月刊 犬々の日々 10月
みんな人間理解が浅いよ!
犬々の日々
10/1(火) 会社の式典だった。会社の人が騒ぐのを見るのが嫌で、一旦タリーズに逃げた。終わるまで参加せず隠れていようと思ったのにそうはいかなかった。良い先輩に「こういうのはとにかく壁際で食べてるといいよ!」と教わって、明るい場所に引き摺り出してくれる人はなんてありがたいんだろう、ごめんなさいと思った。
式典が終わって片付けに行ったら、大嫌いな元上司が酔っ払って騒いでいて、最大限の冷たい目を向けてしまった。片付けの指示を出している人に「〇〇(私)さんは風船を割ってください」とハサミを渡されたので、風船に突き立てていった。ハサミを握って風船に一直線に刺していく間、幸福の象徴みたいな風船を割っていいものか悩ましいと思った。風船を割るのは初めてで、結構な音がすることに驚いた。破裂する一瞬は元上司の騒ぐ声が聞こえなくてよかった。他部署の先輩が「容赦ないね」と話しかけてきて、その後もいくつか喋っていたようだったが、会話の気が乗らなかった。
10/2(水) 官庁などなどをまわる日。鉄鋼ビルの地下通路にヘラルボニーという会社の取りまとめた絵がいくつか飾ってあって、多様な色彩が目に楽しかった。移動途中の丸善日本橋店で井筒俊彦の『イスラーム』を立ち読みしたら思ったより難しくて棚に戻した。代わりに『実存・空間・建築』を買ってきた。日本橋ダイヤビルはストリートピアノがあって弾きたかったけど人通りが多くてやめた。夜は接待。著者がずっと仕事論を話していて、参考になるところとならないところが7:3くらいだった。議論したかったけど、鈍臭いがゆえに話を割るタイミングが全然わからなくて、それ以上にやることもないのでとにかく目を見つめていた。
10/3(木) 大嫌いな元上司が去年の私の担当先を訪問することになったらしく、前任の私に聞きにくればいいものを他の先輩に聞きに行っていて呆れた。聞こえてきた質問内容は渡した引き継ぎに書いたことばかりで、さらに呆れる。まさかファイルを削除したのかと思って前の部署のフォルダを見たら普通にまだあった。謎である。ただしこちらもプライドの高さでは負けていないので、わかるものを伝えないという馬鹿もできない。大嫌いな元上司が去った後、先輩に質問内容の答えを託して、あとはその人格者の先輩がなんとかしてくれていた。悪が混ざっているところに正解の行為というのは存在しない。
ピアノの練習にインスタライブを使うことを思いついて案外良かった。
10/4(金) お昼に部の歓送迎会があった。何がどうなることやら。
余裕があったはずのインタビュー原稿はまとめるのにとても時間がかかって終わらなかった。途中休憩でコーヒーを入れている間、他部署の編集長と話した。「世界は混沌なんですよ!それで混沌は煮物なんです!」と言って、大きなお鍋に入った混沌をかき混ぜる仕草をしたらニコニコしていた。世界は混沌であり混沌は煮物であることを伝えたかったけど伝わっただろうか? 「孟子です」「いや、荘子だ」「違います孟子です」という押し問答もあって後で調べたら編集長が言っていた荘子が正解だった。編集長には悪いことをした。
全然仕事は終わらなくて諦めて切り上げた。会社の友達と表参道で夜ごはん。最新の恋愛話がたくさん聞けて楽しかった。彼女にはいい感じの人がいて、どうやったら一回試せるか、という作戦会議を一緒にした。目を逸らすな、とブロンソンが言っていたのを思い出して「目を逸らさないといいと思います!」と言っておいた。うーん、マンダム。
10/5(土) ピアノ。発表会まであと3回しかレッスンが無くて焦る。夜は小学校の同級生たちと1年ぶりに会う。私含め5人。参加者の1人に集合時間を伝え忘れていたことが発覚して血の気がひいた。仕事の忙しさにかまけて本当に最低である。
それぞれがやりたいことに対して着実な道を歩んでおり、そして着実な道は大抵激務であり、加えて何人かはもうじき海外に行くということで、次集まれるのは遠いかもしれない。寂しいが誇らしくもあり襟が正される。私も含めて全員、「こう育ちそうだ」という小学生のときの印象から大きくは外れていないのが面白い。話し込んで解散したのは1時だった。今回私が集合時間を伝え忘れた人、こと10年前は好きだった人は特になんの変化もなかった。
帰ったのは2時すぎだったけどどうしても彼氏と電話したくて付き合ってもらう。
10/6(日) 祖母と叔父に会いに行く。道の途中で暁星の子たちがたくさんいた。眠くて眠くて、応接間をかりてちょっと寝た。祖母の家でお昼寝してしまったのは初めてだったので、さぞや仕事に疲れているのかとめちゃくちゃ心配された。
祖母は祖父と会社終わりのデートでいつも銀座の川(?)のボートを漕いでいたらしい。なんて羨ましい。祖母は最近よく夢に亡くなった友人たちが出てくるらしい。祖母の大学のときの仲良し4人組のうち1人は50代のうちに亡くなってしまっているので相当前の記憶のはずだが、夢の中ではその人と祖母がお互い若い姿で美術館に行ったりして、とても楽しいらしい。「お友達と一緒に歩いているだけならまだいいけど川の対岸から呼ばれたりしても行っちゃダメだよ」と言ったら笑いを取れた。祖父との結婚式のときの写真も見せてくれた。いつも祖母はあれがしたいとかこれがやってみたいとか、未来の話をすることが多いのだが、今日は珍しく過去の話が多かった。
インタビュー原稿をまとめている。「山は挑戦するものではなく抱かれるもの」という深田久彌の金言を思い出す。
10/7(月) 朝から表参道で大人2人が掴み合っていた。久々に大人の喧嘩を見た。どっちかがぶつかって警察に行くらしい。朝から人と喧嘩して警察に行く場合、会社は遅刻扱いになるの?
仕事は相変わらず多いけど、終業に滑り込みで大量のメールを送り逃げしてきて爽快。
10/8(火) 怒涛の打ち合わせで1日が過ぎていく。人と話すのは面白い。雨が降っていて寒い。雨の湿気でも蒸さなくなると秋を感じる。
10/9(水) 雨で寒い。対談の収録。対談やインタビューは録音を聞き直してまとめるので意外と最中はやることがない。まとめるのが大変そうだなと思ってぼんやりしていた。
夜は久しぶりの彼氏。ウズベキスタン料理に行った。久しぶりだと、最初から恋愛をやり直してるみたいな感覚がして新鮮。プロフを食べた。にんじんとかお肉とかがたくさん入ったちょっと辛めのピラフ。本当は宴会の最後に出る料理らしい。私のカレンダーに登録されていた名前がたまたま今日だけ呼び捨てになっていて、彼氏がニコニコしていた。途中で「そっか付き合ってるのか!」と何度も思った。向こうも久しぶりだからかすぐ顔が赤くなっていた。
カザフ人からカザフ人と間違われた。こちらも相手が日本人だと思っていた。夜は冷え込み、会社にコートを忘れたのを悔やむ。体調が悪くなり、牛のガス抜き動画(背中に穴を開ける)を見て寝る。
社会に出てから哲学の話(哲学の解釈の話とか歴史の話はできるけど、とりわけ感覚の話)が理解されにくい。半ば諦めてはいるけど、やはり理解はされたほうが精神衛生には良いからどうしたものかと思う。反論なり同意なりの分岐が生まれる前の、そもそも土台の意見が伝わらないときは諦めるしかないのか?
10/10(木) 毎週の編集会議は何を言っていいかよくわからない割に、私が一番長尺で喋ってしまっている。私の部署に異動で人が入ってくるため、諸々の準備をしなくてはいけない。少し扱いにくいと噂の(内向的という意味で能力とは全く関係ない)人だが、人事の人と話したら「〇〇(私)さんならうまく面倒見れるかなと思って!」と言われた。その人事の人の意見というよりその後ろに経営層が透けて見えた。人が増えるのは嬉しいが、私もこの部署に来て半年、上司はこの部署に来て4ヶ月、総計で1.5人分くらいのマンパワーでなんとか回しているため、受け入れる土壌があるのかと複雑な気もする。小学校の頃から、クラスに馴染めない人と一緒に何かやる役割とか、なぜか先生に任命され続けてきたことを思い出す。本当になぜだろう。
10/11(金) 疲れている。shikakunのラジオがおすすめに出てきた。
通勤中、急に靴が壊れた。もう7年も履いてるから仕方ないかな。服や靴は耐久消費財ではないことをたまに思い出して悲しい。仲良しの他部署の編集長とお昼ごはん。今度、N響のブロムシュテットを聴きに行くらしい。なんか元気がなかった。仕事はそこまで忙しくないけど元気がない時期らしい。「令和はサイケが流行りますよ!」と元気よく言っておいた。
10/12(土) ヤマハのグランドピアノを借りられる券(発表会前の人はもらえる)を使って経堂で練習してきた。そのあと特急踊り子で伊東へ。伊東から天城へのバスが全然なく、2時間くらいの自由時間を海を見たりして過ごす。快晴で海が綺麗だった。11時に経堂を出て天城に着いたのが16時半。車が運転できないと不便だ。先に来ていた犬と両親と合流した。
10/13(日) 家族で伊東の入江と一碧湖に行った。犬が嬉しそうに水に入っていくのをみんなで見た。あとは本を読んだり、適当に過ごす。
10/14(月) 三連休で道が混むので、もう朝6時くらいに天城を出てしまって、9時には家に帰ってきた。久しぶりに車に乗ったら酔った。
午後は彼氏と代々木公園でパンを食べた。祝日の公園はノーリードの犬やカップルで溢れており幸せな空気に満たされている。カップルたちを見るのは本当に嬉しい気分になる。犬のリードはつけるべきだと思う。彼氏に伊東のお土産を渡し忘れた。
10/15(火) 通勤の電車でまたスカーフェイスを見ていた。冒頭の悲壮感溢れる重々しい音楽が大好き。古瀬戸のランチタイムは、隣の席のお爺さん4人組みが楽しそうだった。彼氏に昨日渡し忘れたお土産を渡しに行った。ついでに長話もした。「現在の自分」の考えをある程度知っている人間が1人でもいるのは良いことだと思う。たかがそれだけでもあるし、されど、という面もある。
10/16(水) 下版。今日はよくない。帰り際、21時くらいに編集長とポリシーの違いでぶつかる。前部署の上司はポリシーすら無かったからそれより何倍もいいけど、争点がポリシーの違いしかないので、権力のない私のほうが必然的に折れざるを得ない。他にもなんだかなーと思うことが重なり、今日は疲れた。家に帰ったら両親たちの様子が変で、聞くと2階のトイレが突然壊れたらしい。全然治らないから当分使えないことになった。今日は本当に変な日!
10/17(木)下版が無事に終わった。疲れたし、これ以上疲れないために色々なものを諦めている。喉に違和感があり風邪の予感がする。
10/18(金) 部署に新人さんが来た。これから老老介護ならぬ新新教育の日々が待ち受けていることに重々しさを感じるが、新人さん個人は何も悪くないのでできるだけ負担の少ない方法を考えないとなと思ったり。上手くいけば編集者としてはほぼ同期の人が1人増えるわけだから、お互い良い影響があるかもしれない。
仕事帰りに能を見てきた。先月体調を崩して金春会の定期能に行けなかったのが悔しく、演目よりとにかく空いている日で選んだもの。ショーケースという初心者向けのプログラムで、比較的入り込みやすい演目をやる。なので初めはややテンション低めで行ったものの、全く期待を裏切られ、素晴らしい舞台だった。能で使う楽器を体験できるコーナーは長蛇の列で諦めた。悔しい。演目は狂言が「盆山」で能が「龍田」。犬の鳴き真似で「びょう」と「わん」の中間くらいの声を出していて本物の犬の声みたいだった。本当に古代の犬って「びょう」なんだ、という驚きもあった。龍田のほうは本当に舞台に錦の紅葉が見えるような気がしてきて不思議だった。
そのあと美容院に22時に行くことになっていたのでそのまま向かう。いつも行っているからと、私の仕事にあわせて営業時間外なのにお店を開けてくれてありがたい。
やはり風邪の予感がする。以前、同じように風邪の予感がしたときにレモンをそのまま食べたら治ったことがあったのでやってみる。今回はレモンだけではちょっと非力なようだった。
10/19(土) 朝、目をさますときの気持ちは、面白い……とはならずにだるかった。確実に風邪とわかったがとりあえずピアノに。最近練習できてないからいまいち。発表会のプログラムをもらった。ピアノが終わる頃には熱もみるみる上がり、38.5度を記録。子供の頃から行っている小児科に急遽診てもらう。私の高熱に慌てた先生が「納豆のお味噌汁食べてね」と言う。正しくはお豆腐のお味噌汁と納豆と言いたかったらしい。薬局はどこも混んでいて、1時間待ちですとか1時間半待ちですとか言われ、3店舗目では在庫がないと断られ、こちらは高熱でそれ以上回れなかったので家に帰った。10月なのに最高気温が31度だった。薬を手に入れられなくて悲しくなって家で泣いていると父が代わりに行ってきてくれた。25歳不甲斐ない。8月にも同じような風邪をひいた。前はこんな頻度でひかなかったのに、ちょっと多忙だからってこんなことでは本当に悔しい。今日のデートの用事も読書会の用事も明日の友達も断り、本当に悲しい。
10/20(日) 熱、下がらず。ピアノを弾いてもぼんやりしていて、輪をかけて下手。眠りながら、ずっと眠りたかったと思った。
喉が渇いて仕方なくて普段の数倍水分を飲んだ。水の惑星に住む人間に水が必要なのは何やらロマンチックだ。
10/21(月) 朝一でインタビューが入っていた。インタビューは少し前に講演が面白くて頼んだ人だが、講演では「群衆を牽引するよきリーダー」的な印象だったのが2人になると物静かな知識人といった風で、深い人物像に圧倒された。圧倒されつつも私は熱があるのでそのまま早退。秋晴れの日に電車に乗るのは、熱を出していても気持ちがいい。ピアノやリコーダーで遊んだり寝たりした。夜はちょっと仕事をして、多分明日行けないので新人の人に諸々の連絡。連日咳をし続けて腹筋が筋肉痛。歌はすぐ歌えなくなるけど、ピアノは指が動けば鳴るから安心する。
10/22(火) 声がほとんど出なくてびっくり。咳も全く止まらない。風邪の終わりに必ずなるやつ。今日は休みにして家で仕事を少しだけ。家だと話しかけられないし好きなときに休めるし色々なことが捗る。その証拠に前日したばかりのインタビューをもうまとめ終わった。会社でやるより丁寧にできて嬉しい。とはいえ今は激ヤバ進行中で、あと1週間以内に数ページ埋めてくれる著者を見つけないといけないし、インタビューまとめはまだまだ3時間分抱えている。よく働いているのになぜ……。
ツイッターで東浩紀が、本が好きな人と本を読んでいる自分が好きな人は歴然と違うと言っていた。当たり前のことを改めて簡潔に言ってくれた東浩紀に感謝した。実際私の本嫌い・映画嫌いを平たく解釈すれば、本や映画に時間を費やしている自分が嫌いとも言える。東浩紀に偏見を持っていた(る)けどこの瞬間はありがとう。
おやつに犬と支倉焼を食べる。犬は支倉焼が1番好きで、あげるとあまりの美味しさに喜び、私の肩に乗ってきてそのまま頭を飛び越え、部屋中を走り回ったのち、それでもなお昇華しきれない興奮を自分のおもちゃに暴力的にぶつける。支倉焼のCMに採用されてよいくらいの喜びよう。
10/23(水) 久しぶりに会う予定だった友人も熱を出したらしく会えなくなった。残念だが驚かない。なぜなら相当に実力主義の会社の中で信じられないような働き方をしている人だから。
せっかくなので別の友人たちに急遽声をかけたら来てくれた。2人とも聖人のように優しくて癒された。
10/24(木) 咳が止まらない!特に電車。電車は汚いし乾燥している。うつる咳かうつらない咳かは他人には見分けられるわけもないので、電車で喘息になる度申し訳なくて降りていた。そのせいで帰りがとても遅い。
10/26(土) ピアノに行く。トイレの修理の人とかが来て犬が大騒ぎだった。風邪のあとの咳が喘息のようになってきたので病院に行く。喉にいいと聞いてはちみつをすくったりしてみたけど美味しくない。
オテルドゥスズキが買収されてドーナツ屋になってしまった。
10/27(日) 神保町ブックフェスのため休日出勤の日。7時から選挙に行く。父と犬も一緒。その足で私は仕事へ。対談まとめが差し迫っていてまずい。とはいえ充実した取材だったから記事にするのは楽しみでもある。バタバタと準備をしているうちに神保町ブックフェスが始まり、ブースに並んでいたお客さんたちがわっと本を手に取る。今回は売り子要員で集められた社員が多く、意外とやることがない。私はなぜか会社のブースではなく、入口の千代田区(神保町ブックフェスの主催)のブースでパンフレットを配ることになり、これが意外と楽しかった。入口なので道案内を頻繁にすることになり、「千代田区の人」として人々を各所に導いた。問い合せが多かったのが子供用の催し物の場所と、トイレの場所で、もう手慣れたものだった。同じく勝手に千代田区のブースに紛れ込んで働いていた他部署の部長は、よく写真撮影を頼まれていた。お昼前くらいに恩師たちが遊びにきてくれた。高校の先生たちで、随分久しぶりに会えたのでとても嬉しい。私たちのことも他部署の部長が写真を撮ってくれた。恩師とお茶をするのは不思議な感じがする。
午後は自社ブースの人が減ったので順当に自社ブースで働いていた。会社のお姉さんたちも当番でないにも関わらず会いに来てくれた。3時過ぎには彼氏も覗きに来てくれて、嬉しくて大好きな先輩に彼氏を見せた。「見せた」が表現としてやはり正しい。3時半過ぎ、父から祖母が倒れたとの連絡が入っていた。焦って電話をかけると父の声は震えているし多分もうダメだろうみたいなことを言う。とにかく救急隊からの連絡がないことには動けないので待機とのことだった。まず考えたのは来週の発表会のことだった。祖母は私のピアノを聞くのを楽しみにしていた。死んだと決まったわけではないが、発表会はたった1週間後なのに、ということを考えた。次に洋服のことを考えた。祖母は自身もおしゃれだったし私が色々な服を着るのが好きだったので、まだ見せていない服があると思った。それから今日は、ブックフェスが終わったあとに彼氏と夜ごはんを食べる約束をしていたことを思い出した。こちらは多分行けなくなりそうだから断らないといけない。このとき私は大泣きしていて、楽しい気分で本を売買している人たちに水を差すことになりかねなかった。なので店を少し抜けて、ブックフェスを楽しんでいた彼氏と合流するべく、すずらん通りの端のABCマートにいると言うのでABCマートへ行き、彼氏がいたので手を振り、手を振りかえしてくれたので近づいたら彼氏と背格好が似ているだけの知らない人で、「あ、違った」と思ってABCマートを出て、近くのブースを見たらもう1人彼氏と背格好が似ている人が本を選んでいて、近づいたら今度こそ本物の彼氏だった。とりあえず今日の予定をキャンセルしてもらうのと、状況を説明し、その間ずっと泣いていた。自社ブースに戻る途中でロックばかり取り扱っているCDショップがあったので適当に掴んだものを1枚買った。
次の連絡が何も来ないので私は気もそぞろだったが、会社の人とも他の出版社の人とも気軽に喋って、適度に本を売っていた。途中で小雨が降って本を守る役もやった。彼氏が後ろからのど飴とかめぐりズムとかたくさんの良いものが入った差し入れをくれた。やっと父から次の指示が来たのは5時ごろだった。後片付けに参加しないのを謝りつつすぐに退勤して東大病院に向かおうとするも、私は普段からタクシーが捕まえられないし、目も悪くてどれがタクシーかよく見えない。また彼氏に連絡したら作業を切り上げて来てくれたうえにタクシーをとめてくれて申し訳なさでいっぱいになった。タクシーの運転手さんは昨日の神田スポーツ祭りでリフト券を当てた話をしていた。とても嬉しそうに振る舞ってくれてありがたかった。私がついたすぐ後に家族も病院に着いて、やはり全員がどうしようもなかった。その後はごく一般的な、人が亡くなったときの流れで、色々な職業の人が代わる代わる今後の手続を説明していった。事情により少々面倒そうだった。病院には8時くらいまで拘束されていた。
家に帰ってから、明日からの忌引が確定した私と母は揃いも揃って仕事を始め、こんなところで遺伝を感じる。私はまだしも、母はもう現役のポストではないのに。喘息で寝れないのもあって、ここで彼氏にもらった差し入れがとても活きた。
一応このブログも毎日少しずつ書いていて、まさか死ぬとは思っていなかった10/6日時点の自分自身の記述にびっくりする。
10/28(月) 葬儀関連の準備。忌引で休むと言っているのに、slackは鳴り止まず参ってしまう。上司にある仕事の代理(誰でもできる)を頼んだらできないと言われイラッとする。イラッとしたのでその場にいた母にslackを見せたら「最近の若い子はこういうこと言うよね~」と言っていて笑ってしまった。あまりにも甘えた連絡だったので新人さんからの連絡だと思ったようだった。残念ながら送り主は50代後半で私より権力がある。一方で新人さんはそつなく色々とやってくれた様子で、どう謝ろうかとばかり考えていた。
祖母の部屋は本当に綺麗で、故人がしっかりした人だったことを物語る。私の発表会に着ていこうと思っていたであろう服や、作ろうと思っていたであろう料理の仕込み、私に送ろうと思っていた誕生日プレゼントと誕生日カード、クリスマスカード、年賀状までもが丁寧に準備されていた。彼氏はせっかちだと言っていたが、そういう急いた感じでもなく、部屋からはやはり未来への希望ばかりが伝わってくる。
10/29(火) 相変わらずslackから職場の大騒ぎが伝わってきて頭が痛い。次に出社したら一刻も早く属人化をストップする対策を考えないといけない。
祖母の家でアルバムの整理をする。祖父が丁寧に作ったアルバムで、祖母の写真の一つ一つにコメントがついている。内容は「才気溢れる美人の奥様」とか「圧倒的な美!」とかそんなのばかりで溺愛ぶりがありありと伝わってくる。もちろん、確かに美女で、しかしこの美人がいた一代も終わってしまったわけだ。
警察や病院を散々連れ回された祖母もやっと家に戻ってきて、顔を見るとやはり美人だった。
10/30(水) 警察関連の用事などで細々と忙しい。喘息が良くならず病院に行く。警察も病院も本当に大嫌いだ。仕事で大きめのトラブルが発覚していることがわかり、私は明後日の出社次第すぐに怒りの電話をかけないといけないことが確定した。荷が重い。
10/31(木) 若手がちょっと休んだだけで大騒ぎになっている人手不足の職場のせいで、ここ数日の時間感覚がないし、ゆっくりと祖母のことを考えていなかった。むしろ考えすぎなくて良かったかもしれない。高齢だったのもあって大きな驚きはなく、静かな悲しさだけがある。火葬場は混雑していた。私はボウイのLazarusみたいなスーツだった。
音楽、ポッドキャスト
風邪とともに喉をやってしまい鼻歌すらまだ歌えなくて悲しい。
・プーランクの「エディットピアフに捧ぐ」を弾いているので、エディットピアフを聴けたものは全て聴いた。大好きとはならないまでも一定の人気があることはよくわかる。シャンソンの掴めない感じはなんだろう。
・REBECCA IV。
・郷ひろみ「寒い夜明け」の「退屈ですね お嬢さん♪」が耳から離れない。なんと作詞は楳図かずお。
https://otonanoweb.jp/s/magazine/diary/detail/9448
・ポリス「Bring on The Night」。
・井上陽水「事件」「曲り角」「ジェニー my love」。
・Spotifyでshikakunという人がやっている「バナナブレッドのラジオ」が出てきて、最初は面白く聞いていたのだが、数分聞いているうちに軟弱気取りが鼻につくようになった。
この際調べようと思って色々見ていたら、いっぽうそのころという人がやっている、別のポッドキャストの「たゆたうラジオ」の「2022/05/07 番外編 with shikakun」という回が出てきた。これはたゆたうラジオにshikakunが招かれ喋っているもので、この時2人は初対面。聞けばわかるが、鼻の効く人もしくは恋愛が趣味の人にはわかりやすい、「これから恋愛が始まりそうだな」という雰囲気が充満している。
何回か挟んだのち、またshikakunがゲストとして登場するのが「年またぎ22-23 with shikakun」(2023年1/1公開)。ここで2人は2時間以上にわたって思う存分いちゃついている。それはもう聞いていられないくらい。内容は、お互いについて思っていることや、人生観などを話し合うもので、親密具合といい2人の甘えたトーンといい、とにかくこちらが恥ずかしくなってくるようなものである。あまりにも仲睦まじく、全体にもわっとした雰囲気が漂い、本当になぜこれを公開したのか、リスナーにどう思って欲しいのかよくわからない。
さらに別のポッドキャストで、ちょっとしたパーティーズという人たちがやっている「ちょっとしたパーティー」というものがある。これは2023年10月14日から配信されているもので、この「ちょっとしたパーティーズ」とはshikakunといっぽうそのころの2人である。内容は変わらず仲の良さそうな2人が考えたことを共有し合うもの。最近同居しているとのことで、おそらく別れていないことに心底安心した。
このカップルの露出癖には全く同意できないものの、好きな人間を前にしている人間は万国共通だと知ることができる。聞けばわかるが本当に聞いていられないし、かつ、誰しも身に覚えがあるのではないか。さらに自意識の軟弱さ(そもそも素人ポッドキャストに軟弱の傾向がある)とそのうえに成り立つもわっとした雰囲気が今っぽい。文学フリマが流行る理由も、文芸書籍の売上の落ち込みに反比例するように執筆者だけが無限に増え続けている現象も、これを聞けば全てがわかる。とにかくこの一連の音声には凄みがある。絶対に別れないでほしいし、すっかり感動した私はこれから3つのポッドキャストを全部聞こうとしている。
読書会
第2回にして私が熱を出したため11月に延期。メンバーのもう1人も時間差で熱を出していた。
映像類
・「プリンプリン物語」1話。登場人物の紹介で終わった。2話以降は録画を忘れた。
文字類
・クリスチャン・シュルツ『実存・空間・建築』を読み始めた。最初の空間概念の整理がわかりやすい。
孫引用だが「数学的命題が現実に関連しているとき、それは確かではない。数学的命題が確かなとき、それは現実とは関連していない。」いかなる幾何学も人間が構築するものであるという認識は、私情によりありがたい。
著者がゲニウスロキの人と同じ人だと思っていなかった。美学の授業で読んだ記憶があったから美学者だとばかり思っていた。この本を買ったのも冒頭でユクスキュルを引用していたからで、方向性というか好みが合う予感がする。
・ティーハウスタカノのレジ前に置いてあった冊子が面白かった。50周年を迎えた記念冊子で日付は2024.10.1になっている。タカノの歴史と、印象的だったお客さんの話、紅茶の点て方、スコーンレシピが載っている。
店主が若い頃の70年代について、「当時、喫茶店で出される紅茶といえば、茶漉しに茶葉を入れて上からお湯を通しただけの“色つき湯”がほとんど。かならずティーポットで点てて飲んでいた私は、腹が立ってくるのと同時に、自分と同じ紅茶好きの方もいるはずだと思い(略)」とある。「色つき湯」を紅茶と呼んでいるのは今もそうで、喫茶店やホテル、レストランなど、外で出される紅茶は高頻度で紅茶ではない。四谷のモヒーニの店主も同じことを言っていた。
私は紅茶と名のつくものは全て大好きなので色つき湯を喜んで飲んでいるが、真実を目指す人々にとってはさぞや辛い現状だろうと思い胸が痛くなる。コーヒーについては器具から豆から淹れ方まで口うるさいことが許されていて、鬱陶しいほど専門店も氾濫しているというのになぜだろう?
・松島斉『サステナビリティの経済哲学』。仕事で読んだ本。
地球環境の持続可能性の問題にいかに貢献できるかがこれからの経済学の社会的責任だとまず言っていて、その上で著者のデザインしたシステム「新しい資本主義」と「新しい社会主義」を提唱している本。資本主義を持続可能な形に作りかえるという出発点は、まあそうなんだろうと思う。資本主義の従来の形は限界が来ているので新しい形に変えるべきで、これまでも人類は実はそうやって作り替えてきたのだからこれからも可能で、ではその新しい形は一体なんなのか探りましょうというところまでは、名が通っているとされる経済学者はみんな言うのであらかた共通理解なのだと思う。
そこから先の「新しい形」が一体どういうものなのかはもちろん議論が分岐している。この本で言っていたことで面白かったのは、人間には潜在的に社会のために役に立ちたいという自己実現欲求があると定義していたことだ。(辞書的な意味ではなく)広く利他的な行動のことを「大義」と名付け、さらに企業には個々の大義を実現するためのプラットフォームであることが期待されるとのこと。
また、森林などの我々の共有財産(コモンズ)を過剰利用や不適切な管理によって質を悪化させてしまうことは経済学ではコモンズの悲劇と呼ばれているそうだ。確かにサステナビリティ問題のほとんどがこれになぞらえることができるようにも思える。著者にとって、「環境破壊の結果人間が減って環境がよくなる」シナリオは解決ではないと書いていて、私はここに著者の明るさと熱を感じる。ただしこの傾向は著者の倫理的な持ち物だけに萌芽しているわけではなくて、サステナビリティの問題が解決可能なものとして目に映っているからだと思う。こういうものを見ると、先端の情報がある者は明るく、情報の少ない人々は落ち込むばかりという格差的な構図がうっすらと透けてきてしまうが、考えすぎだろうか。
あらあらなアイディアを信仰で補っている面もあり、大きな物語のない現代においてどこまで実現可能か(信仰が正しい尊さをもって受け入れられるのか)は首を傾げてしまう点が多い。私自身、理想主義者の1人として、私程度の狭い世界でも倫理的な断絶を感じることは多く、理想主義自体の価値を低く算定する人も大勢出会うのだから、著者の思うような世界市民の出現は果たして……? しかし一読して良かったと思える大著であることは間違いないし、この新書をベースに長い年月をかけて熟成していくのだと思う。
その他
冬は幻覚。
病気の人の文章は面白い。健康なとき病気のことを想像して書くのは難しい。病気のときこそ文章を残すべきだ。治りかけてしまった今となってはもはや病気の時分に辛そうにしている理由がわからない。もっと明るい意見ばかり書けばいいのにうるさいなとすら思う。
今月は私の権内でないことが重なって活動の量が少ない。
残念ながら自分の際限ない欲望に対して体力が圧倒的に足りない。
数少ないサンプル数とはいえ、出版社勤めの友人たちは揃いも揃って身体を壊しつつ激務をこなしている。ちなみに監査法人やコンサルに勤める友人たちもそれぞれが身体を壊しつつ激務をこなしている。25、26歳が働き盛りの年齢なのかもしれないが、それにしても「ちょうど良い忙しさ」というのは幻想なのだろうか?
今は働けば働くほど物が売れるという時代でもなく、若者たちの寿命を削ってまで企業を存続させる意味はなんだろうか。
硬いものに触れているとき、その硬さに気がつくのではなくて、自分の皮膚が柔らかいことをこそ知っている。自分の手が自分の身体に届いてしまうのは本来的ではないかもしれない。しかしそれ以上に、再帰動詞の真偽に踏み込むのは禁忌なのではないかとも思う。
それぞれの因子には重みがあり、それは何らかの方向に向かって進む。全てのものに必ず方向と速度がある。夢の話だけを聞いていたい。
明るくやっていきましょう。