な人の話を総合したところ、私には充分一定の魅力があり価値があるようだが、ほとんど信じきれない。この「色々な人が言っているから〇〇なのかもしれない」と考えることは、大事な時もあるが、内面の両端がどんどん裂かれていく要因にもなり得、どうやって折り合いをつければ良いのかわからない。推論の手法が少なかった子供の頃のほうがまだ良かった。

 

来春に行われる友人の結婚式に招待され、聞けば新郎新婦の血縁でない参列者は私1人らしい。なんてありがたい話だろう。

 

世界に言いたいことがある割にまとまりもなく、まとめる努力が足りない。どうして解決しないのかなと思われる問題はほとんど、人間がその問題に対して関心と思想がないからだろう。

 

体調を崩すと「無理しないでね」とか言ってもらえるけど、無理って何を指すのかわからないから教えてほしい。みんなはこれは無理だなとかこれは無理じゃないなとかわかってるの?

たとえば一般的な腹痛であったとしても、痛みの所在を捉えるのは難しいはずだ。長い長い腸のどこなのか、言える人はいないだろうし、腸かと思ったら胃だったりする。人間の感覚は信用ならない。目におがくずではなくて丸太が入っているよと指摘した2000年前の立派とされるあの人。

眼鏡をかけて歩くと街は全く違うものになるのも怖い。身体感覚から得られる精神性は君たちが気がつかないうちに絶えず変動している。

このように「体調管理」なんて幻想だよと主張していきたいが、主張するにもとにかく体力がない。

 

好きだった記憶だけあってあらすじを全く覚えていない『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』の文庫を誰かがどこかで紹介していた。1文すら、1つの表現すら覚えていない。タイトルから察するに、ボブディラン好きの女子高校生とかが出てくるんだろう。

好きだったという印象だけが確実だ。

好きだった記憶だけあって内実をほとんど覚えていないものは、ある1つの良い類型と言える。好きが目指す先はそういうこともあり得る。今年の予定表を来年見たらきっとそういうことを考えるだろう。

 

(最終編集:9月1日)

*1:適当な持論を言って「日経のコラムか何かで読んだんですよ~」というのが趣味なのだが、最近はこれを「世阿弥」に置き換えるのにハマっている。すぐ飽きると思う。

*2:青空、ひとりきり

*3:なぜか避けていて読んだことがないけど読んだら好きかな?

2024年7月

 

 

四六時中自己矛盾日記も7月を終了した。内向と極端をお届け。

「考えすぎ」という表現は言葉足らずで、「(自分の視野だけで)考えすぎ」とか「(1つの)考え(に固執し)すぎ」とかそういうことじゃないかなと思うときがたまにある。

このブログの目標は0文字になること。冗談では決してない。

 

今月もよく仕事をしたりよく恋愛や友情をやったり、忙しく暮らしている。

経済と同じで、人の意思で回していると思いきや加速しすぎて人には操作不可能になってしまうタイプの回り方をしている。

エトーンみたいなね。ところでフォルクスワーゲンにフェートンという車種があって縁起が悪いけど誰も気にしないのだろうか*1

 

 

日記

 

7/1(月) お昼も夜も著者の人とごはんでお腹がいっぱい。3日分は食べた。東京堂書店で友達に遭遇するもあまり喋ってもらえず寂しい。家に帰れば不安げな犬。

 

7/2(火) 仕事で東証に行って上場の鐘を見せてもらったり、回ってるやつ(チッカー)を近くで見たりした。チッカーに表示される文字のスピードは5段階あって、取引が活発だと早くなるらしい。楽しかった。ニュータウンVが新譜を出したのに仕事が終わらず聞く時間がない。

 

7/3(水) 中トロラジオが更新されたのに仕事が終わらず聞く時間がない。

 

7/4(木) びっくりするくらいやることがあってありがたい。数時間後の自分が何をやっているかわかっていると安心する。確定要素はありがたい。風船のような自分を地上に繋ぎ止めておいてくれるなんらか。一瞬で日が沈む。京都の友達(でもあり支社の先輩でもある)と急に会えたり、1つ下の人にご飯に誘ってもらえたり、30個上の人にご飯に誘ってもらえたり、嬉しいことの連続。

 

7/6(土) ピアノ。ピアノを家で練習できるのは21時まで、そして21時までに帰って来れることは少ない、そういうのに流されて練習できておらず、先生にはバレバレ。優しいままに教え方が変わった。

午後は京都の友達(でもあり支社の先輩でもある)と四谷のモヒーニ。気難しい店主(本当は紅茶に真面目なだけ)がアイスティーを憎んでいるのを知っていたけど、暑くてアイスティーを頼んで、案の定小言を言われる。これがモヒーニの良いところ。みんなモヒーニにもっと行けば良いのに。友達はもうすぐ日本海側の都市に引っ越す。これからも沢山会えたらいいと思う。友達がいつもよりもはるかに多く自分の話をしてくれたのが嬉しかった。「会社の縁」という縛りがなくなったのは良いことだ。

不思議な縁は繋がっているもので、大学の同級生の名前が出てびっくりした。大学の同級生と親しかった元々……彼の噂も聞いた。懐かしいだけで負の感情すらない。京都にいて、私の仕事の分野に近いことを研究していると言うので驚いた。

 

7/7(日) デート。国立西洋美術館の写本の展示を見た。写本は美しく、外は灼熱。個人の蒐集とは信じられないくらい点数も質も高い。聖典の余白に絵を描く人々がいたことは元気が出る事実。「中世は暗黒時代」というのを信じきっていた元々彼がよぎって、馬鹿だったなと思った。「中世は不潔で不合理」というのが彼の信条で、そればかりではなかったはずという旨のことを言うといつも喧嘩に発展した。信条を変えようとしていた私も青くて馬鹿。

 

7/8(月) ふと先月号に載せた対談記事のことを思い出す。対談記事は、最後に著者に並んでもらって著者全員の写真を撮る。今月も対談がある。まだ会ったことのない著者が並ぶのを想像して嗜虐的なわくわくした気分になる。ニュータウンVのセカンドアルバムをやっと聴けて素晴らしい月曜日。

 

7/9(火) 4日に誘ってくれた会社の30個上の編集長とお昼ごはん。

最近は手すさびにクラシックギターを弾くらしい。バッハのリュート組曲を練習していると言っていた。前回喋ったときは落語を勧めてくれた。陶芸はやらないらしい。造形芸術は嫌だと言っていたのが新鮮だった。編集長は痛風のため常に手ぶらでおり、風流人らしさに磨きがかかる。

 

7/10(水) 犬に敬語の吹き出しをつけるのはおかしなことだと考える*2。敬語で話しかけて育てた犬なら敬語の語彙があるかもしれないが。幼少期の芦田愛菜が流暢な敬語を話していたのは当然のことだ。

仕事がとにかく沢山ある。

 

7/11(木) 作った眼鏡を取りに行った。眼鏡屋さんに傘を忘れた。

 

7/12(金) 両親がドイツに行ったため、残された犬と私は数日間2人きりで過ごさなくてはいけない。犬の夕方の散歩に行けるように7時からの時差出勤にしてもらった。神保町すずらん通りの朝7時はちょうど良い量の人通り。仕事は本当に山積み。先月の下版*3から1日たりとも全くサボっていないのになぜこんなにも山積みなのか。18時に帰宅すると、怒りと嬉しさで大騒ぎの犬が出迎えてくれた。犬のために普段より何時間も早く帰ってきていることなど彼女にとっては全く関係がない。そういうところに犬の愛の深さを感じて感動してしまう。私もこうやって愛しながら生きていきたい。

会社を定年した人から近況報告のライン。返すつもりで放置してしまった。

 

7/13(土) 朝の犬の散歩は砧公園の近くの清流に。ジャックラッセルテリアは水に入るのが好き。父と犬の散歩コースで、私は馴染みがない場所だったので、犬に道案内してもらう。

10時半からはピアノ。11月の発表会まで形にできるのか不安だ。

午後は病院。極力避けたい場所。病院関係の全てが憂鬱。

夜、友達とスペースで喋る。過酷な職場の退職が決まったと聞き、嬉しい。

 

7/14(日) 彼氏が最寄りまで来てくれた。初めこそ驚いて吠えていた犬も、私の客だと理解すると、遊びに誘ったり撫でてもらったり打ち解けていた。人間が犬と聞いて想像するような振る舞いを丁寧にしており、彼女としても色々と気を遣ってくれたのだと思う。活発な犬なので付き合ってくれた彼氏にも感謝。何か面白いことも喋ってたし、料理も上手だし、ずっと穏やかに笑ってるし、昔の話をむやみにしないし、私にないものばかりだし。

 

7/15(月) 彼氏が帰ってゆき、1人の時間。考えてみれば、用事が全くない休日は数週間ぶり。本当はもっと頻繁に1人でいたいが、誰かに会わないとやっていけないというせめぎ合い*4

誰といても誰といなくても寂しい。はいはい現存在、現存在*5。「手を洗う」とかそういう再帰動詞をやってるときは少し寂しさが軽減されるのは面白い。

 

7/16(火) またしても7時から17時の時差出勤。犬は両親がいないこの4日間ほとんどごはんを口にしない。ハンガーストライキ

 

7/17(水) 今月号の下版1日目で帰りが遅いため、会社で両親帰宅の連絡を受ける。両親帰宅後すぐに犬はごはんを完食したということで、安心した。

旅行の話も聞き、なんとかというワイナリーをやっている修道院が良かったとのことだった。父がお土産にAC/DCの雑誌を買ってきてくれた。母は現役で働いていた頃よく出張で行っていた街に改めて旅行者として行ったのを嬉しそうにしていたし、母としか遊びに行かない父は数十年ぶりの海外で嬉しそうだった。

 

7/18(木) 下版2日目。本が出るのは大変結構だが、細かい各方面への連絡など、事務作業の漏れがあるのではないかと絶えず不安。なぜなら1人だと「ダブルチェック」が存在しないから!!

 

7/19(金) 意外と下版当日よりも次の日が疲れる。眠くてたまらない。友人たちとご飯に行った。夜、部屋で食べようと思って買っておいたアイスが、食べる機会がないまま一週間冷えている。夜おなかが空いたりしていたのは昔の話、アイスを1つ完食できたのも今は昔。

誰と会っていても帰りたいし誰と会っていなくても寂しい。

 

7/20(土) 小学校の同級生と会う。昇進をひかえてバリバリと激務をこなしつつ、体調の悪い旦那さんのお世話をしつつ、家事を1人でこなしつつ、海外の大学受験のための勉強をしつつ、色々と抱えるものの多い彼女だった。でもこれを可能にしているのは旦那さんの存在が彼女にとって盤石な土台となっているからだと断言していて、個別具体な経験はなかったがその話の抽象的な部分には心の底から共感した。

 

7/21(日) デート。麻布台ヒルズは悪趣味な造りだったがこれはこれでありだなと思える不思議な均衡を保っていた。次に行った美術館は入り口すぐのホールが洗練されていた。地に埋まりこむような建物の低さも、巨大さを誇示する美術館が目立つ東京にあることの価値があると思った。デートはいつもいつも、もちろん帰りたいわけがなく長引かせるが、健康に悪いことをするのは幼児性の現れの一つだ。耐えられない自分に嫌気がさす。

 

7/22(月) 今月のワースト・ダメ日。ダメな日は抽象的。なんとなくダメなだけで嫌なこととかは別にないから対策できなくて困る。

 

7/25(木) 会社の先輩たちとお昼。3人で喋ると1時間はとても短い。

 

7/26(金) 病院でまた血を採られて心底暗い気持ちに。医療を利用しなくちゃいけないくらいなら大好きな東京を離れてでも誰の目にも触れない森に行きたい。いつも病院で力尽きて薬局まで行けないが、今回は無事に処方箋を薬に変えることに成功。眼鏡屋さんに寄って忘れた傘を回収。ドアを開けた瞬間に店員さんに名前を呼ばれるウェットなお店も今どき珍しい。

 

7/27(土) 彼氏と旅行。

 

7/28(日) 同上。

 

7/29(月) 庭で育っていたオナガたちだったが、お昼くらいに群れと共に巣を離れたらしい。さすが野鳥は成長が早い。家の敷地を群れに包囲されてゲーゲー言われる朝が終わってしまった。梅の木に残された巣が可愛らしい。オナガの巣は縦に長い。

 

7/31(水) 明日が休みなのを良いことに、遅くまで仕事をしてしまった。1ヶ月が本当に早い。

 

 

今月の登場人物

 

今月登場してくれた君たちについて書くつもりだったが、私には困難だった。

登場人物の多いロシア文学の最初みたいにリストを作りたかった。

 

 

文字類

 

・「白水社の本棚」が届いて嬉しい。

こんなに質の高い新刊案内誌を他に知らない。藤垣裕子さんの「バタイユと科学論」が良かった。毎号、東京堂の三浦さんの連載はセンチメンタルで、書店という環境との親和性を感じる。

今号はいつもより遅く届いた気がする。

そういえば「月刊白水社」というメルマガもかれこれ1年以上は購読していたのだが、7/1に「リニューアルのため準備期間に入ります」というお知らせが届いた。心配だ。白水社の宣伝方法が好きなので、なんでもいいから白水社からのお知らせを受け取り続けたい。

https://www.hakusuisha.co.jp/files/hondana/2024_03.pdf

 

・エマヌエーレ・コッチャ『家の哲学』を読み始めた。

哲学はこれまで権威的で男性的で都市的だったのを反省して今こそ家空間を論じるべきだという出発点。

凝縮された序論を読んでいて確かにとうなづかされる。都市そのものに住む人は少なく、皆「家」に帰る。都市そのものに住む者たちの立場は弱く、絶えず死にさらされている。

私は東京が好きなのでできれば東京と死にたいと常々思っており、都市生活者になることも「ある」ルートではある。

https://www.keisoshobo.co.jp/book/b647610.html

 

 

音楽

 

寺尾聰「Atmosphere」。リフレクションズだけでなくこちらも素晴らしい。寺尾聰はちゃんと夏をやっている。

 

ニュータウンV「ゆめでした」。最近じわじわときているニュータウンV。待望のセカンドアルバムが出た。「結婚しようよ」と「ゆめ/スキゾフレニア」が特に好き。結婚しようよは吉田拓郎を超えた。

部屋で聴くより移動しながら聴くほうが好きな音楽。共感できそうでできないところがすごい。だいたい「時代の感覚」というのはあって、うっすらと共通した方向性の暗さや単語を使って、人々は歌ったり書いたりするもので、小説新人賞もそういう有象無象を振り分けるのが大変と聞いたりするが、ニュータウンVはたぶん世界への解像度が高い人なのではないか。

 

「結婚しようよ」の大元の歌詞にはシスレーが登場するが、ここではシスレーではないほうが絶対に良く、ニュータウンVの編集能力の高さにも刺激を受ける。

あと吉田さんも吉田さんの周りの人もすぐ結婚しようよって言う。世慣れした30代に定番のこのセリフは怖い。吉田さんの友達に会った日はマーゴ・ガーヤンのsomeone I knowを聞いていたのもあって曲付きで思い出されてしまう。

【同時上映】ニュータウンV - 結婚しようよ/ Thundercat聴いてみた感想 - YouTube

 

門あさ美「Sachet」。ちょうど良いポップさ。

 

ボズ・スキャッグス「Silk Degrees」。有名なあの曲*6が入っている。レコードをテープで録音したもので聞いているので音が悪いと思っていたが、後ほど配信で聞いてみたらボズの声が特徴的なだけだった。ジャケットの緑の椅子と海がおしゃれ。

 

・安全地帯「安全地帯V」。何やら沢山曲が入っていて嬉しいアルバム。「わっ」という感動こそなかったものの、それでも安全地帯をより好きになれるアルバム。「あのとき……」など。

 

シャーデー「Diamond Life」。

 

野坂昭如「心中にっぽん」。

 

 

映像類

 

・「キューティーブロンド」。人に教えてもらって「へえ~面白そう!」と思って見始めて、「見たことあった!」っていうのを何回も繰り返してる映画。数年ぶり数回目の。毎回話を覚えてない。今回も良い映画だった。映画っぽいところが好き。今回は私も法学の勉強とか始めようかなと思った。年々、この映画の重さを感知するようになってきた。次回見る頃には号泣してるかも。

 

・「眺めのいい部屋」。穏やかな良作。見終わって第一の感想が、「昔の文豪の小説を80年代に入って映画化したみたいな雰囲気だな」。第二の感想が、「その文豪はきっとすごい人だけどこの作品だけは軽いから文豪の作品の中では評価が低いほうなんだろうな」。ちょっと調べた限りどちらの感想も事実合っていたようだ。どこでそんな雰囲気を感じたかはよくわからないけど。知り合ったばかりの青年との麦畑での熱烈なキスと、婚約者との森での退屈なキスを比べてしまう心象描写とか、水浴をする裸の青年のシーンとか、細やかなところが「昔の文豪の良い小説」感が強いのかもしれない。全く似ていないのになんとなく市川崑監督の細雪を思い出していた。

筋とあまり関係ないところで「フィレンツェの匂いよ!街にはその街の匂いがある」と言うセリフがあって嬉しかった。始まりと終わりに流れるプッチーニが合っていて素晴らしい。

 

 

付記

自己紹介をするときに「音楽が好きです」は言ったことがあるけど、「本が好きです」と「映画が好きです」は極力言いたくない。自認としては本も映画も苦手の部類で、かつこれは元彼と喧嘩に発展したことがあるテーマなので、このこと自体最近は他人にいうのが怖くなってしまっている。

本や映画を手放しに好きだと言えない理由の一つに、本や映画はインフラの部類だと思っていることがあるかもしれない。

説明すればするほど自分でもわからなくなってきて、それを聞いている他人ならなおさら、つまり元彼の質問もどんどん強くなってきて、とにかくあれは最悪だった。私の中で事実感じているということだけがもやもやと残った状態のままである。

 

 

来月の展望ほか

 

通りをバイクが通ったのかなと思ったら耳鳴りだった。来月を越えたら夏が終わるのが嬉しい。

とにかくやることがある。とにかくやることがあると感じるたびに、どうしてだっけ→1人で月刊誌を出そうとしているからだ、をループしている。

 

正直、月刊誌を出すことだけでマンパワーが使い果たされてしまっていて、より売れるものを考えるとかそういうプラスαを全くできていない。

あと何回か出版を経験したらできるようになるのか、果たして。

 

プラスαができていないとかはあるけど、自分はある程度こなせるというのがわかってきて、ずっとここで働いてもいいし今すぐにここをやめてもいいということがちゃんと理解できるようになった。良い傾向。

誰にも会いたくない気持ちもあるのに読書会と大学通学も始めようとしていてなんなんだ!

 

パッと死にたい。パッと死んで、「〇〇さんはパッと死にたいってよく言ってたから幸せかもしれませんね」と談笑されたい。パッと死ねずにじわじわ死んだなら、「パッと死にたいって言ってたけど全然パッとじゃありませんでしたね」と談笑されたい。限りないものそれは欲望。りんごが好きな人でした、惜しい人を失くしました、順番ですから、これからだったのにね、

 

 

 

*1:それとも「操縦者を選ぶほどよいくるま」ということ??

*2:犬を犬と思うなよ、人々よ。思い出しなさい。このブログの著者は犬ゅ遠藤なのだから……

*3:同業の友人たちは口々に、「下版って校了のこと?」「校了と何が違うの?」と聞いてくるが、私も知らない。

*4:アンビバレント」という単語を知った日は明確に覚えていて、いつも高校の国語教師の声で再生される

*5:この軽率が誰かを傷つける

*6:「We’re All Alone」

ブログをテキストマイニングツールにかけてみる(2024年上半期)

このブログでは2024年1月から同6月まで、各月末にその1ヶ月間の日記をまとめ直す方法で更新してきた。

自分が何を書いてきたか捉え直すため、テキストマイニングツールにかけてみることにした。

 

 

対象:『犬々の日々』「2024年1月」~「2024年6月」計6本のブログ。本文・見出し・引用・注釈含む。タイトル・目次含まない。総字数62,231字。

 

ツール:ユーザーローカル テキストマイニング
https://wordcloud.userlocal.jp/

 

以下結果。

 

スコア順ワードクラウド

 

 

共起キーワード:
文章中に出現する単語の出現パターンが似たものを線で結んだ図

 

 

(抜粋)出現頻度とスコア:名詞、動詞

(抜粋)出現頻度とスコア:形容詞、感動詞

 

 

(抜粋)係り受け解析:名詞ー動詞

 

 

感情分析

 

以上。