犬々の日々

犬を犬と思うな!

2024年4月

2024年4月

 

 

特筆すべき日

4/1(月) いよいよ出社。会社のパソコンを開くと、デスクトップには去年の自分が設定した“νθρωπον ζητ”の文字が現れる*1。確かにその視点は大事だ、と我ながら思い(つまり犬儒学派、犬々の日々というわけだ)、しかし今はもう安心してもよいのだった、と考え直す。

習わしで社員全員に異動の挨拶回りをする必要があり、階を行ったり来たりしているうちに午前中が終わった。100名それぞれの対応の仕方があり性格が出る。サンプルがこれだけ集まったということは、次に誰かが異動の挨拶に来たときに、私が一番良い対応ができるということだ。一気に引き継ぎなど詰め込んで実務作業を開始して、気がついたら12時間経っていた。

 

この日に限らず大体8時ー20時が仕事で、残りの時間は意外とあったりなかったりを繰り返して瞬く間に4月が終わった。日々に大差がなく規則正しいことは良いことだ。

お昼はだいたい神保町のタリーズにいる。神保町のタリーズは新入社員で溢れかえっており、これから仲良くなろうとしている新入社員たちの会話の攻防を聞くのが面白かった。

 

4/6(土) ピアノに行く。新しい曲を始める。楽しい気分になって帰りにお菓子をたくさん買ってきて、食べたら眠くなってしまって、もったいなかった。それでも仕事をしたり映画を見たり活動的だった。お風呂の時間とか寝る時間とかそういう無駄が無くなればもっと色々できるのに、と思う。

 

4/7(日) 間接・直接的に仕事に関係あることをしていたら一日はあっという間だった。経堂の三省堂で誰かワインを割った人がいて、店員さんが大慌てで拭いていた。学参コーナーがフレンチレストランみたいな香りになっていた。本は匂いがつくからこのあとが思いやられる。また知り合いに会った。学生のときやっていた学習ボランティア的な活動の先輩。趣味でお茶をやっているらしい。長い知り合いなのに全然知らなかった。

仕事に関係ありそうな情報を色々見て回ったりするものの、浅学者の目は粗いから方向性が合っているのかよくわからない。今は何でも真新しいので面白いが、過去の経験から言えば、だんだん古く見えてきたり、難易度が上がるにつれて面白くなくなってくるのかもしれない。それの対処法はまだ知らない。中トロラジオも更新された。

 

4/9(火) 最近入社した人とお昼に行く。ほぼ初対面。鳥が好きで趣味は鳥を観察することだと言っていた。どんな鳥でも好きだと言う。ではどの鳥にならなってみたいと思いますか、と聞いてみる。「オニオオハシです」との答え。寡黙で品行方正な彼女のイメージと、ポップなオレンジの嘴が合わなくてつい笑ってしまう。オニオオハシはとても長生きするからなってみたいらしい。鳥と聞いて真っ先に、木下龍也の短歌「飛び降りて死ねない鳥があの窓と決めて速度を上げてゆく午後」を思い出していた私はまたしても笑ってしまう*2。澄んだ人に出会えたと思って勝手に嬉しくなる。ゲームも好きだと言っていた。ポケモンでは何とかが好きだと言っていたが忘れてしまった。やはりそこでも鳥だった。

夜は長年勤めた人の送別会。社内で愛されていたし敏腕だったので社員の半数近く集まって大きな会だった。私は鈍臭いのでこういうときなぜか偉いおじいさんたちの机に混ざってしまう。この日も気がついたら取締役たちの卓に座っていて、取締役たちの議題は「家の家事でどれを担当しているか」という話だった。若い人たちの飲み会での振る舞いを見るのが好きではないのでかえって良かったかもしれない。しかも何かの文脈で「文章が上手い」と褒められて上機嫌になった。辞めゆく人が最後の締めで話し出したとき、お店の計らいで海援隊が流れた。時と場所が合えば意外とこの歌の臭みが消えるな、と聞いていた。大勢が解散していって、駅で1人になった途端寂しさを思い出してしまった。「今いれば好きになるのに」はこういうときに思う。

 

4/11(木) 友達たち4人で夜ごはん。私が話したい話だけしてしまったかもしれない。

 

4/12(金) 仕事が終わったら関口教会のコンサートに行きたいな…などという夢想も文字通り夢想に終わり、文字を読み続けていたら終電の時間になった。「これが噂の忙しい編集者というやつか!」と、身体はぐったりしつつも気分は悪くない。ゆくゆくはピアノを弾いても良い時間(うちでは9時から21時までと決めている)に帰って来られるくらいを目指したいものだ。

 

4/13(土) ピアノに行く。先生に「カバンないの?」と驚かれた。楽譜だけ小脇に抱えて持っていくのが好き。かなり眠い。犬の予防注射に着いて行きたかったが父に任せてしまった。夜は長電話。友達とは呼べなくなってきた。

 

4/14(日) 中高の同級生と四ツ谷に行く。誰が好きとか誰が嫌いとかそんなお喋りばかりとても楽しい。彼女は海外を行き来して働いていて、それが昔からのイメージに似合っている感じがして嬉しい。会うたびに仕草が上品になっていく。

 

4/15(月) おそらく一ヶ月の中で一番忙しいであろう日。身体はかなりぐったりしてるけど機嫌はとても良い。仕事の一ヶ月の流れがおおよそ掴めてきた。

 

4/16(火) 朝、電車を寝過ごし都営新宿線で会社に行く羽目に。

 

4/20(土) ピアノに行く。今の先生について二ヶ月弱、だんだん先生とも打ち解けてきた。今の幼児向けピアノ教材はQRコードからお手本の演奏動画を視聴できるらしい。ピアノを習ったことのない両親でも自習させられるのは良いかもしれない。午後は親友と幡ヶ谷を巡る。2人とも仕事を残しているので早めの解散。私が常日頃女の子の身体の中で一番綺麗だと思っている部位の名前は今日もわからなかった。

夜は両親が同窓会に出かけたので犬と2人きり。重めの仕事をなんとか終わらせそのあとで長電話。友達ではなくなってきた。

 

4/21(日) 母と尾崎テオドラ邸の松苗あけみ展。いかにも少女漫画的な繊細な絵で素晴らしかった。後継の作家は誰なんだろうか? 仕事で良い思いつきをして良い気分。

 

4/23(火) 仕事相手の人などと複数人でごはん。「先生」と呼ばれ慣れている人の振る舞いは面白い。滑稽と冷厳を巧みに行き来していた。本人は当然無自覚だろう。

何年も会っていない中高の同級生から「会おー!」とラインが来た。石井ゆかりのこの日の占いは「すごく元気が出るような出来事が起こるかも。胸がパッと熱くなるような展開」。

 

4/24(水) とにかく眠い。眠いので仕事を夕方に切り上げて、大人しく帰った。するとなぜか母と大喧嘩する流れに。泣いたり叫んだりして体力を使った。理由はいくつかあったが、喧嘩の理由を探ることにあまり意味はない。結局喧嘩そのものに意味がある。だいたい一年に一回激しい喧嘩が訪れる。これは移動祝祭日のようなもので、「今日だったか~」とのんびり構えなくてはいけない。

 

4/26(金) 有休。午前中は仕事の打ち合わせで池袋に行く。1時間くらいで終わってその足で母校の中高に行く。道中で見える東京タワーは相変わらず素晴らしいし、地域内ではありがたがられている立派な建築の校舎を当たり前のように生徒が往来している姿も良い。私も在学中はぞんざいに過ごしていた。卒業後、国立能楽堂が無性に好きでよく通ったりしていたので、もしかしたら「染み込む」ということなのかもしれない。なんと、会った先生全員が名前を覚えてくれていて、本当に先生という職業はすごいと思った。こういう誰もが守られている空間は悪くない。

 

4/27(土) デート。これはデートですか?と聞いてみたらこれはデートですと言われたのでデートで間違いない。まさか今日とは思いもよらず実感がない。5年前にうちの犬が来たときもあまりにも天使のようで、この子はすぐ死んじゃうんじゃないかと理由のない不安を抱いたのだった。未来の予想というのはことごとく当たらない。そういう経験が積み重なって人生への実感が前よりもさらに透明になった。

 

4/28(日) 友人の結婚式。新婦・新郎とも友達なので感動も一入。参列者の人数は少なくて、厳選の中に呼んでくれたことが嬉しい。初対面の参列者の人たちとも数人仲良くなることができ、穏やかで素晴らしい会だった。新郎は普段から詩や小説を書く人で、所々で披露されるスピーチや手紙が、やはり一般の文章とは一線を画していた。

 

4/29(月) 切羽詰まった仕事がない休日が久しぶりでなぜか落ち込む。とても落ち込む。外は暑くて頭がおかしくなりそうだし、急な自由時間に途方にくれてしまう。舌でも噛もうかと一瞬思ったが*3、そのやる気すらなかった。前日に飲んでいたカンパリの飲み残しの中で羽虫が溺死していたのがまさに5月の始まりという感じで大笑いした。埋めるように家事に精を出したり、犬と外に出たり、読んだり見たり忙しなく動いてみたものの寂しい。

 

 

映画

映画は義務感で見ているのでそろそろ足を洗いたい。本当は映画を見てる時間があったら少しでも天井を見つめていたい*4

 

・「リボルバー」1988年。

あらすじだけ聞けばそこそこ面白く、キャストは名優揃い、原作者には実績があり、舞台も南から北へと移り飽きさせないはず、なのに全体で見ればやたらと芋くさい。色っぽい美人の「バーン❤︎(銃を撃つふり)」のシーンが見られるのと、そこでアイショットザシェリ*5が流れるところは、それまでの面白くない気分をわずかに落ち着かせてくれたが、とはいえ微々たるものである。道具は揃っているのにこれだけ芋くさいのはセンスが合わなかったということだ。良いとか悪いとかの範疇ですらない。

 

・「きみの瞳(め)が問いかけている」2020年。

「君のこと好きになって良かった」と思わせぶりな吉高由里子、ドラマの主人公とイヤリングが同じで喜ぶ吉高由里子、歌いながら桃を食べる吉高由里子、、、どの吉高由里子にもドキドキさせられて嬉しい息切れ。天真爛漫な美人を嫌いなわけがない。フィクションに出てくる盲目の美人には目がないのでそれも良かった。

ぬいぐるみみたいな犬が出てくる。話には結構無理があるけど純愛は無理があってこそ。吉行淳之介も「恋愛の始まりは不自然だ」みたいなことを言ってたし*6吉行淳之介が言うならそうなんだろう。一点だけ、風吹ジュンにシスターは似合わない。

 

・「街の灯」1931年。

チャップリンを全編通して見たのは初めてのような気がする。有名な演説シーンのある映画*7だけはもしかしたら英語の授業で見たような、見ていないような。世の中はチャップリンのオマージュに溢れてるので何が何やらもうわからない。

身体で笑わせてくるタイプのユーモアはまだ私には難しい。そういえば浅草の演芸も私には難しい。道化的な笑わせ方も今ひとつ入り込めない。フレディもよくやるので欧州の潮流がありそうだ。隔世なのか「隔地」なのか、とにかく偉大そうだということだけはわかった。ボクシングの試合シーンが素晴らしかった。ボクシングのシーンは本当に素晴らしかった。

 

・「ザ・コンサルタント」2016年。

かっこいい。当たり前だが新しい映画は画質が良い。画質が良いぶん臨場感がある。ちょっと暗いストーリーのアクション映画が好き。

 

・「ブルークリスマス BLOOD TYPE:BLUE」1978年。

かなり好みの映画。宇宙人と接触した人間の血が青くなって、政府は青い血の国民を隔離したり残酷な実験に使ったりするようになるという筋。SFだが宇宙人はメインではない。暴力表現が強めなので見る際は注意が必要。

ふとしたシーンに出てくる日蓮の団扇太鼓の集団などは、日本を舞台にしたSFとして良い小道具になっておりとても良かった。数秒ほどしかないが。

後半は恋愛要素がいくらかダルい。しかし結局みんな最後には一緒くたにさいごを迎えてしまうのでそんなダルさも吹き飛ぶ。こういうプロットを書き上げた脚本家はさぞ解放されたに違いない。

それにしても「人間なら守るべき」という決まり事から「人間でない(と誰かが定めた)なら迫害してもよい」という決まり事へ飛躍するまでの時間は古今東西あまりに短い。その短さを私たちは自覚していないといけない。青い血の人間なんていくらでもいる。

 

 

黙読した本

・佐川恭一『就活闘争20XX』

前半部読了までの感想とそこまで大幅な変化はないが、抱いていた印象が拡大した感がある。佐川恭一の血の味がする。作中で人が多く死ぬからというわけではなくて、作家が抱く人間論を注ぎ込んだような、しかもその人間論が肉に宿っているので肉を直接切ったような感触があるから、かもしれない。佐川恭一ほどの表現力を早く身につけて佐川恭一の面白さを福音してまわりたい。どれを読んでも巡礼とかお遍路とかのイメージが浮かんでくる。

「本当に楽園というものがあるなら、きっとこんな風に多種多様な人々が同じ空間に存在し、同じ空間を楽しんでいるという漠然とした共通性を持ちながら、『なんとなく』つながっている人たちの集合体になるのではないか、」

世界の見方が似ていると言ったら烏滸がましいが、世界は主人公にも私にも似たようなやり方で立ち現れてくるようだ。

 

マルグリット・デュラスモデラート・カンタービレ

仕事で夜遅くなるときのチェイサー(?)に、仕事で読む文章とは対極のものを、と思って読み始めた。主人公アンヌは社長夫人でブルジョワ階級から脱したいと願っているが、自分でもその願いの正体をわかっていない。街で起きた情痴殺人をきっかけに、事件現場のカフェに通うようになる。そこで知り合った青年ジョーヴァンとの会話の中で、自分の無意識に気がつき、狂気に向かって進み始める。

男女がカフェで喋っているだけのはずが、なぜか会話は妖しい色香を纏い、最後には……。

小説の形をした詩だった。「性と死」みたいなことをこれほど強く思わせる作家を他に知らない。子宮で書いてるだけのどこかの作家とは訳が違う。共感できるところが多めの小説。

難しくて途中で何度も脱落しそうになった。『死の病』を読んだときもそうだった。

かなり最後のほうで「あなたは死んだほうが良かったんだ」「もう死んでるわ」という美しい会話があるが、武論尊ケンシロウを創ったとき胸中のどこかにジョーヴァンとアンヌがいたかもしれない。

 

 

朗読して犬と読んだ本

イーディス・パールマン『愛がすべてなら』

ヒュー・ロフティング『ドリトル先生のキャラバン』

河島英昭『イタリアをめぐる旅想』

 

 

音楽

前より明るい曲を聴くようになってきて良い傾向。もう来月には陽気な歌ばかり聴くようになっている。再来月には陽気な歌でも足りなくなって歌など聴かなくなる。

 

Fleetwood Mac「Tango In The Night」音楽を聴きながら仕事ができるタイプの人は羨ましい。仕事中にこのアルバムを聴き始めて、結局踊り出して仕事が全く手につかない日が何回もあった。

 

アシュケナージによるラフマニノフ24の前奏曲」。私は絶えず旧時代を引きずって生きているのでピアニストと言えばアシュケナージと思ってしまう節がある。

まあそれは冗談にしても、ロマンチックで繊細、しかし情感に溺れすぎることはない、というような表現の妙に感嘆してしまう。反対勢力も多いようだが結局上手いから何でもいい。4番をいつか弾きたい。

 

TOTO「Turn Back」これはアルバムジャケットが可愛い。

 

・「ベストヒットUSA」でアリデミー賞2023*8が発表されていた。だいぶガールズポップ寄りという印象。一方、ベストビデオ賞には、Lewis Capaldi「Wish You The Best」が選出されていた。グレーフライアーズ・ボビーという、実在の忠犬物語をもとにしたミュージックビデオで、テリア犬の演技が慣れたものだった。出演者の少ないテレビは見られるようになってきた。

 

・ジャンチャクムル「シューベルトブラームス」の2が出ていた。本当にピアノが上手い。5月には3が出る。

 

井上陽水「White」陽水の歌は抱かれている感じがする。色っぽさに天を仰いでしまう。「ダンスの流行」など。

 

ピンクフロイド「Wish You Were Here」ピンクフロイドが素晴らしいことも、これが名盤であることも、どちらも当たり前の事実なので書くのは少し恥ずかしい。私は良いピンクフロイド聴きというわけではないので、同じく当たり前に感動してしまう。いつでも最後にちょっと歌ってくれるところが良い。今回は歌無しかなと思って音楽を聴いていると最後にちょっとだけ歌詞付きで歌ってくれる。待ったぶんありがたく聞こえる。

 

ピンクフロイド「A Momentary Lapse of Reason」アルバムの邦題が「鬱」なのは良くない。知っている(≒有名な)ピンクフロイドの曲とは感じが違うなと思って調べてみると、「ピンクフロイドの模造品」とか、「贋作」とか、ちょっとその道をゆく人からは酷評されていてかわいそうだった。

 

・ノラジョーンズ「Visions」アルバムジャケットがミュージックマガジン3月号の表紙になっていた。救われる。前述のベストヒットUSAで「Miriam」が新曲として紹介され、食卓にいた父と私は圧倒されて、2人で沈黙して見入ってしまったのが2012年。流れの遅い川を呆然とゆくノラジョーンズをよく覚えている。

 

・Cast「Live the Dream」去年もらったレコード。田舎臭さの中に一粒の神秘体験があるようなないような。そんな感じの不思議な曲。

 

フランソワーズ・アルディ「私生活」この人が「フランス」のイメージを広めたのかなと思うくらいA面もB面もアンニュイと不安に満ちている。曲調が明るいのがなおさら。シンパシーを感じるので仮に10代のときに聞いていたら頭がおかしくなっていただろう。ユーミンが憧れるのも頷ける。

 

・ポリス「白いレガッタ」もちろんかっこいい。やはりレコードで改めて聴いてみると今まで好きではなかった曲を好きになったりするので、自分の好みの梃入れは定期的に行わないといけないのだろう。何事においても。

 

 

来月への展望と予想

今月は浮かれていた。浮いたまま上手く走り抜けてそのまま4月が終わった。

今月は加速していたと言ってもよい。

このまま加速して車に轢かれるところをよく想像する。

 

暇だとろくなことを考えないので、忙しいままでいたい。

生活の中心が仕事に変わり、無駄なことを考える日が減った。麻薬的で大変よろしい。

そう書くとなんだか「忙しい現代人の浮遊と虚無感」のようだが、そういうわけでもない。

私がどれほど楽しそうに仕事の話をしていたかは、今月の登場人物ならわかってくれるだろう。仕事は毎日面白く、自分の能力の足りなさを除けば何も不満はない。知識が圧倒的に足りないので毎日ひよこの雌雄鑑定をやっている気分だ。

 

数ヶ月して慣れればホワイトそうな部署なので、そうしたら会社から駅まで1人で歩く時間や、家で1人のあとは寝るだけの時間が増え、ふっと過去や未来のことを思い出して憂鬱になったりするだろう。いつもの流れだ。どこかで強制的に自分自身を引き受ける練習をしたほうが良い。一定期間、他人の創作を絶ったり、他人と会うのを絶ったり・・・禅か? 禅にはあまり興味がないな。

 

本当は暇の時間を引き受けて、内部で熟成していくことこそ大人がやるべきことだ。

「本当はそうであるべきこと」に体力を使ってしまっているとき私自身の馬鹿さに嫌気がさす。

 

仕事の面白かったこともぜひ書きたかったが、世の中はしがらみが多い。発売前の情報などは書いてはいけないのだ。(とかくに人の世は……どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。)

 

来月にはどんな要望を抱くべきだろう。

新しい家で自分の部屋が欲しい。

 

もっと支離滅裂になっていきたい。

毎日、他人の文章や考えを整理整頓しパッケージして、それはそれで面白いので、

反動として自分の文章や思考がどんどん宇宙的になってゆけばよい。いや、「支離滅裂」と「宇宙的」をつなげるのは悪事だ。宇宙には秩序があると習った。一見膨大なのでどこから手をつければ理解可能かわかりかねるが、わかった後にはとてつもなく美しく整頓されている、といったようなことを言いたかったと思う。

それとも、そのまま出すという方向に惹かれているのかもしれない。着想を着想のままで出すこと。未編集。均衡を保つ力がここにも働いている。

毎日類語を考えているから極力同じ単語しか使わない方向に進むのも楽しそうだ。

 

脚が分かれていて邪魔だからって一本にしようとしないこと(=脚を組まない)。

「仕事を家に持ち帰るのは仕事ができない人がやること」とか、「夜型よりも朝型にしなさい」とか。仕事ができるとの評価を受けているとされる母がそう言っていたし私も部分的には同意する。来月はより少なく、長期的にゼロにしていきたい(2050年ゼロカーボン的な*9)。

 

同人誌を数年前から作りたいと思っていて全く実現していない。

目次だけ作ってみて面白そうな感じになったので、あとは書くだけ。

 

型を繰り返しているのに変わっていくのは不思議。

私は人間に熱と重さを求めている。

現実はシュール。陽水の目を持ちたい。

 

 

(「たいくつ」を演奏し終えた陽水。1973年の厚生年金会館のライブより。)・・・そういえば、親父も、去年死にまして。なかなか良い親父だったんですけどもね。僕のうちはそのー、九州の福岡県なんですけど。親父が生まれたのは四国の高知県の。高知県なんですね。えー、親父が生まれた街には、街じゃなくて村には、歯医者さんがいないわけですよ。非常に、あのー、田舎ですから、歯医者さんがいないわけです。親父がその村の出身者で、唯一の歯医者さんになってるんですけども。あのー、九州の福岡県で、つまり僕が生まれたところで開業しましたからね、やっぱり親父が生まれた村には歯医者さんがいなかったわけです。で僕がまあこういう、歯医者を継ぐことができなくて、こういうなんかヤクザな道に落ち込みましてね。(会場笑い)親父もなんかこう、ほぼ諦めて。四国の高知県のほうへ、つまりもう、息子も跡を継ぐ気がないから、余生を自分の生まれたところでね、釣りでもしながら過ごそうとね…帰ったわけですね…で、帰って、よっぽどなんか嬉しかったらしくね…帰って3日目で心臓発作でね、倒れたんですね。で、思ってみれば、親父も、嬉しい絶頂でね、故郷へ帰れた…っていう嬉しい絶頂でなんか、死んだから…(ギター1音)きっとなんか幸せだったと思うんですね…はぁ…親父の(声が震える)…親父が、あの、この曲を作ったときにね非常に喜んでくれまして。その歌を歌ってみます。「人生が二度あれば」っていう曲です…(拍手)…

*1:「私は人間を探している」

*2:しかし、作品を好きかどうかと思い出しやすいかどうかは違う。

*3:庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』のゆみちゃんが好きなので。

*4:Every Breath You Take

*5:ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ

*6:適当な引用は良くないのでこれを書いたあと本棚をひっくり返して色々探した。吉行淳之介のこれでもないあれでもない、別の作家だったかもなどと紆余曲折を経て無事見つけることができた。『恋愛論』「会話」の章。以下引用。「『恋のはじまりと恋のおわりは、二人でいることのギコチナサによって知ることができる』という言葉がある。(略)私の友人に、次のような具合である女性と仲良くなった男がいる。(略)その女性は宝塚劇場の角を左へ折れ、日比谷映画劇場の前を通って有楽町の駅の方へと歩いて行く。有楽町のガード下まで来たとき、彼はとうとう我慢ならなくなり、『あのう』と、すぐうしろまで駈け寄って呼びかけた。『え?』その女性が立止って、彼の方を振り向いた。時刻は黄昏時で、薄暗いガード下に女の白い顔が夕顔の花のように浮び上った、とは彼の表現である。『え?』と言われて、彼はすっかり上気してしまい、『ちょっと、伺いますが……』と、とりあえず言葉をつづけた。『はあ』と、美しい声が返事をする。さて、何を伺ったものだろう? 長い間考えている余裕はないので、彼はますます狼狽して、『あのう、有楽町の駅は、どこでしょうか。』言った瞬間、しまった! と思った。なにしろ、有楽町駅の改札口は目の前にある。ところが彼女はちょっと微笑して、『ええ、有楽町の駅はここですけど……、でも……』と、今度はその女性の方がモジモジしはじめた。彼が、言った。『それでは、すこし散歩しましょうか』

なにが『それでは』なのか一向に分らないし、支離メツレツな会話だが、このギコチナサにはある感じがある。」吉行淳之介のこの友達はこのあと結婚したということで、めでたしめでたしのお話である。吉行淳之介の流石の描写力も助けて、この節は印象深い。

*7:「独裁者」1940年。

*8:くりぃむしちゅー有田哲平が年間で良いと思った洋楽に賞を授与する

*9:シャラくさくて不可能という例えではない。決して。言葉通り。