犬々の日々

犬を犬と思うな!

2024年3月

3月の全て。

ここに来て日常をどこまで詳細に書くか難しくなってきた。策略や見栄や発展途上の人間関係が難しい。でも作家は娼婦だし、作家的でありたいとも思っているので、良い塩梅を探さないといけない。

 

塩梅といえば、目隠しで眠るようになってから早一ヶ月が経ち、目隠しなしでは眠れなくなった。目隠しと言ってもアイマスクのような、穏やかな睡眠を演出するものではなくて、マグリットの「恋人たち」のような、布で全顔を覆うと表現するのが正しい。なかなかの遮断感がクセになる。一方で、離脱して自分を眺めるとき、なかなかの縁起の悪さが気にかかる。

 

極力、3月の全て。

さて。

 

 

3/2 午前中はピアノ、午後は人と会う。3月で一番楽しい日がこんなに早く来てしまってどうしようかと思った。

 

3/4 大学の友達。横浜。紅茶を飲んで、金港ジャンクションを見るのに付き合ってもらう。あんまり気を許しているので自分の趣味とか機嫌とかをぶつけすぎてしまう。文章が読みやすいと言われたのも、友達に失礼を働いたのも、全部が要因となって落ち込んで帰った。紅茶と金港ジャンクションは素晴らしかった。

 

3/6 犬の散歩中、前からノーリードの子犬が一匹、勢いよく走ってきた。子犬がうちの犬に興味を引かれて立ち止まったので、その隙に捕まえる。少し後に泣きそうな飼い主が走ってきて引き渡し。あと数秒多く子犬が走っていたら、交通量の多い車道が彼女を出迎えていた。こういうことは苛立つ。

 

3/7 母と豆花を食べて買い物。神田から新宿。5日前にもらった花がだんだんと萎れてきてしまったけど、強い赤が深い赤になったという感じでこれはこれで美しい。

 

3/8 楽譜を買いに経堂。改札を出ようとしたところで中高の同級生とばったり。遠くから名前を呼んでもらえたのが本当に嬉しかった。ピラティスを終えて出社するところだと言うのであまり時間がなく、今度ご飯に行こうと言い合って別れる。その後で彼女のラインを開いたら、5年前に成人式の写真を送りあって、今度ご飯に行こうと会話したのが最後だった。新しい楽譜も手に入れて良い気分で一日を終えた。

 

3/9 朝から憤怒の相をした犬に叩き起こされる。両親が富山旅行で早朝に出発してしまったためである。午前中はピアノ。先週より音が出ていると言われて嬉しい。親の居ぬ間に家中を掃除する。

 

3/10 友達、と呼びたいが、まだ失礼かもしれない。会社の先輩と表参道。流行っているお店や食べ物を色々教えてもらって始終尊敬の眼差しを向けていた。情報源はほとんどがテレビらしい。テレビ! テレビは、受け取り手のおおらかさ次第でこんなにも有用な、朗らかなものになるらしい。私がいない間に会社で何が起こっていたかも色々教えてもらう。どうしようもない事件ばかりで呆れてしまうがこの人がいるうちは勤められるかも、と思う。夜になって両親が富山から帰宅。

 

3/11 死人とヨックモックを食べようという算段。町田にある墓地には大抵の人が花を持ってやってくるが、あるときから花はやめにした。色々理由はあるが飽きたというのが一番大きい。やっぱりこういうときは『父が消えた』だろうかと小田急線で数ページ読んで、もう一度、やっぱり他人の創作に頼るべきではないと考え直して閉じた。直前に故人のお母さんからSMSが来て驚いた。出来すぎている。石の前でヨックモックを食べながら、色々話を聞いてもらって…いるのかはわからないが、まあ可能な限りの交信の努力をして、帰り道で「河津桜が満開でした🌸」とSMSを返す。

夕方、異動先が決まったと人事から連絡があった。どうしても耐えきれず人に電話してもらう。大人になってから寂しいという話で盛り上がる。心躍る夜。

 

3/12 嫌々病院に行く。また来てねと言われたけど二度と行かない。夜は友達4人と新宿。1人は前からの友達で、後の3人は新しい友達。こういうのは嬉しい。友達が一堂に会する場面の楽しさと言ったらない。同じ学部の人たちの言うことは似通っていて懐かしい。解散が寂しかったのでみんなに無茶を言って終電を逃してもらう。人前で寝るのは幸せ。

 

3/13 気にかけてくれている他部署の部長とご飯。新宿。仕事中以外で話すのはこれが初めて。私が誘った席だけど何を話せば良いかわからないので、ずっと部長について気になっていたことを色々聞いてみた。どうして他部署まで世話役を買って出ているのかとか今までの仕事遍歴とか、趣味とか。全部初めて聞く話なのにも関わらず、部長の仕事のやり方から連想しうる人物像の輪郭がみるみる象られていって妙な納得感があった。「趣味人として生きていくならまず骨董を買え」と言われたのも面白かった。「骨董をわかるまではもう少しかかりそうですが、最近欲しい絵があって、それが50万円するので悩んでいます」と答えたら「どんどん買え」とも言われた。

 

3/14 仲良くしていた近所の故犬の飼い主と道でばったり。もずく君という黒い雑種犬で、私が小学生から大学生に成長する間、ずっと良くしてもらっていた。飼い主の夫婦にも大変良くしてもらっていた。「最後にお会いしたのはもずく君の命日からちょうど一週間のときだったから2018年の8月10日でしたね」と言ったら合っていたらしく驚かれた。あの日はもずく君の訃報を私に伝えようとした飼い主が道端で泣き出してしまい、結局2人で泣いて慰め合った。そういう日は忘れようとするほうが難しい。近所の人というのは道でばったり会うくらいしか方法がない。老夫婦にとって犬の死は大きな喪失で、数年間はほとんど外に出られなかったらしい。お互いに近況を少し話して、綺麗に育ったとか立派な職業に就いたとか一連の大袈裟な褒め言葉を浴びて、ありがたく受け取って別れた。

 

3/15 8日に鉢合わせた友達と経堂でお昼を食べる。「今度ご飯行こうね」の口約束から5年、ついに実現されて感慨深い。中学の在学中からもっと彼女の話を聞いておけば良かったなと後悔したり、でもこれから仲良くできれば良いなと思ったり。古い友達といると自分がチューニングされる感じがする。

 

3/16 元彼と丹沢。まだ桜とまでいかないくらいの花々が綺麗で、豆腐懐石も美味しい。お互いにどういうつもりなのかわからない。自分自身が何を考えているのかも、向こうが何を考えているのかも、わからない。おそらくわかっていないのは私だけだ。他人にここまで割り切れなさを感じるのは初めてで、対処できるような頭も文才も無い。不機嫌の理由すらわからない。花粉が辛いのか、朝の集合がきつかったのか、この後の仕事のことを考えているのか、私のやることが気に入らないのか、あるいは彼の背後に常に見え隠れする母親によるものなのか。そもそも不機嫌に見えただけで不機嫌ですらなかったのかもしれない。どうして私はこんなに何もわからない馬鹿なのか、その割にどうしてこんなに気を遣っているのか、要請される型通りに変われないのか、もちろん悩ましさと同数の楽しさもあって、その揺れあいの中でみるみる自尊心が削られていく。何の恨みがあるというのだろう? いつ恨みを買うようなことをしてしまったのだろう?

 

3/17 ツイッターのスペースに久しぶりの友達が入ってきてくれた。とても嬉しい。明け方まで6時間話し込んだ。おっとり話す友達に癒される。

 

3/18 何に代えても眠りたい日で、日差しに罪悪感を感じながらも出発のギリギリまで眠る。気がついたら腕の中に犬がいて、起きるのがさらに遠ざかる。夕方16時に出社して、異動先の部署と顔合わせ。神保町は狭いので、なるべく下を向いて歩く。

 

3/19 犬の爪切りに病院へ。病院に行くよと犬に言うと毎回家からダッシュで向かう。道も知っているし早く行きたくてたまらないといった風だ。私と違って病院を好きらしい。

 

3/20 辞める先輩と原宿クリスティー。紅茶好きに付き合ってもらう。前からやりたかった職に就くとのこと。おめでたい半面、楽しそうに仕事をする人だったのでその姿を見られなくなるのは少し寂しい。でもこれで、晴れてお互いに何のしがらみもなくなり、初めてプライベートの話とかできて嬉しかった。また徹夜。

 

3/21 友達と幡ヶ谷。スタイリッシュで、場を読める人で、学ぶところが多い。在籍している業界的に激務友達が多い。良い刺激。そうなっていきたい。有名店の餃子もとても美味しかった。

 

3/23 ピアノ。4年のブランクが中々重い。昔やっていたときより音が汚くてもどかしい。でも楽しい。今のところ一番解放される瞬間だ。午後は親友と渋谷。塩胡椒のミルを回すためだけの電動工具が置いてあってはしゃいだ。ミルなんて手で回せるのに非対称性が愉快だ。喋ってはしゃいでお腹が空いて夜ごはんも沢山食べた。

 

3/24 群響とジャン・チャクムル氏を聴きに赤坂、サントリーホール。1人で行くのは初めてで、お上りさんのようにスタッフに誘導されてしまった。チャクムル氏のピアノはカラッとした異国感と無邪気さが惹きつける(前にも書いたような気がするがこれ以外の形容が思いつかない)。クラシックなのに即興の部分もあり、モーツァルトの当時の演奏もこんな感じだったのかなと思ったり。オーケストラの後ろのほうで撫でられながら音を出すコントラバスを見て、コントラバスが女性名詞だったらいいなと思った。*1

その足で新宿三丁目。友達3人と会う。ゴールデン街にも初めて行って、赤坂も新宿も内包している東京に改めて関心した。

 

3/26 佐川恭一の新刊を買いに行く予定だったが、雨でやめた。一方で元気な犬はどうしても散歩に行くと言うので出たら街中を走らされた。雨でびしょびしょになった犬をストーブに当てたりバスタオルにくるんだり必死に乾かしているこちらの気持ちとは裏腹に、犬は満面の笑みで気が緩む。

 

3/27 急遽行けることになった横浜のライブ。キラキラで透明な最高の音楽。まだ適度な緊張感がありつつ、気を許しつつもあり、知らない音楽家を教えてもらった嬉しさに賭けてみる。

 

3/29 東京を出るはずだったが、事情により中止。コルティに佐川恭一の新刊を買いに行った。

 

3/31 小学校卒業以来の友達。新宿。2024年から2011年は遠い。友達のお気に入りのキャラクターはシナモンだったこととか、文通のときにいつも飴を同封してくれたこととか、2人とも両親の躾が厳しいことによく文句を言い合ってたこととか、色々思い出す。それでも過去の話はほとんどしないで、もし誰かが会話を聞いていたら頻繁に会っている友人たちに見えただろう。ただし暑さにやられてしまって途中から倒れそうだった。解散までは気を張って無事遂行し、小田急線の改札内に入ってもうダメだ、となった。どうやって帰ってきたか曖昧だけど、夜になって日が沈んだら回復した。

 

 

以上。「和田誠 映画の仕事」展に行こう行こうと思いながら結局間に合わなかった。

 

電話がとにかく好きで毎晩誰かと電話したいなと考えてしまう。でも電話好きの友達は少なくて気軽にかけられず、毎晩煩悶している。前なら耐えきれず誰かにかけていたが、大人でありたいので折衷案として毎晩スペースをすることにした。誰かが入ってくれれば嬉しいし、誰も入ってこなくてもそれはそれで楽しい。

適当な本を見つけてきて犬に朗読している。犬は私の朗読をある程度じっと聞いてくれ、たまに何か発言し、眠くなったら寝ている。読み聞かせに近い。つくづく犬は、というかうちの犬は、何でも習慣化しようとするし一度得た権利は決して手放そうとしないもので、3日目あたりから、私が本を選ぶのを当たり前のように待機するようになった。犬をテレパス扱いする人間と同じくらい、犬だからと馬鹿にする人間のことが嫌いなので、どちらかが飽きるまで続けるだろう。

 

朗読に選ぶのは喉と時間のことを考えて短編が多い。犬が相手だと好きな本が読めて良い。

読んだのは、

村上春樹『午後の最後の芝生』

尾辻克彦『父が消えた』

・『現代の随想29 湯川秀樹集』より、「甘さと辛さ」「シュレーディンガーの猫」

有島武郎『一ふさのぶどう』

筒井康隆『川のほとり』

ライアル・ワトソン『ロミオ・エラー』

谷崎潤一郎『秘密』

星新一『不吉な地点』

小川未明『眠い町』

串田孫一『博物誌』より、「夏蜜柑」「沈丁花」「えぞすみれ」「まがも」「薔薇」「クリスマス・ローズ」

サマセット・モーム『良心の問題』

レフ・トルストイ『人にはどれほどの土地がいるか』

・ヘンリー・ペトロスキー『橋はなぜ落ちたのか』

・徳川夢聲『トム公の居候』

・佐川恭一『ア・リーン・アンド・イーヴル・モブ・オブ・ムーンカラードの大会』

・織本篤資『犬をつれて旅に出よう』

・ケン・リュウ『夏の読書』

・チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『なにかが首のまわりに』より、「明日は遠すぎて」

その他自作短編。

 

 

音楽

 

・陽水『UNITED COVER2』全曲良い。良い感じに抜けた大人の陰。大人が何たるかは陽水がいつも教えてくれている気がする。

 

吉田拓郎「リンゴ」上記で陽水がカバーしていたので聴いてみた。吉田拓郎をかっこいいと思ったのが初めてだったので驚いた。

 

Jane Birkin「Canary Canary」陽水のカナリアのリメイクで、陽水とジェーン・バーキンのデュエット。フランス語っぽく歌う陽水も儚げなジェーン・バーキンも良い。

 

沢田研二『彼は眠れない』ジュリーは歌謡曲よりもロック色が強いときのほうが好みなのでグラムでデカダンなこのアルバムはかなり好みに合っている。歌唱力も改めてもちろん素晴らしい。アルバムジャケットもおしゃれ。楽曲提供を見ていると錚々たるメンバーが並んでいてびっくり。

 

・森進一「冬のリヴィエラ」哀しければ哀しいほど黙り込むもんだね。

 

REBECCA『Maybe Tomorrow』レベッカをほとんど知らなかったのでこんなに広がりのあるバンドなのかと思った。失礼だ。NOKKOは歌が上手いのか下手なのかよくわからない。上手いと思い込んでいたい。危うさというか、声そのものの生き急いでいる感じが魔女的な魅力であり、怖い。

 

Led Zeppelin『Physical Graffiti』もちろんかっこいい。去年仕事でお世話になった大学教授の人に教えてもらったアルバム。以来たまに思い出して聴く。

 

・発表会の曲決めでピアノ曲をそれはもう大量に聞いた。作曲家・曲・ピアニスト、もっと言えば使っているピアノ、会場等々で音の種類が無限にあり、素晴らしいと思った音源はあったが、それがどの音源だったのか、何が何だかわからなくなってきた。音楽のオリジナルとはどの要素に内在するのかという議論が巻き起こるのも当然だ。

 

Aerosmith『Permanent Vacation』元気が出る。

 

Aerosmith『Get A Crip』今のところエアロスミスで一番好きなアルバム。とは言っても熱心なファンではないのでこのチョイスがファンに逆鱗に触れたらどうしようという怯えもある。(例えばレディオヘッドだとベンズとパブロハニーが好きなのだがこれは良いレディオヘッド聴きではないなという自覚があるみたいなこと)

 

ドレスコーズ「公民」2017年新木場のライブ。アルバムとしてはほぼ『平凡』。ライブ映像ありのほうが凄みがある。志磨遼平のかっこよさに、手も止まれば呼吸も止まる。

 

・Kim Gordon『The Collective』ゴールデン街のお店でかかっていたアルバム。良かったので次の日もその次の日も聴いた。硬質。

 

・Kim Gordon『No Home Record』他のアルバムも聴きたくなったので。見え隠れする不気味さがハマる。調べていてやっとソニックユースのボーカルだと知って、「なんだソニックユースか!」のくだりも1人でやった。

 

・CRCK/LCKS。ラッキーでたまたまライブに行けることになり、アーティスト自体知らなかったので、これは大変だとサブスクにあったものは全て聴いた。上質。好きな曲沢山。関連で近藤譲も何曲か。

 

・10cc『Deceptive Bends』古き良き。キリンジでお馴染みのアルバム。最後の曲「Feel The Benefit」は余裕で泣いてしまう。

 

・Brand X『Unorthodox Behaviour』たまにはジャズでも聴くか~というテンションで家の棚をあさっていたらアルバムジャケットと目が合ったので。ジャズってどうして全部おしゃれなんだろうね?

 

 

 

・ライオネル・トリリング “Manners, Morals, and the Novel”。先月末に友達から勧められたので、JSTORのアカウントを作って、英語だなぁ…と思いながら読む。村上春樹あたりが訳してないかと探したが見つからなかった。こういうときにサラッと読めるような努力はしてこなかった。ライオネル・トリリングが行ったスピーチを書き起こしたもので、社会的規範とかスノビズムの話と、それがアメリカ小説の中でどのように表現されてきたか、ひいては良い小説とは何かとかそういう話をしているみたいだ。ふわっとしか記述できないのが、内容理解が全然追いついていないことを物語る。

 

ちなみに、あまりに時間をかけてしまったのが悔しかったので一瞬英語をやり直すことを考えたが、一つを学び直している暇など全然ないと思い直した。多くのものの表面を撫でて、頼り方の方法論だけ覚えて帰ってくるほうが性に合っているのは明白だ。

 

・佐川恭一『就活闘争 20XX』。半分まで。活字には無駄に体力を使ってしまうほうなので、それにしては早めに読み進んでいる。思ったより人が死ぬ。登場人物たちのポップな死に方に反して、根底には純文学的性格が離れられずにそこにおり、佐川恭一の肉にそのまま刃を立てたような血の味がする。競争社会を戯画的に書いて煽ってくるような別の小説(名指しのほうが良いだろうか?)と一線を画しているのはこの点においてだろう。そろそろ佐川恭一には、ずっしりと重い作品、ある人にとっては宗教となるような作品を書いてほしいと思ってしまうが、作家の目はどちらを向いているのだろう?

 

 

映画

 

・「ベルリン、天使の詩*2良い映画。元気が出る。珍しく飽きなかった。猫も杓子もパウルクレーが好き。

 

・「マイ・フレンド・フォーエバー」*3映画はこのくらいの穏やかで小さな作品が一番好きかもしれない。大病を患った少年と淋しかった少年が親友になって冒険をして途中で容態が急変する。子供たちの不安定さと輝きにクラクラしてくる。「ボヘミアン・ラプソディ」のジョンディーコン役の人と、「依頼人」の主人公の人が2人で主演をやっている。

 

・「太陽を盗んだ男*4王道の名作という感じではなくて、むしろカルト映画の枠にずっといて欲しいタイプの名作。大した野望のない人物の犯罪はこんなにも空虚で退廃的なのかと切ない。沢田研二菅原文太とはまた違うタイプの硬派俳優なのだろうと思わせる演技の数々。筋とはあまり関係ない沢田研二のセリフ「バカほど高いところに登りたがる」がグッときた。構図がおしゃれなシーンが多い。首都高カーチェイスも見られる。ただし意外とスピードが遅い。それから猫の可哀想なシーンがあるので、猫好きは注意して見ること。

 

 

来月への展望

 

「誕生日おめでとう」を連絡できるくらいの友達のうち3月が誕生日の友達が4人いて、彼らの誕生日の幸福を少しでも邪魔しないように、彼らの誕生日が私の命日になってはいけないということで、こまめな延命作用が生じた。日付の醍醐味はそこにある。やっぱり潤一郎の誕生日に芥川が死んでしまったことが尾を引いている。

 

いい加減飽きてきたし早く仕事はしたい。

松濤美術館エミール・ガレ展が始まる。

例えば一週間に一度、無理をしてでも短編を完成させ、

私が懐いている人に読んでもらうとかそういった甘えもやりたい。

 

それからまだ仲良くなりたい人になんと連絡を入れるか、目下考えあぐねているので、

参謀になってくれる人は今すぐに連絡をくれるように。

 

満開の桜に煽られて気が触れてみるというのも面白いかもしれない。

こうも暑いとどうも残虐な気持ちになって良くない。

 

仕事はどうなっていくだろうか。正直何も予想できない。一度壁ができた集団に戻っていくのは怖い。でも離人感を良い具合に利用して、つまり他人の人生だから何をしても良いというようなポジティブに変換して、結局「あいつはダメだ」と言われるまでには相当なことがあるのだから、痩せていた人が次の日急に大きな幅になることはないのと同じように、途中で気がつく方法はいくらでもあるだろうし、と強制的に思うようにして、それから遠い過去の憂いが今はほとんど問題でなくなっている事実を頼みに、手に負えないほど遠いことは文字通り手に負えないのだから掌握しようとすることを止めるようにして、自分の名前に多くを背負わせすぎず、自分の名前が常にギリギリでいる必要があるという思いを、持っていても良いこともあるが、征服されすぎないようにし、中庸の美しさを書いている自分の日記もあるくらいだし、せっかく罰は正しく判断されるべきだと思っているのだから罰を下すまでに時間をかけること、気をつけるべきとわかっている様々のことは、よく優先順位を下げてしまうので、意識的に思い出すようにして、など。

*1:一応、フランス語が女性名詞だった。ドイツ語・イタリア語・スペイン語では男性名詞、ギリシア語では中性名詞だった。その他も色々あるだろう。蛇足。

*2:1987年。壁がある時代のベルリン。天使のダミエルは日々人間たちの心の声に耳を傾け、苦悩に寄り添っていた。そんな中、サーカス団の空中ブランコで舞う女性マリオンに強く惹かれていく。 ダミエルはマリオンと出会うため、人間になることを決意する。

*3:1995年。友人のいないエリックの隣に引っ越してきた少年デクスターはHIV感染者だった。始めこそ戸惑っていたエリックだったが、やがて2人の間には友情が芽生えていく。ある日、ニューオーリンズの医師がエイズの治療法を発見したという記事がゴシップ誌に載る。エリックとデクスターは2人きりでニューオーリンズへの旅に出ることを決意する。

*4:1979年。無気力な理科教師、城戸誠は引率した社会科見学の帰りにバスジャックに合う。天皇陛下に会わせろと迫る犯人や、傷を追いながらも事件解決に向けて動く山下警部の姿にひたすら圧倒されてしまう。それ以降城戸は犯罪に向けて動き出す。自宅で原爆を作ることに成功し、原爆を脅しの種にして国家相手に次々と要求を突きつける。犯罪をすることが目的だったので次なる要求が思いつかなくなった城戸は、ラジオ番組に電話をかけ、国家への要求の案を募る。

2024年2月

月記。

 

 

 

【対人】

 

2/4 バレンタインの買い物で近場の街に出た。街は何かを売っているようで何も売っておらず、もちろん何も買えない。

 

2/6 友達とベトナム料理。看護系の友達なので、ここぞとばかりに疑問に思っていたことを聞く。「西洋医学と思想が合わないがやっぱり病院は行ったほうが良いのか」とか、「病院に行くだけで疲れてしまい薬局に行かずに帰ってきてしまうが、処方箋を薬に変えるコツは何かないのか」とか。会話は紆余曲折を経て、結論、友達は今の仕事を数年続けて学費が貯まれば大学院に行きたいということだった。

 

2/8 同じ業界の定年間近のおじさんたちと4人でタイ料理。おじさんのうち1人は定年後の再就職先をどこにするか迷っており、1人は中年の息子が精神科系の理由で会社を辞めてしまったことで悩んでおり、また別の1人は20歳離れた彼女が結婚したがっているのをどうしたものか考えあぐねているという話をしていた。人間の悩みの多様さに驚く。私からは最近の恋愛の話と現在の会社の話を聞いてもらう。おじさんのうち1人は「朝早い新幹線で帰らなあかんねん」と言いながら阿佐ヶ谷のホテルに戻り、1人は「ウイスキーで飲み直したいから」と言って渋谷に向かい、1人は「部下からヘルプの連絡が来たので会社に戻る」と言って神保町に残った。

 

2/9 バレンタインの買い物で中距離の街に出た。もちろんある程度の物を売っており買い物に成功。

 

2/10 私がバレンタイン当日を不在にしている関係で、バレンタインをこの日に済ませる。卓に各々が買ってきたチョコレートが溢れて楽しい。

 

2/11 友達が枕を買うのに付き合ってくれ渋谷へ。代々木のモスクも見た。この日は私の機嫌も調子も悪く、会話に失敗した。ひとまず、一月ぶりに枕を入手したのでまともな姿勢で寝られることになった。

 

2/12 友達と東京カテドラル聖マリア大聖堂へ。素晴らしい建築。2人でおぉとかわぁとか言いながら楽しく見学。友達は大人びていて、待ち合わせ場所に来た黒ずくめの彼女に一旦見惚れる時間があった。契約とコニャックが好きな友達。今、改めて、他人と契約を結びたいという意見で一致。

 

2/13 友達と代々木上原でご飯。頭の回転の速さがそのまま口になったみたいな友達で、理解が追いつく頃には別の話が始まっている。ひたすら面白くてずっと笑わせられてるのに記憶がないという謎の体験。正直、何を食べたかもどこにいたかも曖昧。

 

2/14~2/16 東京にいなかった。休職していると言うと、どんな人でも必ず一度は旅行を勧めてくる。旅行する元気があったら働いている。それに東京好きが東京に住んでいるのだから、これ以上どこへ行けと言うのか? とりあえず3県を観光。面白かった。

 

2/17 東京に戻った。東京駅に着いたときの、ああ帰ってきた、大好きな土地の匂いがする、と思う瞬間が毎回好きだ。確かにこの瞬間のためだけに東京を離れてもいい。ただ今回はあまり浸る時間はなかった。家に荷物だけ置いて慌ただしく武蔵小杉の病院へ。夜は元彼と日比谷で「哀れなるものたち」。「先月映画を20本くらい見たので映画の構造が前よりわかるようになり、哀れなるものたちでも(あのキャラクター)が出てきたところで、もうそろそろエンディングだなということがわかった」と言ったら「すご!」と無邪気に喜んでいたのが元彼らしかった。

 

2/20 秋葉原の病院へ行くはずだったが、庭の梅が満開になったのでもちろん取りやめ。

 

2/21 建築が見たくて1人目黒教会へ。

 

2/22 三瓶玲奈の絵が見たくて表参道交差点へ。これも1人。

 

2/23 家族で外食の日なので乃木坂へ。この店はいつもカウンターに女性の1人客がいる。だいたいが食通の人で、ウェイターやシェフの人たちと食材の話や調理法の話で盛り上がり、イタリア語を交えながら親しげに会話している。お店の人と談笑なんて何回生まれ変わってもできない気がする。

 

2/24 友達と自由が丘。一番最近できた親友なので、一番私の最新を知ってくれている。“これまでのあらすじ”を省いて会話できるのは楽だ。近いうちに結婚式に参列するらしく、着ていくドレスを迷っていた。こういうのを考えるのはとても楽しい。結婚式周りの全てのイベントは楽しい。すぐに夜になった。

 

2/25 友達と銀座。紅茶が500種類以上あって驚く。この友達も半年後の結婚式に呼ばれているそうで、さらに驚く。あとはさくらももこのエッセイの話とか、母校にムロツヨシが来た話とか色々聞かせてもらう。以前この友達が自分自身のことを『銀の森のパット』のパットに似ていると言っていたのがわかる気がする。

 

2/27 祖母の家。モンゴルにしか生息していない緑と金に光るアゲハ蝶を採りたいと言っていたが、なんという名前の蝶だったか忘れてしまった。祖母の机に谷崎潤一郎の『夢の浮橋』が置いてあったので谷崎の話で盛り上がる。こんなに綺麗な文章が書けたら楽しいね、と。谷崎が生きているときに生まれた祖母が羨ましい。新作として『吉野葛』や『盲目物語』が発表されていた時代だ。この日は強風の日で、庭に看板が飛ばされてきた。

 

2/28 今年になってから初めての出社。片付けなどの用事。持って生まれた人徳のおかげで私には多数の内通者がいるので、「〇〇さんはこの日出張でいないよ」とか「最近は○時ごろに帰ってるよ」とか事前に教えてもらっていた。それにしても落ち着かない。駅からまっすぐ会社に行かず東京堂書店安部公房の『飛ぶ男』を買ったりして結局着いたのは20時。1人だけ残っていた部長が、(彼が会ったことのないはずの)入社前の社員の悪口を言っていて呆れた。

 

2/29 友達と羽根木公園の梅祭り。曇りの平日だったので来場者は少ない。友達の歩みに合わせて梅を1本ずつゆっくりと見る。たまにメジロヒヨドリが蜜を食べに来ていた。毎年俳句のコンテストをやっていて、今年の受賞者も粒揃いだった。カメラを向けるとよくわかるのだが梅は桜と違って、遠くから見たときに花の色が目立ちにくくて物足りない印象になりやすい。梅は枝が主体で、そういうところに品の良さを感じる。彼も、だからこそ曇りの日に見るのが良いと言っていた。

ライオネル・トリリングの“Manners, Morals, and the Novel”という短いエッセイを教えてもらう。私が持ちかけた相談に対する回答の中で引用してくれたので、きっと読むべきなんだと思う。あとはスターリンレーニンの話など。この友達からは色々な洞察と指南をもらうのが心地いい。友達はいよいよ来月に結婚式を控え、嬉しそうにしていた。初めて知り合った頃と比べて格段に大人の、家族を持つ人の顔つきに変わっている。結婚が彼にとって現実であり生活であることの凄さを分け与えてもらっている。共に喜ばせてもらえることがとても嬉しい。

 

 

以上が特筆すべき対人の話。そのほか、嫌いな人と電話をする日が2度もあった。

 

 

 

【備考】

 

上記以外の日、つまり人と会わなかった日は生きた心地がしなかった。

 

ここに登場する友達が全員違う人というのはすごいことだ。孤独孤独と騒ぎ立て大事にしたい人々に対してキモくなり一方で嫌いな人々のキモさは許せず身体を街に明け渡すことをせずもうそれだけで殺されても良い大罪なのだがなぜか大事な人々は私を殺さないでいてくれるので感謝し謝り続けるしかない。死は本人にとっては救いでは決してないが再犯が起きないという点では周りの人々にとって救いと言えるだろう。

 

前からよく見る悪夢の1つに、沢山の石を無理やり食べさせられて身体全体が重りになった頃にそのまま海に沈められる、というのがある。そんなことをしてくれる人はいないのでずっと夢に見ているのだと思う。

誰かが死ぬまで人々はその人に目を向けない。私もそう。死人のことばかり。死んだ人のことを話題にする習性が人間にはあり、生きている人のことは話題にしない習性がある。一番身近にそれを思うのは有名人が死ぬと開かれる本屋のフェア。大江健三郎のときも三省堂成城店で大きなフェアが開かれた。人は死ぬ以外に面白いことをしないから。現実の中の事件や事故や災害や、仮想の中の私の死や友達の死や、あらゆる死を思っても、シビアに見ている自分がいる。感情的に泣いていた頃はまだ誰も死んでいなかった。

 

愛が期待しなかった形で転覆した場合、自分が死ぬか向こうを殺すかみたいなことになってくる。まあそんなふうに思う日も含めて、9日間は調子が悪く、17日間は機嫌がよく、1日間は最高に調子が良く、2日間は記録がない。

 

「これまだ誰にも話してないんですけど…」という前置きで自分の話を、しかも同じ話を今月何人にしたか。その人に一番に話したかったという事実は確かに本当で、嘘がないが、現実のフィルターをかけると時間的には嘘になってしまう。全員が一番が良かったのに。

 

 

 

【他人の創作】

 

弱いので今月も他人の創作に触れてしまった。

 

まず筒井康隆『大いなる助走』を読み終わった。これはすごかった。娯楽性が非常に高く次から次へと読みたくなる上に、文学をやることはどういうことかを生命をかけて向き合っている著者に姿勢を正される。素晴らしかったので、次に何を読むかが大きく問題になってしまった。筒井康隆のあとに読まれたのではどんな作家もたまらないだろう。

 

小説現代』2021年7月号「NEO官能小説特集」短編集。著者は桜木紫乃、丸木文華、黒木渚、赤松利市、夏樹玲奈、大木亜希子、小野寺史宜、図子慧、森林原人、神津凛子、本橋信宏・相沢みなみ。多いな。多いし読み疲れた。1つだけホラー小説が混じってて、怖いので注意。

「官能小説」とは・・・? 何を読まされているのか考え込んでしまう。どれも情感あふれ、洗練されており、1つ1つ読み終わるたびに上を向いて「おお~」と言っていたのだが、人間関係を書くのが上手いからそうなっているわけで、何ジャンルのなになのかよくわからない。たとえば泉鏡花は官能的だが官能小説とは呼ばれない。純文学と大衆文学の線引きなんかよりこっちの方が断然難しい。

 

一条ゆかり『ときめきのシルバー☆スター』デヴィッドボウイの見た目をしたキャラクターがジェフベックの見た目をしたキャラクターと仲良くしていて目が楽しい漫画。一条ゆかりの中では駄作。

 

 

テレビ。

NHKの『最後の晩餐』でスネークマンショーが取材されていた。昔と変わらない、粋でナンセンスで英米の香りがする2人のコントに大笑いしながらも、伊武雅刀の老いを画面いっぱいに映し出されて大泣き。

 

 

音楽。

・陽水のアルバムは「九段」をよく聴いた。「ビルの最上階」がよくハマるようだった。

・フリードリヒ・グルダベートーヴェンピアノソナタ第8番悲愴、第14番月光、第23番熱情、第26番告別。

トスカニーニ指揮のシューベルト。5番、8番、9番。

ザ・タイガース。「出発のほかに何がある/誓いの明日」去年友達からもらったやつ。活力が湧く。

松任谷由美「時のないホテル」魅力再発見(おこがましい)。信頼している人とこのアルバムの話をしたい。もっぱら音楽を聴く機会が母の車の中だったので、こういうしっとりしたアルバムはドライブと合わず魅力が半減していたと思う。これはかなり私が悪い。音楽は媒体も場所も大事だという当たり前を痛感する。

・Char「Char II have a wine」おしゃれ古い。

Sting「MY SONGS」最近出たセルフカバー。

・桑名正博「IT’S ONLY LOVE」ドラマチックな曲が多い。自分の中で桑名正博ブームが来ている。

・Mom「悲しい出来事」寛大な友達が教えてくれたアルバム。明るくて好きだったので何度も聞いた。Momという歌手をこれで初めて知ったのだが、シティボーイで、しかもそのシティというのもどこかの政令指定都市を思わせる人だと感じた。「計画」を「けーかく」と歌う若い甘さにそれを感じているかもしれない。

Brian May「Back To The Light」

・友田オレ「ごらんね」

BLANKEY JET CITY「悪い人たち」

 

 

映画。

・疑惑(1982年)。すごかった。12人の怒れる男たちみたいな感じで不利な状況を打破していく。鉄の岩下志麻である。桃井かおりも負けていない。事件の発端となる旧家の差別意識もまた思うところあり。

 

写楽(1995年)。ジャジーだし傑作なんだと思う。江戸に興味がないせいでいまいち感動できなかった。江戸が好きな人にはかなりおすすめ。良い犬が出てくる。

 

セルピコ(1973年)。マフィア役じゃないアルパチーノを初めて見たので混乱した。良い映画。可愛いむく犬が出てくる。

 

狼たちの午後(1975年)。オープニングがエルトンジョンでテンションがあがる。いやーすごい映画。すごい映画だこれは。原題はDog Day Afternoonで、dog daysが夏の最も暑い期間という意味らしい。かっこいいのでブログ名の由来はこれということにしようかな。

 

・哀れなるものたち(2023年)。特定の誰というわけではないが主人公ベラに向けられる支配欲は誰かがかつて私に向けたものであり懐かしみを覚えた。それだけでなく、作中の男性たちが見せる多様な愚かさの一つ一つに既視感がある。教育の成功を見ることができるファンタジー。ダンスシーンが素晴らしい。

 

 

【来月への展望】

 

今月はある程度分散させたので書くことが何もない。やりたいことは色々あるが今は思いつかない。

手帳に描いた絵を記事に付け加えたい。やり方がわからなかった。

水晶玉子によれば良い時期らしいのできっと良いことが起きるだろう。

 

一つだけ、予定がないとろくなことを考えないので常に何かをしているようにするべきだ。

 

私はいつも真実だけを話したいし話しているが、受け手との真実観が違うことがあるので、そういうときは結果的に嘘をついているようだ。これも何割が嘘になるだろう?

 

 

2024年1月

今月の月記。

今年は骨折とかするかもな、とぼんやりとした予感で目覚めた新年。

やることがなくて、柄にもなく目標とか立ててみたりした。目標って理解できない行為だ。目標などというのを流行らせた黒幕は寿命か?

それはさておき、スマホも極力見ず、友達とも極力会わず、禁欲の幕開けだった。スマホにこれ以上触れてると精神分裂の進行が確実だったから一旦控えることにした*1。ずっと心身症に悩まされていて、身体の中に精神を引き戻す作業を頑張ってはみている。まだ怪しいところもあるけど、去年の秋に比べたらだいぶましになってきた。

 

そもそもこういう甘えた口調で日常を公開するのは難儀だ*2。でもさっき立てた目標の1つに日記を公開する、というのがあるので仕方ない。1度、しいたけ占い風に下書きを書いてみたものの不可能だった。あれは常人には真似できない*3。多めに固有名詞を入れると花束みたいな~*4っぽくてより凄みがあるからやってみようと思う。

 

ところが毎日似た流れで暮らしていたので日記もなにもない。昼ごろに起き出して一通り娯楽に手を出したあと、夜になったら家族と少し話して、また自室で娯楽、眠くなったら寝た。何もしない時間は少なかった*5

 

今月の記録は娯楽が大半を占める。同じ娯楽*6を共有している人がいたら感想を言い合いたくて仕方ない。なので娯楽の中身を書く。

娯楽の中身→映像類、音楽、外出、ポッドキャスト、文字類、その他。

 

 

 

1. 映像

まず映像類。感想なんてものを書き始めるとたちまち言葉が分節を始めて感情がミンチにされる。それはもうメタメタ*7のズタズタ。本来はFilmarksだって「わあ」とか「おお」などの感嘆だけで溢れかえるべきだ。

でも仕方ない。他人と見たものを共有し、あわよくば感想を交換したいという下心を私は抑えきれない!

すぐに感想を検索してしまう。そして読み込んでしまう。本当は私が10代の頃に感動した青春映画*8が友達を中心に大流行していてほしいが、実際していないから仕方ない。孤独。以下、約20作品が続く。

 

ラブ・アクチュアリー*9。3回目くらい。元旦に見た。元旦に見ても普通に良い映画で、ラブ・アクチュアリーってすごいなと思った。紅白で森進一が襟裳岬を歌う*10のと同じくらい安心感がある。幼い頃はカールが好きだったけど、今は「あーかっこいいなー」くらいの距離感を保てている。

 

フラッシュダンス*11。初めて見た。主人公がストイックな努力をする努力奨励映画かと思ってたらそこまで努力人というわけではなくて助かった。むしろ、明るい若い女の子がちゃんと迷ったり恋愛したりしながら努力のスタートラインに立つまでの映画で、そこがとても良かった。時々目を見張る美しいカットがあってそれも素晴らしかった。

 

・侵入者たちの晩餐*12。これはリアルタイムでテレビで見た。面白かった。バカリズムってなんで分裂症にならないんだろ。

 

・ナインハーフ*13。冬は見ると決めている。今回もちゃんと悲しい。しっかりサントラにはまって、しばらくの間Lubaの力強いブルースを聴いたりしてた。ブライアン・フェリーのSlave to loveに乗せて猛烈楽しげな2人がニューヨークの街を走ったり踊ったりする円満デートのシーンが好き。もちろん裸体を蜂蜜まみれにするシーンも、四足で這わせてお金を拾わせるシーンも女優の美しさが際立ってとても好き。

 

・危険な情事*14。ナインハーフと同じエイドリアン・ライン監督。めちゃ怖だった。なんで1人で見ちゃったんだ。監督は水に正欲*15なのか? 毎回ヒロインが水を頭から被ってる。ショー的、人工的、視覚的で傲慢な水。水が全く人間の従者であるかのような。犬好きの人へ、途中でうさぎが酷い目に合って叫んだけど犬は最後まで無事だったよ。めちゃ怖だったからもう一度見るかは怪しいけど時折思い出すことになる映画だと思う。ショパンのプレリュードが耳に残る。

 

・危険な情事が本当に怖かったので次は楽しいやつが良いと思って、ナインハーフのパロディも出てくるホットショット*16を見ようと思った。でも家にあったホットショットのDVDケースはなぜか空で、見つからない。仕方ないので同じ脚本家の裸の銃を持つ男*17を見た。明るくて楽しい映画だった。パロディを全部拾えてる自信はない。でも面白かった。ホットショット見てみたい。ほんとどこに失くしちゃったんだろう。

 

寝ても覚めても*18。洋画が続いたから邦画を見たかった。前はいつ見たかとかどんな話かとか全然覚えてなかったけど、大好きな映画だったというのと怖かったという2つの感情だけ鮮明に覚えてて、大好きの記憶のほうを頼みの綱に、また見た。どっちも合ってた。大好きで怖い。なんで1人で、しかも寝る前に見ちゃったんだろう。そういえば1回目見たときも怖すぎて記憶を全部消したんだった。そのときから今日までに起きた実体験がより重なって、より濃厚に動悸が止まらない。そういえば今気がついたけどこっちが麦(ばく)で花束は麦(むぎ)だ。次犬を飼ったら小麦ちゃんと名付けようと思ってたけど絶対にやめた。今適当にばくとむぎをを並べたから誰かが怒ったと思う。格も質も違いすぎる。この映画は体力を使うから次見るのがいつになるかわからないけど、いつか必ずまた見るだろうなという予感。唐田えりかについては2月に公開される極悪女王が楽しみ。

 

・セックスエデュケーションのシーズン4*19。就活のときに見始めたやつがいつの間にかシーズン4まで進んでいて時の流れを感じる。長々と続いてるのにそこまで失速してないのもすごいし毎回選曲が好き。内容にはたまに鼻白む。葬儀でU2のwith or without youを演奏するシーンで泣いた。最終話でアレサフランクリンのLet it beがかかるのも泣いた。やっぱりイギリスのドラマだから音楽いいなとか思ってしまう。音楽監督は誰?同じ人が選曲担当してる映像が見たい。その人の追っかけになりたい。少なくともイギリスのドラマの中では、音楽はまだ死んでなくて、まだ力を持っているのが嬉しい。平和な世界が来るかもと思わせる力がある。U2で泣いたの悔しいんだけど!

 

・蘇る金狼*20。このあたりで硬派なのを見ようと思い立った。ドキドキワクワクハラハラでこれぞ角川映画。大衆を楽しませてやるという角川の気概を感じる。激渋ハードボイルド。冒頭からかっこいい。何もかもがかっこいい映画だった。銃!麻薬!悪銭!女!みたいな作品は大好き。中高のとき、母が仕事に行くついでに学校まで車で送ってくれることがしばしばあって、青山通りを抜けるたびにハンドルから両手を離してアクセル全開で「蘇る金狼ごっこ!」と楽しそうだったのを思い出した*21。当時は映画を見てないからよくわからなかった。角川全盛期世代の母とのほっこりエピソードだ。カウンタックってまだファンは多いんだろうか?

 

・ギャングのボスになる方法*22。ドキュメンタリーシリーズ。前作のカルト教祖になる方法が面白かったから。カルト教祖然り、ギャングのボス然り、強烈な自己愛とカリスマ性が必要なことがよくわかった。まず性質が先にあって、環境が何を選択させるか決めているように思う。つまりある環境ではカルト教祖になる素質があった人物が大戦下のイタリアにいたから手段として暴君を選択した、といったような。銃を選択しさえしなければあるいはこの人たちはウォーレンバフェットだったかもな、とか。何を好きかも偉大な能力の1つだと強く思う。同じシリーズで暴君になる方法もあるけど見るか迷う。政治にはよく傷つけられる。カルト教祖とギャングのボスはどちらが人口が多いんだろう?

 

・エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス*23。面白かった。長いけど、メッセージ性もなく、筋もなく、安心して我を忘れて見ていられる。超アメリカ。アクションとハッピーエンド。映画ってこうじゃなくちゃね!

 

・マリー・ミー*24オーウェン・ウィルソンだ!と思って見始めた。終始ハッピーな良い映画。マイ・インターンとか好きな人は好きそう。良い人しか出てこない映画はほっとする。キーツのくだりはローマの休日を思い出した。

 

・白い馬*25アルベール・ラモリス監督。最近馬が見たくて仕方がない。犬と違って馬は家にいないから馬を見るためには外に出ないといけない。即席に願望を満たすために「馬 映画」で検索してこの映画を知った。超・名作。まず映像がとにかく綺麗。馬は本当に綺麗な生き物だ。舞台はカマルグで、フランス人はカマルグに一種の憧憬を覚えているのかもしれない。「フレンズ~ポールとミシェル」でもカマルグに野生の馬が走る映像が使われていた。40分ほどの短編で飽きない。筋がないかと思いきや衝撃のラスト。「えっ」と絶句して私の部屋の空気が止まった。牧歌的な映画だったのに一変、いや正確には一変も何も、怖さを感じるのは私が文明人だから。「白い馬」はどのシーンも美しいんだけど、なんと言っても波に少年と馬が飲まれていくところ。こんな救済あったらいいな。動物に誘われて新世界に行く話といえば、オシラ*26とか、インドのワニの王様の話*27とかね。世界各国たくさんあると思う。童話によくある簡潔な物言いがむしろストーリーの取り返しのつかなさを増幅させて、大人にとっては超自然への畏怖を呼び起こしたりする。子供は神に近いという命題は日々随所で実感する。しかし良い映画だったな。友達に見てもらいたい。感想を言い合うのが大好きだからよろしく。奇しくも映画を見た1/13は監督の誕生日だった。

 

・赤い風船*28。同じ監督の短編映画。映像美!灰色の街に赤い風船。女の子の青い風船と出会うシーンがお気に入り。「白い馬」同様、死を連想させるラスト。「白い馬」よりは童話感が強い。死は死でも、幼い子供の儚さとか、赤ちゃんを見てるときの「この子はある日突然パッとどこかに消えちゃうんじゃないかな」と思わせる、あの儚さが近い。全ての風船映画の原点なんじゃないか。ナインハーフのあの風船シーンももしかしてこれのオマージュだったりするのかも。

 

・ドラキュラ*29石岡瑛子が衣装担当と聞いて。血が苦手な人は休み休み見ないといけない。貧血になりながらも楽しく見た。衣装も俳優の顔も綺麗。可愛い狼も出てくる。ゲイリー・オールドマンはかっこいいな~。それにしても原作ドラキュラってこんな悲しい話だったのか。エンドロールでアニーレノックスの歌声にとどめを刺されて情緒がさらわれた。映画ってエンドロールを見るために2時間耐えてるところある。正統派ゴシックで、クリムトのゴルゴン三姉妹*30をなんとなく思い出していた。正直、ドラキュラ物は今まで避けていた。“お耽美”と悪趣味を混同したような創作が一人歩きしてたし、そういうのを見ると耽美を舐めるなと苛立つ。デヴィッド・ボウイカトリーヌ・ドヌーブがやっていたほうのドラキュラ映画が良い例で、俳優の顔は耽美だったけど演出が悪趣味を極めていて全体としては最悪の出来だった。一方でこちらはちゃんと万人受けしそうな円満で安全な美に留まっている。耽美思想は全く感じられないけどそこが良い。美と商業のギリギリってこの辺だろうなと思う。監督が成功者と聞いて納得。傑作。ただし怖くて疲れる。

 

Ribbon*31。前衛芸術。のんはすごい。綺麗でエネルギッシュで言いたいことがある。深堀骨さんが猛プッシュしてたのよくわかる。邦画のセリフ少ない感じ、退屈は退屈。

 

ロスト・イン・トランスレーション*32。大好きな日本をこんなふうに描かれて拒否反応が出る人は多そう。私も若干。知らない東京ばかり映し出されて私の故郷はこんなのじゃないと言いたくなるような。でもこれが街中で見かける不良外国人観光客のリアルかもしれない。お寿司屋さんで卓に足を乗せたり繁華街で大声を出して走り回ったりする裏にはこういう理由がね。なるほどね、という。まあこのくらいの意地悪を言って気を済ませたあとでちゃんと考えると、重要な指摘をもらった映画。来たくもなかった異国でダラダラとモラトリアムに浸る2人は「花束みたいな~」の2人が付き合いだした動機とほぼ重なるわけで、本国に帰ればもちろん2人の間にも分かり合えなさが発生するのは目に見えている。普遍・不変にどこでも同じような始まりで男女関係はスタートするらしい。誰もが仲間を探している。登場人物の1人1人の行動にもっとこうすれば良かったが存在していて、渋谷と京都しか知らない白紙状態だからこそ、今後に期待ができるというものだ。つまり、むしろ対話可能性を感じるところにこの映画の良さがある。

---1月も15日が過ぎたあたりで毎日映画を見る生活に飽きてきた。集中力、2週間の命。

・「曲がれ!スプーン*33。クリスマスのほのぼの映画。長澤まさみ可愛いな~。長澤まさみ大好き。上田誠も大好き。

 

・ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ*34。面白いけど何かが残るかと言われたらそうではなかった。スティング出てきた!スティング見れて満足。ただしポリスは1曲も流れない。レザボア・ドックスとかのファン層と被るんだろうな。“ガイリッチー_タランティーノ”で検索しかけてやめた。小難しい映画評論ブログとかがヒットしそうだったので*35。きっと映像の形式について細かく分析されてるんだろうな。好きだったけど、小物の犯罪は悲しくなる。

 

・バーバレラ*36。すごすぎ!すごいものを見た。全体に無駄なお色気シーンが多すぎるけど、主人公バーバレラの純真さのおかげで全く汚さがない。デュランデュランがこの映画からバンド名をつけていたのを初めて知った。色々な監督に影響を与えていそう。雰囲気は「フラッシュゴードン」「コナンザグレート」「デューン砂の惑星」などなどに通じるものを思い出す。被虐シーン1つとっても、鳥についばませたりオルガンの中に入れて演奏したりいちいち風流だし、美術がおしゃれでフレンチポップな感じ。皇帝の夢の中を漂うシーンとかは漫画的な綺麗さもあった。

女性の綺麗さ-優しさ/無防備な他人への信頼-無知・知性の欠如の結びつきに関して何か文学論のショートエッセイでも書けそうな風合いもある。“なぜ自分達に酷いことをした皇帝を助けるの?”と聞かれて、“An angel has no memory.”と答える天使の凄みについても。

いろんな人に見てほしいな~。浮遊しながら宇宙服をどんどん脱いでいくジェーンフォンダに無重力フォントが重なるオープニングシーンが本当に綺麗で、そこだけでも見る価値がある。

 

明日のナージャ*37

可愛くて懐かしい。リアルタイムで観てた4、5歳のときはストーリーを追う能力がなくちゃんと理解していなかったので、今回改めて見て色々刺激的だった。当時ナージャが1シーズンで終わったのがショックで、後釜のプリキュアはハマれなかった。

各話で色々な国の風俗や名所が紹介されてて楽しいし、調度品の数々が憧れをそそる。ナージャは明るくて正義感が強くてどこまでも主人公、加えて異常にモテる。一本気なナージャからは学ぶところが多い。若い女の子のこの感じ好きだな。

後半にかけてビターで大人びた話になっていく。特に話の随所で出てくる格差社会にヒヤッとする。ナージャに対抗する悪役ローズマリーも作品が違えば主人公になり得る肝のすわった人物で、場合によっては一国一城の主になれるかもしれない。彼女の起業家精神からも学ぶところが多い。

ナージャノブレス・オブリージュを地で行く生まれながらの“良い貴族”。誰にでも分け隔てなく与え、疑うことをしない。ときに視聴者をイラつかせるほどの無防備さは、単に馬鹿なのではない。実は強い思想に裏打ちされている。ローズマリーとは同じ孤児院育ちのはずが、両者の性格形成に何が大きな隔たりをもたらしたのか?その性分の違いにこそ埋められない格差が存在し、思想が正反対の両者が最後まで仲直りしないのは聖戦のようですらある。

50話もあると、考えることが多い。

 

印象的だった回のいくつか。

第26話。ナージャと黒薔薇のデート回。グラナダアルハンブラ宮殿を舞台に、水といい光といい、急に演出のクオリティが段違い。双子から想われても双子どちらも選ぶというのはできないのでナージャはこのあと壁に当たることになる。顔で好きになると同じ顔をした人が2人現れたら困るらしい。寝ても覚めても

第29話。この回が一番好き。様々な美男美女が出てくる明日のナージャの中でも、カルメン&ホセカップルが好きなのでスペイン回は嬉しい。かと思いきや、えっ!?というホセのラスト。死が暗いものとは限らないという力強い回でもある。

第33話。ブローチを盗られるエジプト回。このあたりから心臓に悪い。ナージャの無防備さにもさすがに怒りを覚えてくる。イギリス人*38がエジプトで宝飾品を盗まれるというのは中々皮肉が効いている。

第38話。ナージャの貴族の座を奪おうとするローズマリーナージャが貴族である証拠の1つ、ナージャの母のドレスをビリビリに引き裂く。そして一言、「(ナージャのように)優しくて可愛くて誰からも好かれてるってだけじゃ幸せになれないのよ」

うわっ!と声が出た。すごいセリフだ。優しくて可愛くて誰からも好かれてる人なんてまず稀有なのにそれでもダメなんですか!?小公女セーラのラビニア*39よりもムカつくかもしれない。

第44話。雪と薔薇が入り混じるシーンがとても綺麗。

第50話。最後の最後、ナージャに好感を持っている美青年たちがナージャのために道を開けるところで泣いた。

 

以上見た映画類。もう私でさえここまで読んでいない。

 

挫折したもの:

セントエルモスファイアー。飽きちゃった。

イージー・ライダー。長い。

禁じられた遊び。暗い。しかも犬が死ぬ。

暴君になる方法。戦争絡みは辛い。

 

これから見たいもの:

ホットショット、続フレンズ、アンタッチャブル、恋はデジャ・ブ、WATARIDORIベルファストマダム・イン・ニューヨークセルピコ黄色いロールスロイス、窓ぎわのトットちゃん、哀れなるものたち…映画無限。

 

 

2. 音楽


映画のことは金輪際忘れたい。一方で音楽は大好きでいつも心の助けになる。本当にありがとう、音楽。

毎日気まぐれな時間にピアノを弾いていた。ピアノの先生が死んでから、クラシックは最後に習ったシューベルト*40しか弾けなくて、何年も同じ曲を弾いている。まだたまに泣いたりする。弾きたい譜面はあれど、譜読みの能力が低くて新しいクラシックはなかなか手が出ない。ポップスは森田童子が簡単だったからぼくたちの失敗を弾いていた。まあまあ上手くなったと思う。

映画「危険な情事」の中で奥さんが弾いてたショパン前奏曲4番*41が楽譜を見たら意外といけそうでちょっと弾いたりした。色々調べていたら、ジミーペイジがライブでカバーしている動画を発見。“泣きのギター”で実際泣いた。渋い。漫画サザエさんの中に、女の子がブロンソンの写真を抱いて「しびれるゥ」と言ってるコマがあるんだけどまさにあの気分だった。

 

聴くほうは相変わらず井上陽水で、今月は、移動電話、5月の別れ、ロングインタビュー、手引きのようなもの、そのあたり。あとはロックが多い。ロック大好き。世界は愛だぜ。

 

アルバムごと聴くというのを久しくやっていなかったのでこの機会にいくつか。

・Luba「Secrets and Sins」ナインハーフのおかげで知った。ナインハーフありがとう。

ENIGMA「MCMXC a.D」邦題だと「サッドネス(永遠の謎)」。邦題、なんだそれ。

小坂忠「ほうろう」しらけちまうぜを友達が教えてくれてアルバムごと聴いてみた。全部聞くと、いなせ思想の強さ(?)が強調されて良い。

Meat Loaf「Bat Out of Hell」ちゃんと元気出る。真面目。

KRAFTWERK「AUTOBAHN」かっこいいなこれは!ちょうどたった今の実存にハマる音楽を見つけたときの嬉しさ。

井上陽水バレリーナ」初めて聞いた。新しい感じ。地味だから今まで辿り着けなかったんだと思う。

・桑名正博「テキーラ・ムーン」良い曲ばっかり。上質な哀愁だ。声が滑らかで好き。

・第10回浜松国際ピアノコンクール本選の安並貴史、今田篤、ジャン・チャクムル。コロナ前最後の大会。全員本当に素晴らしくて洗われる。今年の秋に第12回大会が開催されるはずなのでぜひ行かないと。

松任谷由美「LOVE WARS」1番好きなユーミンを聞かれたら答えてるアルバム。愛は常に戦いで、そこが愛の良いところだからね。

 

こうして並べてみると名盤ばかり。本当は同時代人にどうしようもなくハマる経験をしたい。時代の精神というか、雰囲気はあるから仕方ない。時代の中でたった1つが好きという選択はできない。

同時代人といえば大学の友達のニュータウンVが1stアルバム「ニュータウン宣言」をリリースした。たまらなかった。よく知っている人の困難と希望が詰まったアルバムのなんと良いことか。創作を完成させたという凄さ。ああ、しっかりしないと、とぼんやり思った。

 

ところでレコードだと背が薄く、閲覧性を高くするためには収納方法が限られてくるが、CDだと背が四角くあるので物色しやすい。それにCDのほうがライナーノーツの文量が多い気がする。解説や後書きを読むために文庫本を買うのと同じで、媒体としてはCDが一番好きだ。聴く媒体が違えば良いと思う音楽もかなり違う。人間はかなり媒体に左右されている。会社を休まないとこんなことにも気がつけないのかというため息もありつつ。

 

 

3. 授業


大学の授業は計5コマ受けた。立教大学上智大学

大山顕先生の写真文化論。覚え書き。あまり整理せずに書いている。

~~クロードグラスという18世紀イギリスで流行した凸面鏡があり、旅先の美しい風景をこのグラスに映して見ていたらしい。「風景画のように」風景を見る目的のもの。正直意味がわからない、なぜ肉眼で見ない?と思ってしまうが、この行為に象徴される「我々人間は風景をどこかで見たようにして見たい」潜在的な願望/思考の癖がある。

ラスベガスという街は一本の道でできており、街の外側には常に砂漠がある。過酷な砂漠(死を連想させる)が煌びやかな街の背後に見え隠れするぞっとするような街である。ラスベガスはモールに似ている。

モールが一般化したのは2000年代で、建築家はモールを小馬鹿にしている。モールのファサードやエントランスは内装の延長のよう。モールの外観は巨大な看板が貼られた倉庫のようで中に街を作ろうという思想のもと作られている。街を内部に抱えて、その周辺環境に対して建築的なアプローチを取らない箱庭。ラスベガスでは、周りの砂漠を忘れようと意識的・無意識的に至る所に水槽や噴水が設置されている。ラスベガスに顕著なだけで我々をシミュラークル的な造園を行う性である。

70年代、ラスベガスは偽物に溢れた街で、研究対象ではないと言われていた。ヴェンチューリが初めてラスベガス研究に意味を見出した。ラスベガスの巨大看板は建築のファサードを道路沿いにまで引き剥がしたもの。視覚に訴えかける風景、ディスプレイ的な風景である。ファサードが遠のいて映像が町中で映し出されることは今後加速の一途だろう。~~

 

最後の授業は、毎日同じ時間になんでも良いので写真を撮るということについての講評。授業後、私も始めたので1ヶ月分溜まったらまとめようと思う。写真は我々の目がいかに何も見ていないかがわかる装置であり、考えるための道具・客観視するための道具であるという総括だった。

 

・桑原先生の芸術学では地図学と天皇の図像論。美学ではブルデューディスタンクシオン

色々、本当に色々思うところがあってまだ消化できていないので後日の追記を待つ。

 

~~文化的欲求は実は教育の産物であり、家庭環境に左右される部分が大きい。階級意識の強い社会の中では、芸術と芸術を見る才能の様式が作られ、日々の立ち振る舞いまで全てを巻き込んで自分達の階層を差別化/高尚化していったという話。排他的な構造や参入障壁の高さを指摘し排除への怒り、文化的な闘争を提唱。生活のあらゆるものに芸術を適用して生活のエリート化をする人々(階層の高い人々)は例えば労働者の手の写真を見ても完全な観察者であり、形式に注目する。一方で労働者階級の人々は同じ目線で見、全く対象化しない。

趣味はこれは良いとか悪いとか分類し、その趣味を持つ人のことも趣味を使えない人から分類する。印象的なのは「『眼』とは歴史の産物であり、それは教育によって再生産[獲得・継承]される」という部分など。~~

 

他の大学も行ってみたかったけどどの先生がどこでどういう授業をやっていて、みたいなのを調べる気力がなかった。

 

かつて習った先生たちに突撃したりもした。先月まで教授相手に新規営業をしていた経験が悲しくも活きてしまい、話したかった人とは全員会えた。意外とみんな私のことを覚えていてくれて嬉しかった。

「あのときはセクハラになるから言わなかったんですけど」っていう前置き、ろくな話が続いたことないよな。教授業って意外と欲に忠実というか。むしろ象牙の塔で当然と言うべきか。誰もが大山先生や桑原先生のような人格者ではないのでそれは良いのだが、私にとってのバイブル『砂糖菓子が壊れるとき』を思い出したので書いている。あれに出てきた天木教授って割と普遍的な教授職の姿かもな。とはいえ教授たちに会えてめちゃくちゃ嬉しいという定まらない感想。

 

 

4. ポッドキャスト


挫折の記録。結論から言うと中トロラジオ*42のみ。

それぞれのポッドキャストにはリスナーとのコミュニケーションの蓄積があり、それをわかってこそなところがある。喋る人の価値観に興味がないと聞くに堪えない。今月も中トロラジオの他に色々聞いてみたが、ほとんどの場合「ちぇっ興味ねぇや」という顔をしていた。会話に参加したくなってどうもフラストレーションを感じるパターンもある。

中トロラジオを聴き始めたのは2022年だから、22年以前の文脈を知らないリスナーを排除しない中トロの2人の腕と、私がたまたま中トロの2人に興味を持てたという偶然が重なった産物ということで、むしろこっちを奇跡と思うことにした。

 

1月中に更新された中トロラジオは4本3本。

ケンタッキーの話で楽しそうにしていた。

新しい発見としては、ネット的であること。ネットから離れて生活していると少しでもネット的なものに敏感になり、1歩歩くごとに「あ、ネットだ!」とやるようになるもので、中トロラジオからもネットの匂いを敏感に感じ取るようになった。何がと言われると難しいけど語彙とか引用先とかノリとかかなあ。1年以上聴いてたのに気がつかなかった。

最新回が更新予定日を過ぎてもアップロードされなくてハラハラしてしまった。多忙な2人が趣味でやってるポッドキャストだし、いつかは終わってしまうことが確実で、それがついに…とか色々考えてしまった。私のSpotifyがおかしい虞もあると思って少しツイッターに戻ったり、フィードを更新してみたり。お行儀の良いファンが多いこともあって、中トロラジオが更新されていないことを誰も話題にしていないのが余計怖かった。

元気ならそれでよし。

 

ニコルソンベイカーの『中二階』を仰ぎながら注釈をつけるのにも飽きてきた。

 

5. 外出

用事の有無に関わらず1日に1度は外に出るようにしていた。というか出たい。先月までやっていた営業の仕事で唯一楽しかったのも常に移動していたことで、「外」とか「社会」とかが割と好きだ。あまり人と会うとまた昂揚して気が触れるので、極力1人でいた。本音は早く予定を詰め込みたい。来月から徐々にそうする。

1人だと行く当てもないのでコルティの三省堂だとか大蔵公園のプールなどをフラフラと。プールは良い。濡れるのだけが唯一理解できない面倒さだが、水の中のほうが息がしやすい。

 

1/5 授業。

1/7 親友と中国茶。仕事を頑張っていて顔が私の好みで、どこか変わっている親友。中国のどの地方のものなのか、名前もよくわからないとても美味しいものを食べた。今まで話したことがない話もできて良い年明けだった。

1/9 授業。

1/15 友達の家。初ピザーラだった!とても美味しかった。編集者の友達の本棚というのはいつ見ても話題作だらけですごいなと思う。過去を思い起こしてみても、数名の本棚全てそんな感じだった。話題というのは人為的なんだなと思う。日本の編集者同士でそういうプレイをしているとしか思えない。どの業界も文脈プレイだよね。

1/16 授業。

1/19 授業。

1/20 筆記試験。せっかくのES通過を無駄にしないようせめて漢字の対策をしたり。手応えがなくて泣きながら帰ってるところ雨まで降ってきて最悪だった。1月中で唯一暗かった日。午前中に終わったのにそのあと何もできなくて天井を見て過ごした。

1/21 友達と美術館。本当は誘わないつもりだったけど、どうしても我慢できなくて連絡しちゃったやつ。一日中笑っていて本当に楽しかった。桑原先生の授業中に思い切ってラインした甲斐があった。六本木ミッドタウンの庭園内にある美術館で、私の記憶の中ではその場所はレストランだったような気がしたのだが、はて?と不思議に思った。でもあれも今となっては20年前。なんという店だったかわからない。

展覧会の帰りにニュータウンVデビューのお祝いを買って、それも楽しかった。贈り物を選ぶときにその人との関係性が客観視されたりする。つまり、プレゼント(=ある程度の押し付け行為)をあの人なら許してくれそうだという信頼感。

1/23 祖母の家。祖母の友達はもう堤野さんしか生きていなくて、堤野さんは定期的に歴史小説を祖母に送ってくる。今回も堤野さんがくれたチャンバラ小説が増殖していた。「面白くないけど仕方なく読んでたら詳しくなっちゃった」とのこと。プルースト西行が大好きな少女趣味の祖母にチャンバラ小説は無茶だ。他にも、柴田杏里さんのギターの話とか、セイロンのコテラワラ大使*43と付き合ってた頃の話とかを聞いた。こちらからも最新の噂話をお届け。沈丁花が好きだと言ったら哀しい匂いがするから嫌だと却下された。この時期は水仙*44に限ると言う。去年の秋に来たときも、私が花の中で芙蓉が一番好きだと言ったら肉感的すぎると却下された。同じ頃ならリンドウが良いと言っていた。

あと面識のない親族がネット上では自殺したことになっていたのが気になっていたので、良い機会に聞いてみた。そんなことする人じゃないわよと大笑いしていた。普通に心不全らしい。自分にも遺伝上、そういうことが降りかかるんじゃないかという漠然とした恐れが少しほどけた。芥川龍之介になり損ねた。でもどの記事を読んでも自殺ということになっているのが悩ましい。訂正しようにも、口伝よりもマスコミが正しい出典とされてしまうのは目に見えているので困った。これは意外と大きな問題ではないか? 『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』*45って改めてすごい小説だったんだな。

1/25 友達とあんみつ。美味しかった。会ってるあいだに母から火事の連絡。私の家のすぐ近くが火事になっていた。緊急性はなかったので帰らずいたものの、気がそぞろで友達に申し訳なかった。連絡があってから5時間ほどして帰宅したときもまだ消火活動中だった。火事は火というより煙だと知った。外壁以外全て黒く焦げていた。

1/27 病院。病院嫌い!

1/29 別の病院。病院嫌い!帰りにコートを買いに行った。「これ探してるんですけど」「こちらに」「あ、買います」くらいのスピード感でお店に10分もいなかった。

1/30 友達と赤坂離宮。そのほか四谷周辺。友達というか会社の先輩。関西支社の人で、有休で東京に来るついでに誘ってくれた。会社の人なのに休日に会ってくれるんですか!?という感動。自分を見てくれている人が1人いるだけで救われる。

 

以上。今月の私は、社会的には仕事をしない穀潰しなのだが、こうやって書き起こしてみると意外と社会側に関わってくれる人が多くて幸福だ。シソンヌの言うところの明るい引きこもり*46だ。

それぞれの友達から学ぶことが多く、関係性も多様。相手にとって私が重要人物でなくても、私にとって重要人物であるパターンをかつては容認できないでいたが、最近はそういう関係にも心地よさがあることを理解できるようになったのがとても嬉しい。

 

こんなに用事が少なかった月は久しぶりだった。本当は他にも連絡したい人がたくさんいて、それぞれ一緒に行きたい場所を無限に思いついたが、ぐっと耐えるとき。早く働きたい。飽きた。

 

3月にあるチャクムルのコンサートチケットを買った。数年前トルコの香りがするようなカラッとしたピアノに魅了されて以来ずっと忘れられなくて、でもなかなか予定が合わなくて、ついに!97年生まれの若いピアニスト。3月というのはとても遠く感じ、その日に私がいるイメージが掴めないが、それでも。

 

 

6. 本

本はよっぽどのことがないと読まない。本は暇つぶしの選択肢に上がってこないくらいには信頼していて、読むときは真剣白刃取りくらい真摯に構えてしまう。

 

・『ファミレス行こ。 上』絵が上手い。

芥川賞直木賞の発表があった。芥川賞そのものよりもニコニコ生放送栗原裕一郎さんたちの解説が好き。社会人になってから時間的に見られなかったので、今回は久しぶりに見られて嬉しい。ノミネートされる作家も90年代生まれが増えてきた。たまらないね。文壇…分断…。発表後すぐ、コルティの三省堂に買いに行ったものの、直後すぎてあまり棚もできておらず、気分が変わってしまったので九段理江改め筒井康隆の『大いなる助走』を買ってきた。栗原さんが話題にしてたので。面白くて仕方がない。筒井康隆は確かに巨人だ。これは自分にとって印象深い本になるということが読み始めてすぐにわかった。まだ半分のところなのでこの後どうなるか気になっている。

・毎期楽しみしている「白水社の本棚 2024冬」が届いた!白水社が出している季刊冊子で、新刊案内を骨格に豪華著作家陣のコラムが載っている冊子。今期もとても面白い。多くの人が購読するべきだ。

・Max Kruse『Das Silberne Einhorn』ドイツ語の児童文学を訳し始めた。表紙が可愛いからとドイツに行った人がお土産で買ってきてくれたやつ。確かに表紙は可愛いし、なんとなく名作の予感を嗅ぎ取りながらも、ドイツ語を読む気力がなく長年置かれたままになっていた。実際、久しぶりの読解はめちゃくちゃ時間がかかる。1日1頁読めれば頑張ったほう。話としては、王様が王女の1歳の誕生日パーティーに、1人だけ妖精を招き忘れてしまって、怒った妖精は王様の国が衰退するように呪いをかける。しかし王様の必死の懇願に、不便に思った妖精は銀のユニコーンを見つけてきたら呪いを軽くしてあげると言って、大河ファンタジーの始まり!ということのようだ。まだそこまでしか読めていないから続きが気になっている。引き続きゆっくり読んでいこうと思う。良い話が始まる匂いがする。

 

 

7. できなくなったこと

急激に性格が変わっている感覚がある。

 

・バラエティ番組。テレビが少しでも大きい音だと苦痛で仕方なかった。そういうわけで好きなテレビ番組を今月は見られなかった。

・ショックな話題になると会話が続けられない。文字上ならまだ饒舌でいられるのだが、発音となって出てこない。例えば、嫌なニュース、私の以前の部署の話やこれから何の仕事をするかという話、私の顔の話、猫の話、病気の話など。相手が悪意で話しているわけではなくても、頭に鉛が詰まったような感覚が急に来る。やめてくださいと言うわけにもいかずこれが一番困った。私からし始めた話でない限り、私の意図とは関係なく、能力的にできない。考えていることがあっても話せなくなるという状態は、見聞きしたことはあっても実体験としてやってくるまで理解が及んでいなかった。以前から知っている人はよくわかってくれている通り、私は話すことが大好きなので、口が動かないというのはなかなかストレスが溜まる。これで1つ面白い発見があった。会話<文章を書く<歌を歌う の順にハードルが高い。つまり、話せなくなったときは文字でのアウトプットが迂回ルートとして用意されている。家で文章すら書けないときは歌なら歌える。それもダメならピアノなら弾ける。そうやって第2、第3の道を通っているうちに、会話の道もまた自然に直っていた。自己流の荒療治を色々試すうち、言語活動よりも先に人間があったことを思い出した。言語があまりにも便利で、かねてより言語ヘビーユーザーだったため気がつかなかった。言語ヘビーユーザーならまだしも、偏狭な言語至上主義に片足を入れかけていたところだった。言語至上主義から人間中心主義までの黒いルートがサッとつながって見えた。

・おしゃれ。何を着るかに対して執着が減り穏やかになった。しかし実感としては不本意だ。理由は不明だが外出するとき何を着れば良いのか、前に比べてわからなくなった。記憶の中の外出準備をマニュアルのように追うことで外に出られる格好にしている。理論的にやっているだけで感覚はほとんど伴わない。服や靴の組み合わせを考えるのが楽しかった前の記憶が信じられない。自分が変な格好をしているのかしていないのかよくわからない。だから今月会ってくれた人で、もし変な格好の人間と街を歩いてくれた人があれば、とても申し訳ない。

 

8. 文章

思考が飛びがちで内部の統制が取れていない。私自身1人の連続した人間だということを丁寧に思い出すための努力の途上にいる。自己矛盾をそのままのサイズで可視化するのに、書くことが役立つ。

 

固有名詞をたくさん入れるのは書いてる本人は楽しいけど、読む人にとっては全く面白くないと思う。会話は共有項を増やしていくときに楽しみがあるのに、こういうのは本当に失礼で浅はかな行為だ。全く美しくない。花束みたいな~に出てくる固有名詞は知らないものも多くて、普通にその面での白けもあった。

そういえばM-1真空ジェシカもわからない単語だらけで唖然としてしまった。あれはサブカルじゃなくてネットだったけど、こんなにネットをテレビで放送して良いんだ、というかみんなこれですんなり笑えるほどネットに身を置いてるんだと思って驚いてしまった。サブカルの括りに入れてる人がいたのも別の意味で驚いた。アングラはアングラでいたほうが輝くんじゃないか?真空ジェシカのファンは真空ジェシカM-1で仮に評価されたとして喜ぶべきなのか?とか色々考えるところはあったけど、自分が楽しみ方をわかっている面白いと感じるものが評価されれば反射的に嬉しい、というシンプルな構造があって、好きなものが文化のどの立ち位置にいるべきかとかは第二層なんだと思う。でもこの〇〇するべきが強すぎて私は各方面で苦しんでるから、そういうのが少ないほうが人間として健全だと思う。そもそもテレビが明るいよい子のものだったのは相当過去の話で、映して良いとか悪いとかそういうのはもう無い。世間の流れは全て仕方ないし、私がオールドファッションなのも仕方ないし、両者のギャップも当然仕方ない。

独りはかなり嫌いだし、社会にいたいほうだから、当然山に籠るとかはできない。これ以上の孤独はちょっと耐えられない。

新年ちょっとだけ見てたツイッターでは、多くの友人たちが、お正月特番が無に帰したテレビマンに想いを馳せていた。それを見て、また大事な友人をツイッターに取られたなと思った。「テレビマンが辛い」これは真実かもしれない。でもこれは少なくとも地震から瞬発的・同時多発的に連想される表層の感情ではない。まず地震からお正月番組を連想した誰か1人がいて、その人の発信を見た誰かが「確かに!」と思って再度発信、またそれを見た人が・・・という感情の伝播だと思う。SNSでは感情そのものが流行する。それを発信するのは結構だが、その感情は元々誰のものだったのかに自覚的でないと、すぐ自分を取られていくと思う。他人に中途半端に身を寄せないで、ある程度断定すること。ときに排他的になったとしても、立場を取っていくことが大事だと思う。

でもこれも、違和感を覚えている私が悪いと思う。流行りに乗れる節操のなさとかミーハーさは、生命維持に本当に必要で、健全だ。実際、個人に固有の個人由来のものなんて、本当にあるのかも怪しい。もっといえば個人という存在すら怪しい。

精神分裂の主な原因は高潔と自意識だけど、そういう性格だからどうしようもない。バランスを保てた日は幸運で、保てなかった日は不運だったねというだけ。

『大いなる助走』で良いセリフがあった。「現代に生きていながら現代感覚を持たないという、信じられないような精神障害者がいて、そういう人の書くものが時流に乗らないのはあたり前です」同人誌の会合に出席した『群盲』の編集者牛膝さんのセリフ。

 

「マスコミ志望の大多数が『全裸監督』を見てるから一応見ておくか」といったことを過去の数年間してきた。そのせいで、自然状態の自分が何を選び取るか忘れてしまった。実際そんなものがないとしても。それにしても「友達が話していた」とか「おすすめされた」とかの動機が圧倒的に多い。自分一人でどうにかして直接辿り着くことはできないんだろうか?

 

9. 来月への展望

[劇的で、ハッピーななにか]といえば妊娠が代表的なので、妊娠などをしたいが現実的ではない。こう書いてみると何やら楽しそうな毎日であり、現実がそんなに悪くないはずなのにこの暗い気持ちは何か?*47癖としか形容できない。

恐ろしい来月がもうすぐそばに来ている。毎夜寝るときこのまま目が覚めなければいいのにと祈りつつ寝て、毎朝なぜか起きてしまった成れの果てが今日なのに、「来週」とか「来月」、「来年」とかが来るなんてことが信じられない。単位が大きくなればなるほど未知の度合いと比例して恐怖が増す。しかしより良い生活のためには、当事者意識が芽生えないなりに、未来のことを考えないといけない…ジレンマだ。まずは今月よりは少し多めに社会に開かれることを考えようと思う。

馬が見たい。具体的な場所は決まっていないが、友達と約束だけした。ベッドを買いたい。1人では行けないので誰かついてきてくれないと困る。1ヶ月でやれることは意外に少ないが、確実に何かの変化が生じるくらいの時間ではある。

「去年今年貫く棒の如きもの」という高浜虚子の句が良い励ましになる。

 

*1:ただし急に経ったのでは無理が出る。アプリを消すとかログアウトするとかそういう暴挙には出ないのがコツだ。

*2:難儀といえばみうらじゅんの初単行本『単になんぎなうし』。名作。

*3:感性重視の口語体が極まっており、読解力が試される文章。読者を煙に巻こうとかそういう悪意は全く無さそう。しいたけ.先生によると私蠍座は「トゲトゲバットを持った聖人」。…トゲトゲバットを持った聖人?

*4:花束みたいな恋をした。どう接して良いかわからないすごい映画。2021年。あらすじ:調布のダムカップルが恋愛して別れる。

*5:キケロの『弁論家について』の中で大好きなところがある。「時に何もしない時間をもたないような人間はわたしには自由人とは思われない」。要するに活動的生活の対として実らせるべき閑暇の話だが、これまで満足に自由人だったことはあっただろうか?

*6:ある種の会合に行くと「コンテンツを摂取」というフレーズが頻出する。コンテンツも摂取も気持ち悪い表現だ。なにか良い言い換えはないものか。コンテンツは「興行」が近い気がするが少し古い語彙であるのと、多様化に即した訳語ではない。摂取のほうは薬臭くて嫌だ。あまり大量に入れたものだからオーバードーズして乱心している市井のコンテンツ業界人を揶揄しているとしたら素晴らしい表現だ。

*7:メタメタを発音するたびにμετα μετα...と心の中でダジャレを言っている。

*8:色々あるが今脳裏にあるのは「いつも2人で」(1967年)、「追憶」(1973年)、「冒険者たち」(1967年)、「フレンズ~ポールとミシェル」(1971年)など。全ての同世代が見て感動すればいいのに。同タイトルの新しい映画も出始め、公開年を書かないと特定できなくなってきた。最近になってようやく、一連の全てが自分の中で根深い孤独だったことに気がついた。

*9:2003年。20人くらいの恋模様を描いたハッピーな映画。クリスマス前の街の雰囲気が上手くパッケージされている。

*10:実は48回出場のうち、襟裳岬は5回も歌っていない。襟裳岬ファンとしては淋しい。

*11:1983年。あらすじ:昼は溶接工、夜はナイトクラブのダンサーとして働く少女がプロのダンサーを夢見て進んでいく成長譚。いとうあさこによるフラッシュダンスのパフォーマンスが素晴らしかったのだが動画が見つからない。

*12:2024年。あらすじ:家事代行サービスの社員が社長の脱税の噂を聞きつけ、タンス預金を盗もうと計画する。社員2人とその友達のヨガインストラクターの3人で豪邸に忍び込んだは良いものの、思わぬハプニングが起こるサスペンスコメディー。どこを切ってもバカリズム

*13:1986年。あらすじ:画廊で働くエリザベスはニューヨークの街中で、ふとしたことをきっかけに金融ブローカーのジョンと出会う。ジョンは身の上の多くを語らない、怪しい色気のある人物だった。2人ともがそれぞれに抱える空虚を埋めるように、毎日刺激的な行為に耽る。ジョンの要求も日に日に過激さを増していく。どんな恋愛も9週間半で終わるという意味の込められたタイトル。都市の病理と愛を問題にした傑作

*14:1987年。あらすじ:妻子ある男性が仕事で知り合った女性と一夜を楽しむ。男性にとっては軽い遊びのつもりが、女性のほうはそうではなかった。女性の独占欲は苛烈なストーカー行為に発展し、男性の家族にまで危険が及んでいく。凄惨なシーンあり。

*15:朝井リョウ

*16:1991年。あらすじ:まだ見てないからわからない。

*17:1988年。あらすじ:凄腕ロマンスグレーのドレビン刑事はヘロインの密輸を捜査するうちにルドウィグという富豪に辿り着く。ドレビンはルドウィグの秘書ジェーンと恋に落ち、一方でルドウィグが計画するイギリス女王暗殺をなんとか止めようと奔走する。と、こんなところなのだが、あらすじはあってないようなもの。おふざけコメディ。

*18:2018年。あらすじ:大阪で働く朝子は麦(ばく)と猛烈な恋に落ちるが、麦はある日忽然と朝子の前からいなくなる。2年後東京で働いていた朝子は、麦と瓜二つの亮平と出会う。亮平と幸福な関係を築き、結婚が目前になったところで、麦が朝子の前に現れてしまう。

*19:2019年以降。あらすじ:色々多くてまとめるのは面倒だ。イギリスの高校生の恋愛事情とかプライベートな悩みとかを扱った青春群像劇。新時代の思想が強く出ている。全シーズン音楽が良い。

*20:1979年。あらすじ:昼は平凡なサラリーマンとして東和油脂に勤める朝倉だが、実は野望に満ちた人物。銀行の運搬係から強奪した1億円で麻薬を購入。その麻薬と鍛えられた肉体を使って東和油脂経理部長の愛人京子を手懐ける。さらに東和油脂上層部の弱みに漬け込んだ桜井という男が上層部を揺すっている情報を得て、京子や桜井を巧に使って上層部を脅す。朝倉は東和油脂の株8億円相当と社長令嬢を手に入れ、京子との海外逃亡を計画する。一方で、朝倉の置いていった麻薬で薬物中毒になる経理部長を見た京子は絶望し、また朝倉に利用され続けていたことに気がつき深い悲しみの底に沈んでいた。小説と結末が違うらしい。良いラストだった。

*21:野望を完遂したかに見えた朝倉が狂人のように喜んで青山通りカウンタックで逆走するシーンがある。

*22:2023年。マフィアのボスたちの成功体験失敗体験を取材。

*23:2022年。あらすじ:マルチバース的な。

*24:2022年。歌姫がライブで華々しく結婚発表&結婚ソング披露しようとした直前に婚約者の浮気が発覚。やぶれかぶれになって、Marry Meのボードを持ったオーディエンスの男性にプロポーズする。

*25:1952年。あらすじ:野生の美しい白い馬と少年の交流。

*26:たしか馬と結婚する女の子の話だったと思う。遠野で聞いた。

*27:あるところにワニに自分の畑を荒らされて困っている男がいた。男がワニに、もう荒らさないでくれと頼むと、娘をくれればやめると言われる。娘はワニの王様と結婚し、川の底で幸せに暮らす。川の底の食べ物を食べてしまった人間はもう二度と陸には上がれない。両親は娘にどうしても会いたくなったとき用にとワニから授かった玉を川に投げ入れ、川が裂けて道ができた。無事娘に会うこともでき、ワニの王国は陸よりも豊かで住みやすかったので二度と陸に戻ることはなかった。

*28:1956年。あらすじ:素敵な赤い風船を手に入れた少年は肩身離さず持ち歩く。すると風船に意志があるかのように男の子の周りを飛び始めた。風船と仲良くしている男の子を羨ましく思った他の少年たちが、赤い風船を取り上げ萎ませてしまう。悲しむ男の子の元に街中の風船が集まってきて、たくさんの風船を持った男の子は空に飛んでいく。

*29:1992年。あらすじ:ブラム・ストーカーの小説を忠実に映像化しているらしい。あらすじまとめ力がないけどとても良い話。ドラキュラがドラキュラになる過程が切ない。

*30:ベートーヴェンフリーズにいるやつ

*31:2021年。あらすじ:コロナが流行り出した年に卒展を控えていた美大生の話。卒展も開けず、大学にも行けず、理不尽な時代の中で作品とどう向き合うかという話。

*32:2003年。あらすじ:国、年齢、夫婦間などあらゆる他者との相違ばかりが巨大に見え、孤独感の強い精神状態に置かれた男女が出会う。

*33:2009年。あらすじ:超能力者が集うカフェ・ド・念力では年に1度能力を解放するクリスマスパーティーが開かれようとしていた。そこに、超常現象バラエティ番組「あすなろサイキック」のAD桜井米がネタを探してやってくる。マスコミに本物のエスパーであることがバレないように慌てる超能力者たちであったが…。可愛いコメディ。

*34:1998年。ロンドンの下町の不良が賭けで莫大な借金を背負い、仲間と4人で返済を頑張る。

*35:怖いもの見たさで後日やってみたら本当にヒットした。「考察」が品の良い行為とは到底思えない。

*36:1968年。舞台は未来。美しく優秀でおまけに豊満な肉体のバーバレラは宇宙飛行士。大統領から宇宙のどこかにいる悪い博士を見つけ出す任務を与えられる。バーバレラの宇宙船はある惑星に不時着し、ときに危険な目に遭いつつ、道中で助けてくれた男性たちにバーバレラ流のお礼をしながら冒険を進めていく。

*37:2003年から放送の東映アニメ。30分×50話。あらすじ:20世紀初頭のイギリス、孤児院で仲間たちと楽しく暮らしていたナージャは、13歳の誕生日を目前に、亡くなったと思っていた実母が生きていると告げられる。同時期に、実母の唯一の形見であるブローチを狙う何者かがナージャを襲う。母はどこにいるのか?なぜブローチが狙われているのか?旅芸人ダンデライオン一座の踊り子として各国を巡りながら、真実を探す旅に出る。

*38:ナージャはフランス生まれイギリス育ちで、作中でもイギリス人としての自我が一番強い。

*39:1985年のアニメ。ラビニアはセーラを虐めるお嬢様。富豪だが成金であることに引け目を感じている。私はセーラがそこまで好きではないのでラビニアもローズマリーほど嫌いではない。存在感のある悪役であることは確か。

*40:即興曲Op.90の2楽章と3楽章。1楽章と4楽章は習わなかったから弾けない。

*41:28の前奏曲、4番

*42:読みはなかとろラジオ。中西さんとトロニーさんの2人によるポッドキャスト。2019年、2人が学生だったころから週1で更新されており、最近ではリアルイベントに各地からファンが集まるほどの人気。話している内容を一言でまとめるのは難しい。「日常の取るに足らない物事を拾い上げる」「一般男性の日記的雑談」などと説明されることが多い。それだけ為人でやってきたということだろう。「おはトロ🐟」の可愛い挨拶でおなじみ、HAKUNAで配信中の中トロラジオ(ちゅうとろラジオ)とは全く関係ない。

*43:調べたら祖父のほうが長生きしていたから、どの選択がどの幸福に結びつくか本当にわからないものだなと思った。

*44:クイーンの「狂気への序曲」の中で、「1001本の水仙が目の前で踊り始める」という狂乱の歌詞がある。この部分がワーズワースの詩“The Daffodils(水仙)”から着想を得たのではないかと言っているファンがいて、私も同意している。ワーズワースのほうでは10000本の水仙が陽気に躍る。しかし水仙は踊ったりするキャラなんだろうか? 細いし色も薄いしあまりそういう印象を抱かない。どちらかと言えば大人しそうだが、ヨーロッパと日本とでは異なったアイコンなんだろうか? 単に群生して風になびくのから連想しているだけかもしれないが。「狂気への序曲」を聞くたび気になっている。

*45:ダンチュラ・デオという架空のバンドのコピーバンドとして活動する若者たちが国家的な陰謀に巻き込まれていく話。架空のバンドなのにwikiが存在し、編集されていってしまう。虚構か真実か読んでいるうちにわからなくなってくる。

*46:「うちの息子、実は」大好きなコント。

*47:森田童子も「この僕の〜涙〜もろい〜想いは〜なんだろう〜♪」と歌っている。さしずめ黒胆汁質だ。